旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

814 人は去る(次回更新予定日 9月4日 第一土曜日)

2021-08-21 04:14:42 | 思い出日記

 時代小説を読んでいて’丑三つ時に集合!腕時計があるで無し、その時間にどうやって?仮に夜中にお寺の鐘が鳴っても何時?午前2時から2時30分の30分間が丑三つ時らしい。時の区切り一刻を二時間!これ事態アバウトです。新珍説:武蔵遅れたなり!夜明けに決闘?夜明け前か後か、武蔵はワザと遅れたのでは無い⁉産経新聞に「明治時代に日本に来た外国人が、日本人は時間にルーズだと...」武蔵はやっぱり日本人でした。昔は決められた時間に会うのは不可能です。1つの記事で年来の疑問が解けました。では昔のデンマークに...

 8月13日金曜日 曇り一時 雨:相変わらず天気は良くないが、今日は午前中にお茶の時間を持て、ゆっくりと楽しんだのです。
 今日は、はげちゃん(済みません!当時そのように言っていたデンマーク人。自分も髪の毛を心配する年になりました)の最後の日で、午後にささやかなパーティーを催しまた。参加者は5人と少なくて、主催者のマスターもついに顔を出さなかったのです。何時もは寝る時間、眠いので目をこすりながら、横の人の話を聞くだけでした。思うと人が、次から次へとデンマーク人が辞めて行くのは給料が悪かったのでしょう。
 食事の方法が変わり、一般の人と同じ様に一人一人並んでお盆の上に取ると言う様になりました。一つ以上取るのを避ける為、非常に厳重になったのです。我々が少し食べ過ぎた様です。
 食事の時、ずーと見られて全く食欲減退であるが、夜食を篠原氏が作ってくれていたので、その日本食作りの腕前に感謝して、日本にいるのと変わらない食生活を送っていたのです。やっぱり、早くここを出なくてはいけません。

8月15日 晴れ後雨後晴れ:変な天気が続き、今日も又、夜の客が遅れて9時近く迄しっかりキッチンに縛り付けられたのでした。残業と言う考えがありませんでした。雇い主にすれば、最高のスタッフでした。この仕事に見切りを付けなくてはならないと思い始めたのでした。生活もマンネリ化、実にサクバクとしてきたのです。
 コペンの生活事態も少し考えないと本来の勉強もダメになってしまうのでした。こんな生活を、続ける為に欧州へ来たのでは無いはずだと思い始めたのでした。

 そんな中、仲間の一人が部屋に閉じこもったまま、返事が無いのでした。多分、薬を吸って寝ているに違いないと勝手に決めて、部屋のドアを思い切り叩いたのです。それでもドアを開けないので、色々考えて窓側から入る事を思いついたが無理、やっとシャワー室から入れたのでした。しかし部屋には誰もいなかったのでした。鍵は持って町に出たと後で分かったのでした。彼もユースを去る頃合い、皆が腰掛け、淋しいけれども気楽なこのままの生活で満足できるはずが無いのでした。
 



 


 

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813 福祉の勉強は? (次回更新予定日 8月21日 第三土曜日)

2021-08-07 05:30:01 | 思い出日記

 何の心配も無い如く座っています。一枚の写真で色んな事を思い出します。漢字は一字で大体の意味が分かり、平仮名、カタカナと文章を縦にも横にも書ける。それらが現在の日本人の特性に大きく影響を与えたに違い無し⁉しかしPCやスマホに慣れて横書きが主流、それどころか書く必要も無くなっています。初めてタイプを使うのを見たのが、この旅で学生の時。勿、電動ではありません。40年程も前に弊社の米国のVPの書く字が力無く弱々しかったでした。日本人もその様になると... 仕事で PCを 使う必要が無くなった今、二万円以下の中古を三台。値が高いウイルスバスターより三年持てば安い中古品で十分。八台以上のPCは既にゴミに!スマホは万歩計以外に利用方が無い!そう言っていた人が亡くなり、まさか自分がその様に!そんな事は考えもしなかった頃の話を...

8月11日 雨のち曇り:朝、郵便物を見るのが唯一の楽しみでしたが、今日も手紙が来なかった。他のみんなは、日本から着く郵便物には無頓着なので少し驚きました。
 午後から来たデンマーク娘エッテが微笑み掛けたので、こちらも微笑み掛けると戸を閉められたのです。残念ながら、脈なしでした。オーナーMr.&Mrs.ハンセン(今回、名前が書いてあり思い出しました)が帰って、この顔と毎日顔を会わすかと思うと気が重くなりました。アメリカ娘クリスは、沖村氏と意気投合したようでした。
 夜は、何時もと変わらずにドイツ語の勉強を、そこへイスラエルのイケイケギャルが入って来ました。その余りのハチャメチャぶりにその場を早々に抜け出しました。

 8月12日 曇り:休みと言うのに早くから目が覚めて、そして今日も手紙が無い!諦めていたら京都からお茶が着いたと土屋氏が大声で伝えてくれました。昼食後、みんなで飲んだのですが、はげちゃん(デンマーク人)が何度もお代わりをしていました。(硬水、軟水の違いがあるのでお茶は海外に持っていくのは進めません。)
 午後、ウオシヤルミニストリアムを訪問、2-3質問したが、分かり難いので帰る事にしました。(何て事を!福祉施設だと思うのですが、実に簡単に諦めていました。)
 久々にクヌードサン宅に朝電話を掛けましたが留守。もう一度電話をした結果、7時に会う約束。約1時間程かかりましたが、どうにか家にたどり着きました。
 彼の家族が全員そろっていて、家の中は人で一杯でした。特に娘がパキスタン人と結婚してその旦那も!そもそも、私を息子の如く接していたのも、同じ東洋人の娘婿の存在があったからかも?
 映画の話に花がさいたが、私が全く福祉の勉強して無い事を改めて感じました。原点に戻って考え直し、もう一度、福祉施設の就職を頼む事にしたのです。結果は分からないが問い合わせしてくれると約束してくれたのでした。帰りは車で送ってくれたので、楽に帰れました。この家族に会った事が、後々も会う人々が幸運を私の人生にもたらしてくれました。

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