時代小説を読んでいて’丑三つ時に集合!腕時計があるで無し、その時間にどうやって?仮に夜中にお寺の鐘が鳴っても何時?午前2時から2時30分の30分間が丑三つ時らしい。時の区切り一刻を二時間!これ事態アバウトです。新珍説:武蔵遅れたなり!夜明けに決闘?夜明け前か後か、武蔵はワザと遅れたのでは無い⁉産経新聞に「明治時代に日本に来た外国人が、日本人は時間にルーズだと...」武蔵はやっぱり日本人でした。昔は決められた時間に会うのは不可能です。1つの記事で年来の疑問が解けました。では昔のデンマークに...
8月13日金曜日 曇り一時 雨:相変わらず天気は良くないが、今日は午前中にお茶の時間を持て、ゆっくりと楽しんだのです。
今日は、はげちゃん(済みません!当時そのように言っていたデンマーク人。自分も髪の毛を心配する年になりました)の最後の日で、午後にささやかなパーティーを催しまた。参加者は5人と少なくて、主催者のマスターもついに顔を出さなかったのです。何時もは寝る時間、眠いので目をこすりながら、横の人の話を聞くだけでした。思うと人が、次から次へとデンマーク人が辞めて行くのは給料が悪かったのでしょう。
食事の方法が変わり、一般の人と同じ様に一人一人並んでお盆の上に取ると言う様になりました。一つ以上取るのを避ける為、非常に厳重になったのです。我々が少し食べ過ぎた様です。
食事の時、ずーと見られて全く食欲減退であるが、夜食を篠原氏が作ってくれていたので、その日本食作りの腕前に感謝して、日本にいるのと変わらない食生活を送っていたのです。やっぱり、早くここを出なくてはいけません。
8月15日 晴れ後雨後晴れ:変な天気が続き、今日も又、夜の客が遅れて9時近く迄しっかりキッチンに縛り付けられたのでした。残業と言う考えがありませんでした。雇い主にすれば、最高のスタッフでした。この仕事に見切りを付けなくてはならないと思い始めたのでした。生活もマンネリ化、実にサクバクとしてきたのです。
コペンの生活事態も少し考えないと本来の勉強もダメになってしまうのでした。こんな生活を、続ける為に欧州へ来たのでは無いはずだと思い始めたのでした。
そんな中、仲間の一人が部屋に閉じこもったまま、返事が無いのでした。多分、薬を吸って寝ているに違いないと勝手に決めて、部屋のドアを思い切り叩いたのです。それでもドアを開けないので、色々考えて窓側から入る事を思いついたが無理、やっとシャワー室から入れたのでした。しかし部屋には誰もいなかったのでした。鍵は持って町に出たと後で分かったのでした。彼もユースを去る頃合い、皆が腰掛け、淋しいけれども気楽なこのままの生活で満足できるはずが無いのでした。