大阪と言っても豊中市に在住です。東京から来た人に「そんなアホナこと」「そうでっか」「すんまへん」「お前阿保か」「なにぬかしとんねん」等、大阪弁を話さないと不思議がられた人がいました。本当の話です。
大阪というと特殊な地域な所と考えられていると思いますが否定しません、確かに実際その通りです。私自身、京ことばを話すのに気付いていなかった過去を忘れているのに偉そうなことを言えないのに済みません。現在は標準語を話します?
大阪弁というよりは、私のいう吉本言葉が根にありテレビを通じて大阪弁の如く一般化しているように感じています。又、大阪一般の人達は、サービス精神豊富でそれを又、その通りにしないと悪いと思っているのに違いないです。
テレビで大阪弁を話す典型的な人間、例えば、明石家さんまは奈良、上沼恵美子は兵庫、それも淡路島出身です。奈良は叔母さんが嫁に行ったけどイメージが無いのと同様に淡路島の言葉のイメージもありません。
私自身昔、京都弁を知っていると言われ、その例で、何でも終わりに「~け」をつけること言われてがっくりした事があります。以前に言いましたが、母が入院している隣の人が滋賀の坂本で、女性も「~け」をつけて話していました。紳助さんが「~け」をつけて話していたのは、私など汚い言葉として教えられていました。京ことばはのんびりとしているからワザと話し言葉に「行こけ~」等と言います。くれぐれも、決して京ことばではないです。
大阪弁というより船場言葉は、映画「ぼんち」主演市川雷蔵を思い出すのは私だけでしょう。本当に良い言葉でした。これは船場言葉で無いかも、学生時代に「いいやんね~」(標準語では言ははる?)と言われた時は、大阪弁もいいもんだと思いました。
雑誌で「あさが来た」を近藤正臣さんが演じた、豪商「加野家」の先代で、 柔らかな言葉を話していました。彼は京都出身です。その人が、大阪弁と京ことばの違いについて、船場では「そうだす」京では「そうどす」と言う様に、「だ」が「ど」つまり、一語の違いで与える印象ががらりと変わってしまうものだと言っています。母親が普通に「どす」を使っていましたが、自分で使う事は無かったです。
京都より大阪で住んでいる方が少し長くなってきて、京都と大いに違うのを感じなくなってきました。京都は碁盤の目の中に住んでいるのが京都と言います。これはもうちょっと詳しく書きます。
大阪というと特殊な地域な所と考えられていると思いますが否定しません、確かに実際その通りです。私自身、京ことばを話すのに気付いていなかった過去を忘れているのに偉そうなことを言えないのに済みません。現在は標準語を話します?
大阪弁というよりは、私のいう吉本言葉が根にありテレビを通じて大阪弁の如く一般化しているように感じています。又、大阪一般の人達は、サービス精神豊富でそれを又、その通りにしないと悪いと思っているのに違いないです。
テレビで大阪弁を話す典型的な人間、例えば、明石家さんまは奈良、上沼恵美子は兵庫、それも淡路島出身です。奈良は叔母さんが嫁に行ったけどイメージが無いのと同様に淡路島の言葉のイメージもありません。
私自身昔、京都弁を知っていると言われ、その例で、何でも終わりに「~け」をつけること言われてがっくりした事があります。以前に言いましたが、母が入院している隣の人が滋賀の坂本で、女性も「~け」をつけて話していました。紳助さんが「~け」をつけて話していたのは、私など汚い言葉として教えられていました。京ことばはのんびりとしているからワザと話し言葉に「行こけ~」等と言います。くれぐれも、決して京ことばではないです。
大阪弁というより船場言葉は、映画「ぼんち」主演市川雷蔵を思い出すのは私だけでしょう。本当に良い言葉でした。これは船場言葉で無いかも、学生時代に「いいやんね~」(標準語では言ははる?)と言われた時は、大阪弁もいいもんだと思いました。
雑誌で「あさが来た」を近藤正臣さんが演じた、豪商「加野家」の先代で、 柔らかな言葉を話していました。彼は京都出身です。その人が、大阪弁と京ことばの違いについて、船場では「そうだす」京では「そうどす」と言う様に、「だ」が「ど」つまり、一語の違いで与える印象ががらりと変わってしまうものだと言っています。母親が普通に「どす」を使っていましたが、自分で使う事は無かったです。
京都より大阪で住んでいる方が少し長くなってきて、京都と大いに違うのを感じなくなってきました。京都は碁盤の目の中に住んでいるのが京都と言います。これはもうちょっと詳しく書きます。