旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

878 オムツ替え(次回更新予定日 6月1日 第一土曜日)

2024-05-18 05:20:11 | 日記

 昔々その昔、碁盤の目の京都の殆どの家々は奥行きは深く汲み取り式便所(これ自体が死後に)為に家の奥に!超金持ちは別で向かいの家は水洗だと!(下水が完備されていない時代に水洗?見た訳が無いので生涯の疑問?でも小学校は水洗!)その後、超長いバキュームで!二条城の北にあった我が家の母屋は2階、工場の方は木造3階建てでした。現在だったら階段を降りて三軒隣のトイレに?住込みの人が良く辞めたのは良く分かります。今の我が家は2つのトイレがあり10歩!親戚の同い年の女の子は寝小便で濡れた布団を持って近所に報告に行かされたとの事。分かった事は夜尿症になるのは仕方無かった事⁇です。その後、小学生の時に水洗トイレに!’71年のデンマークでは...

12月1日 曇り//アネリサの手伝いでオムツをしている子の世話を!が、彼女がオムツの替えをやってくれるので大助かりでした。オムツ替え!これだけは特に辛い仕事でした。午前中は子供達を7-8人を一人で見る事が続いたのでした。しかし無給アシスタントである事を忘れて全く人任せにしているのは許せなく!自分一人が忙しく!他の人は楽しているのは納得がいかず(若かったです!)マズイ事に目の前にいる子供達に向かっていたのでした。どうしようも無い時には日本語で子供達をしかる事が増え、怒っているのが分かれば日本語でもデンマーク語でも関係ありませんでした。少し自嘲しなくては!

 こんなに忙しくては仕方ありませんが、ここにいる殆どの人達は、私を使用人の如く使って自分達の仕事を楽にしている。同じ仕事をしていると言う事で給料を貰えないのはおかしいと思いました。分かっていたのですが、デンマークでも何処でも自分が楽になる事を考えるのが普通でした。しかしコペンの施設にいる時と大きな違いでした。
 時間が過ぎるのが、今日も遅く感じたのでした。エンリックのオムツを替えるのを、オウラに言われたが、デンマーク語が分からないふりをして聞き流したのです。彼がオムツを替えれば良いものを私に言うのは納得いかなかったのでした。彼はエンリックの所へ連れて行ってでも、私にさせたのでした。
 週末に休みのスタッフが多いと言う事で、私が働かねばならないかも知れないのでした。やはり、私の様な者に頼らなければやっていけないのでした。こんな所でしたから、私も雇ってくれたのでしょう。この仕事につく人は限られている人しかいない様に思うようになったのです。
(今思うと、ここに働いている人達にどうしてここに勤めているのか、聞くべきでしたが、私にそんな余裕は無かったのでした。)
 夜になってロッテともう一人の部屋に行ったが、その広さに驚いたのでした。勿論、バストイレ付きで言う事無い部屋でした。そこで、ビールを飲みながら折り紙の折り方を教えたのでした。ロッテは私に気がありそうであったが、私の好みで無かったのです。(贅沢思っていました!)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

877 フレデンスボー (次回更新予定日 5月18日 土曜日)

2024-05-04 03:10:45 | 目標

 忘れられないデンマークのフレデンスボー!夜遅く兄から国際電話で父の死を「直ぐに帰る」「続けなさい」薄暗い事務所で声を押し殺し初めての嗚咽!帰ったら一番この旅の話をしたかった父!その時の事を思うと今でも涙!。帰る迄待って納骨!今は中途半端で帰らなかって良かったと兄に感謝しています。先日ドイツで父親の死を知って帰って来た方が勤め先のマンションに!気持ち良く分かります。

 半世紀前以上前、コペンから約35㌔にあるフレデンスボー「 ボーンイエメ ロナリュウ」で13人の子供の世話をして約5ヶ月間、思うと職員数の方が多18。未婚の母、母親が病気、両親失業中、家庭内暴力等々、家庭に恵まれない子供たちの為の施設。王家の避暑地で公園のような林の中に子供たちを連れて一緒に遊んだ事を思い出します。子供達に少しでも分って貰おうと必死でデンマーク語を勉強。夜は皆で飲んで踊ってと楽しかったですが、毎日が忙しく明け暮れ。言葉が通じないので体でカバー?例えば机の上からジャンプしてくる子供を受け、制限も無く何度も繰り返すしました!若かったですが疲れました。良い思い出になりました。
 殆どのスタッフが住込み、私も併設した建物に寝起き!朝起きるとオムツの山がガラスの向こう側に見え!そこを通り、途中で8個のオープントイレ!便器に腰掛けた子供たちの一番手前の子が!奥の子は顔を乗り出して全員で可愛くグッモン(オハヨウ)キタ(私の名前)可愛く挨拶を!これが毎日の始まりでした。それが楽しみでした(^^♪
 不思議なのが朝食の時に子供たちは争って一番初めに青カビの花が咲き始めの様な黒パンを食べるのでした。他にも白いパンがあるのに、そんなに美味しいものならと食べてみました。やっぱり青カビ?で食べられたものでは無く、舌の感覚が違うとしか言いようがありません。
 デンマークの子供達が可愛いと思ったのは12月入ると、ロウソクに25印が付いていて、毎日1メモリずつ火を付けてメモリを消して、各テーブルでみんなが大騒ぎしていた事でした。リサと言う子が凄くなついて、その子の悩みも聞きましたが殆ど分って無いと泣かれて😓これではいけないと!なお一層一生懸命デンマーク語を勉強しました。

 町の通りの突き当たりに雪が積もったガラス越しに本物のウサギを吊るした肉屋さん!時間が止まったような雰囲気のある町でした。童話の世界のような世界!こんな所いられたのは幸運で良い思い出になりました。ただ施設を去る時に別れるのが辛く「さよなら’も言わず」にみんなに黙って出て行った事を今でも悔いています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする