福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

快晴の大阪城公園 見頃の秋の情景 スナップ 散策 No.1

2017-11-30 04:00:16 | ★大阪城もメチャ面白い😄
快晴に朝
JR 森ノ宮駅下車して、OBP へ通り抜けてみた
朝陽を浴びる木々たち
今が見頃の時ですよ・・・と
良い雰囲気ですね〜
ウオーキングの方や観光客方はチラホラ
JR森ノ宮駅から交差点を渡り公園の一角から天守閣

噴水に

これから遊歩道を気儘にスナップ









カルガモも紅葉を楽しむ?










濠のほとり、ユリカモメ この間は居なかったのに














2017年11月28日
超快晴の大阪城周辺を散策した。楽しませてくれる!
先般は桜の木が赤く紅葉して居たが今は殆ど落ちている。

午後からのスナップは次回アップする。

余談

✳️ユリカモメ
 嘴は赤色、頭部の目の後ろに黒色斑がある。
 足はきれいなピンク色。小型のカモメ。


●分布
ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランドなどで繁殖し、冬は南下しヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡りをおこない越冬する。北アメリカ東海岸に渡るものもいる。
日本では冬鳥として、北海道から南西諸島まで広く渡来し、小型のカモメ類の大半が本種である。ただし、北海道では厳冬期にはほとんど見られなくなる。主に、全国の海岸や河川、沼地などに普通に渡来する。
国際自然保護連合(IUCN)により、軽度懸念(LC)の指定を受けている[1]。1992年に多摩動物公園が、ユリカモメで繁殖賞を受賞した

●形態
全長は約40 cm。翼開張は約93 cm[3]。足とくちばしは赤色。夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。ズグロカモメと似ているが、ズグロカモメのくちばしは黒色で本種よりずっと短い等の違いで識別できる。




シンガポール航空 A380. 特別運航 初日 ノーマル機だ!

2017-11-27 04:00:57 | 2017年関空の情景
恒例の年末 エアバス A380 特別運航の初日だけど
例年より早い。運航は週末中心となるらしい。
今日は
予定時刻より早目に 06/R にアプローチ
シンガポール航空 9V-SKJ
am 8:10. 姿を現わす







離陸
am 11:17 シンガポールへ










この機体は、シンガポール建国59周年記念 特別塗装機だった
ノーマル塗装に戻している
昨年、12月17日 飛来していた 9V-SKJ
am8:27.






今日は
曇天 逆光が少し緩和されてよかった
A380が離陸して
ギャラリーも一斉に居なくなる
雲が低くなってきた
小生も早々と引き上げた
自宅周辺は雨だった

2017.11.26. 関空にて


余談 A380の特別運航は変則なので確認要だ。 A333 の運航と併用

シンガポール航空が運行するSQ619便 関西(大阪)発 - シンガポール着のフライト詳細(時刻表・所要時間・飛行時間)です。
関西(大阪)発 - シンガポール着の路線時刻表はこちら
出発 到着 所要時間 運行日 クラス 機種 詳細
11:00 17:10 7時間10分 -火水木金土- ▼ A330-300 11/24〜
11:00 17:10 7時間10分 月----土日 ▼ A380-800 11/26〜
11:00 17:10 7時間10分 -火水-金-- ▼ A330-300 12/05〜
11:00 17:10 7時間10分 月--木-土日 ▼ A380-800 12/07〜
11:00 17:10 7時間10分 -火水木金-- ▼ A330-300 12/14〜
11:00 17:10 7時間10分 月----土日 ▼ A380-800 12/16〜
11:00 17:10 7時間10分 -火水木金土- ▼ A380-800 12/28〜
11:00 17:10 7時間10分 月--木金土日 ▼ A330-300 12/31〜
11:00 17:10 7時間10分 毎日 ▼ A330-300 2018/01/09〜
10:55 16:40 6時間45分 毎日 ▼ A330-300 2018/03/25〜
この時刻表は、OAG提供の2017年11月26日 14時30分時点のフライトスケジュール(時刻表)です。スケジュール情報は予告なしに変更される場合もありますので、ご予約、ご利用の際は各航空会社にお問い合わせ下さい。ご利用の際には、FlyTeamの利用規約もあわせてご確認ください。
一部の航空会社、便名が表示されていない場合がございます。ご了承ください。





今の関空 薄い雲に太陽 風もありませんね

2017-11-26 08:59:30 | 2017年関空の情景
iPad. で
今の関空は薄い雲が広がっています

日本トランスオーシャン 沖縄へ飛び立ちました

今日シンガポール航空 エアバス A380が到着した
冬ダイヤ特別運航だ
飛来機種は
コピーですが 9V-SKJ. 以前は、特別塗装機だったが元に戻している。
週末を中心
運航は変則の様だ

無風の状態なので
霞が流れません
風よ吹け・・・・・

関空 am 9:12

四天王寺 今日は聖徳太子の月命日(22に日)縁日だった

2017-11-24 04:00:00 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
帰途途中
大阪市営地下鉄 谷町線 四天王寺夕陽ヶ丘駅下車
関西に住んで居ながら初めて立寄った四天王寺
後の所用があるので短時間でしたが広さにびっくり
境内は
フリーマーケットでメチャ賑わって居た
お店の数は約300軒
マア、ビックリですわ 今日は 聖徳太子に月命日として縁日だから余計に多いのか?
入ったのは北門からだった

外国人観光客も多い・・・・ドライフルーツ よう売れてるわ!


通り抜けて

南大門から

中門(仁王門)


潜ると





左が金堂 右に五重の塔


右が五重の塔
浄財をと



今日は縁日で解放日

5階部分から
南大門 屋根部分が中門


境内に出ると


漆器を

チョット立ち話。午前中の方が多かったとの事
所狭しと・・・・境内に約300軒 皆、店を覗いて楽しむ。そして、衝動買い!




裏の六時礼讃堂


ザッと駆け足・・・本坊には庭園もあるけど時間切れ・・・・

境内の正門は?西大門やろうなぁ
西大門(極楽門)
回してみた

門には、『 転法輪 』 と呼ばれる、手で回すコマの様なものが付いています。
ご覧のように手で回すと、もの凄い速さでくるくる回転します。
これは、ブッタが教えを説かれることを示す、チャクラ(法輪)を示したもので、
手で回すことによって、“ 仏の法(ノリ) ” を教えて下さいという意味があるそうです。

親鸞聖人像

帰りは、石鳥居を潜ったけど➡︎これが正面だなぁ



参道がJR天王寺駅方面へ続く
旧商店街 若かりし頃立ち飲みに行ったなあ



今日は、何分にも後の所用が🍺あり、駆け足となった。
余りにも広い境内

今日の目的は茶臼山古墳辺りと地下鉄下車したが
多くの人が四天王寺へ続く
衝動的に四天王寺へ
偶然、聖徳太子の月命日縁日だった

この周辺は、茶臼山古墳を始めとして
一心寺、安居神社 他 散策コースだ
次回は少し余裕を持って訪ねたい。

2017.11.22. 四天王寺


✳️創建
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。


その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。

当時はたび重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失しましたが、現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しており、古代の建築様式が今に残るのは貴重といえます。
総面積3万3千坪(約11万㎡)。甲子園球場の三倍の広さを有する境内には四天王寺式伽藍のほか、聖徳太子の御霊を崇る聖霊院(太子殿)があり、創建当時の品々など500点あまりの国宝・重要文化財を所蔵する宝物館もある。


✳️今日 22日は縁日だった
太子忌
場所境内一円
聖徳太子の月命日22日も 「太子忌(たいしき)」 として四天王寺の縁日です。絵堂と中心伽藍が無料開放され、また五重塔最上階回廊も開放されます。金堂・北鐘堂・六時堂・太子殿にて、ご回向受け付けております。

秋の三光神社 情景 と 周辺 真田幸村像もヒッソリと・・・

2017-11-23 04:00:00 | ★気儘にぶらり 再発見😲 面白いなぁ?
21日快晴の朝 三光神社の様子はどうかなぁ?
JR 玉造駅から近いのでチョット下車し立ち寄った
8時前だけど陽射しは強い



真田幸村像と抜け穴







落ち葉の掃除を

苔の上を綺麗に掃いて





三光神社




真田山公園から陸軍墓地








三光神社周辺 早歩きスナップです。 2017.11.21.

余談 1

三光神社

反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。社伝によれば、寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。
中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻(現 宮城県仙台市宮城野区)の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。明治41年(1908年)、姫山神社に境内社・三光宮を合祀し、社名を「三光神社」とした。3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。

鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っている。境内には黒田屏風に描かれた真田信繁を元にした像がある。千田嘉博によると、現在残っている抜け穴は真田信繁がつくったものではなく、真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高いとしている。



余談 2

真田丸

1614年、徳川家康が大阪城を攻めた「大坂冬の陣」の際、豊臣方の武将・真田信繁(幸村)が大阪城の平野口に築いた出城の名称。東西約180メートルの半円形で、土塁の高さは約9メートル、外周の壕の深さは6~8メートル。主部の他に西側にも柵で囲われた土塁(二の丸)があったとされる。大阪城の弱点である城南に造られ、同年12月4日の真田丸の戦いなどにおいて、防御・攻撃に多大な戦果を挙げた。一説には、徳川方の死者のうち8割は真田丸の攻防によるものとされている。同年12月20日に両軍の和平が成立し、その条件の一つとして真田丸は取り壊された。