旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

543 頂くに事に感謝しましょう! (毎週土曜日に更改しています)

2017-10-28 04:33:33 | ブログ
 「感謝して頂く事」昔、昔、埼玉に住んでいる兄が当時30代前半、子供が生まれ、もうとっくに亡くなった親戚の叔母さんから古着類が届いた時に聞いた言葉でした。叔母さんは大正生まれの京都の人で、この私が(知らないでしょうが)驚くほどの始末屋さんでした。三つ子が生まれ大変だと思って送ったものでした。
 何でも、ものを大事して残して置く。それが我が家で普通の事で、兄に送られてきたもので、古着類、それもかなり使い込んだ物ばかりだと聞きました。時代の流れ、今、「感謝して頂く」事を改めて良い考えだと思って、生活に生かしています。

 勤め先で、大阪のおばちゃんは「あめちゃん3個」「おにぎり1個」、又は「小さなチョコレート3個」小分けするためのジッパー付きの袋に入った「あられ」、近所の肉屋さんで買ったコロッケ一つと毎回違ったものを良く頂きます。

 その時、兄の言った「感謝して頂く」という言葉を思い出しています。殆どのそこに住んでいる人は、私よりも上の年の方が多くて(見た感じです)、年金生活を送っている人たちと思います。多分、僅かな小遣いで私に、本当にそれぞれ有難いと思っています。この頃、特に年寄りの気を持ちが分かる様になってきたと思います。

 学生の時、阪神デパート宅配のバイトでご「苦労様」と、ミカンを頂いた時の嬉しさを思い出しています。又、沢山頂いたものを又、貰い物ですがと言って毎日会う出入りの人にあげることもあります。

 今、老人ホームに入っている人は、昭和1桁時代の人が多くていて、戦中の苦しさを知っている人達が大半です。団塊の世代は、貧しい生活に少し(大分)触れていますが、今の若い人はものが豊富な時期に育っています。考えてみると、薬代だけても一人が何粒の薬を飲んでいるか、その薬代だけでも凄い額。そんな事を考えても仕方が無いのですが、残す食事の量。
て、
 今のままで行くと、物価がどんどん上がり、その逆比例国に借金が減り、上手く返せれば良いですが、多分そう上手くいかないでしょう。そうすると国が破産、夕張、ギリシアのようになって、生活は苦しくなってきます。

 今の若い人たちが年取って老人ホームに入った時に辛抱できるかなと考えます。今の環境に良い老人ホームで文句ばかり言う方もいます。いつもの様に話があちこち、終わりの言葉が見つからないです。

 感謝して頂く事は、何事にも言えます。と言う訳で、何でも(殆ど)頂きますので宜しく!
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542 忖度 (毎週土曜日に更改しています)

2017-10-21 05:09:35 | ブログ
 『74才になって「どんなじいさんだろうと思っていたのに、なってみるとぜんぜんおじいさんではありません。自分の人生に「余生」なし、「余分」や「余り」ありません。」』と新聞に載っていました。その通り、中々いい事を言っています。

小学生の筆圧が弱くなってきた報道されて、鉛筆も芯の固いものは使わなくなってきたようです。死がいつ来てもいいように昔の物をズートずーと整理しいますが、残念ながら見た目に変わり一向に変わりありません。全然片付いていないのです、死ねない理由の一つです。若い頃の自分の字を見てビックリ。信じられない、他人が書いたように、明らかに今の書く字と大きく違うのです。その字には、力がありました。いつの間にかボールペンに慣れてしまったという事なんでしょう。子供だけではない、気を付けて力強い字を書くように心がけ始めました。

今読んでいる本、まだ途中ですが司馬遼太郎の「アメリカ素描」中々勉強になります。少し紹介すると、その本の一部でカルフォルニア州に16日間滞在、本人も言っていますが景色より人間が面白く書いてあります。そこで何故か「論語」、この手の話が多いです。それは、いちいち読み手が察せねば完成しないのです。イェス、ノウをハッキリ言うアメリカ人、「論語」は論理の展開ではなく、片言隻句(せっく)の集まりだという事。イエスノウをハッキリ言わない、読み手は自分の中の50%持ち出さねば保管できない。つまり、察せねば、読むことが完了しない。底辺に日本人の多くがそれに影響されているとも、まさに忖度ではありません。

 この年で何を今更勉強、そうです知識を得て、さてと...。司馬さんが渡航した年が確か1972年、私がまさに欧州にいた年です。確かとは、読んだ気がして何処か探したのですが何時行かれたか不明でした。今読んでいるのに、すぐ忘れる、まあこんなもんです。何も知らずに調べずに感覚だけで、その場しのぎで行った人間との明らかに幅と言うか大きさの違いを感じる本です。

 最初の50ページを読むのを克服すると100ページ、何故克服しなくてはと、歴史では無く時代小説ばかり早読みしてますので、そのペースと同じ様にはいか無いです。段々面白くて、というより慣れて、辛抱要らずに150ページが読める本です。まだまだ先のある本です。いつ書かれたか気になって裏を見ると、流石、司馬さん、凄いです昭和61年に新聞に連載、平成元年初版で私の持っている古い本で34版も読まれている本なのです。読み終わったらできればモット紹介したいです。

 
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541 生きている (毎週土曜日に更改しています)

2017-10-14 04:46:38 | ブログ
 熊本、そしてメキシコ等。既にそれだけ等と記さなければならない程、東北大地震の後、どの災害あったのか多くの人が被害にあい、沢山の方が亡くなっています。改めて死と隣り合わせ、いつ死が訪れても不思議でないと感じています。その死というものを中々意識できないですが、人間、死とは切り離せないものです。
 
 その死を自分から選んで死ぬ人「過労死」や「いじめ」で死を選ぶ人が現在も多く報道されています。一つに報道で流されると、それがブームの如く、自分も死んだ方が楽になると勘違いする人が出て来るかも知れないです。死ななくても、いずれは死ぬんです。でも、死を選ぶ、その人が常と違うという事が分かれば良いのですか、周りの人が気づ無いかも知れないです。
 
 小学生の時に、学校の前で、確か片手を上げて片足を引きずって歩いていた身体に障害を持つ女性の方がおられました。それを見てと毎回、何人かの小学生にその頃のプロレスの英雄「りきどうざん、力道山」と囃されていました。小学生の私はかわいそうだと思いながら見ているだけでした。今なら周りの大人が注意すると思うのですが、残酷な光景、言った子供たちは忘れているに違いないです。いじめる方はそんなものです。特に子供の時は...

 そういう私も「高校時代、「いじめ」と取られる事をやっていました。同じ教室で同級生に「おじん」とか、大声で名前を言い、本当に済まないと思います。ずっと引きずっています。今なら自殺に追い込んだかも知れないと思います。
 
 高齢者住居で世話をしていると生きているのを、考えさせる方が何人かおられます。ここ数カ月でかなり悪くなって、車椅子で下ばかり見て、悲しそうに何を言っているか分からない事をズート言っている人、この方は先日、亡くなりました。 以前は大声をあげて、他の人を威喝した人、大学を出ていると言うのが自慢でした。他の施設に移りホットしていたら一年ぶりに再入居されました。入居者を倒した面影も無く、寝たきりで胃瘻で栄養を取り、上の血圧も90を切りおとなしくなられました。以前と違い大声を上げる事も無く、黙っておられます。血圧を測る時に一言も声を出さずに怖い目でじっと見ているので、前を知っているだけに、目を合わさずにいます。

 人間どうなるか分からないのです。今を幸せに、今日がダメなら明日。そうです、明日がある、明日がある、明日があるさ...歌の様に楽観的に生きていきたいと思います。

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540 アクセツ数1475から...(毎週土曜日に更改しています)

2017-10-07 05:25:47 | ブログ
 アクセツ数一日286人、先週は1週間で1475(端数が本当らしいでしょう)と、余りに多く読んでもらって有難いさあ書かなくてはと気持ちが高ぶります。
 そこで新しい人に再度説明しなくてはと思いました。タイトルは「旅思い出、思い出し」、今の話と違うのは、足掛け3年、71-73年にかけて欧州、米国に言った事を自分のまとめで書き始めた事にあります。1週間毎に更新しています。それを亡き先生にアドバイスもあって、1,100語を目標に書いています。

 同じことを書くのは、今の所2度位だと思っています。おなじ話が2度、自分でも気づいています。これが認知症に近く3度は許して頂きたいです。段々不確かになって4度5度と続く事は、認知症になったと、そこまで付き合ってくれて有難うございます。しかし500話も続けば以前書いた話があって当然?と思って下さい。ちなみに、自信無いですが、今までは同じ話をしたのは2度位です。但し、済みませんという言葉は、例外です。

 このブログを始めたのは、当時、退職して時間がたっぷりあるので、学生時代に欧州、アメリカに行った事を忘れない様に書き始めました。それ以前は、仲間内に東京散策を書いていました。大阪散策もしたいけれど、ご存知にように時間的に余裕がないです。その時にタイトルとして、「旅、思い出思い出し何も知らずに旅に出た」としました。それが終わる時に、今と比べると少ないですが、沢山の方に読んでもらっているので続けることにしたのでした。今ならできそうも無いこともできた、若く何も知らないのは、実際強い事だと思います。
 
以前は、今ほど本を読んでいませんでした。漢字を読み言葉の核とする仮名文字交じりの文が、現在でもどれほど日本語を情報量豊かな言語にしたか計り知れないものがあります。どの本か確かでありませんが、読むと言う行為は言語能力を高めるトレーニングとしても圧倒的に大事な事であります。読書で脳の老化を防ぐことができると言っています。本当に日本人で良かったと思います。

 話し言葉ですが、この前、「せんど」という事を何気なく大阪箕面で言いました。それが通じていたのですが、(と思うのですが)会話がなりたった。ひょっとして京ことばではないかと不安になりました。叔母さんが良く言っていたのですが、(……たくさん、毎度、十分に、と言った意味)、やはり京ことばでした。今では、標準語?を話すのですが、豊中に京都にいた時以上に長く住むと、京ことばは私にとっては死語になりました。
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