旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

500 灯籠流し(毎週土曜日に更改しています)

2016-12-31 05:07:35 | ブログ
このブログも区切りの良い年末に丁度500回、これも読んで下さる皆さんのお陰と感謝しています。単純計算で1回あたり1,000語であれば少なくみて50万字以上あります。実際はもっと多く、ちょっと疲れたかな、良く書いたな、良くここまできたなと思いました。久々にアクセス数を確認すると1週間になんと1113。末尾を端数でいうと本物らしいと友人の詐欺師に近い人が言ってましたが本当の数字です。

 丁度、番組で「長崎はお盆は派手に花火屋で」。先日、いささか古くなった本、さだまさしの「灯籠流し」を読みました。初め歌手の書いたエッセイ集のような本であると、しかし、違っていたのです。すらすら読んで、普通の小説として読み終わりました。

 高校時代に既に亡くなった先生が、古典の教師が何故そのような話になったか忘れて分かりませんが、当時、人気抜群の加山雄三の本について語ったことがありました。そんな所が先生が好きな理由一つで亡くなる迄、気楽にお付き合いをして頂いたと思います。
 その当時、休む間も無く公演で日本中の人気を独り占めしていた加山雄三。先生も若く、本を書いた時の加山雄三のスケジュールをチェックしました。その結果、授業の中で、忙しく書けるはずがないと断言していることを思い出しました。そこでゴーストライターの説明を。

 口述すれば、それも可能です。いずれにしてもゴーストライターがいたという事です。「灯籠流し」の中で、兄弟の事、それと原爆を最初、京都に落とそうと計画があって、小倉に落とそうとしていたのですが、天候の為、長崎に落としたと書いていました。広島よりその破壊度は広島より大きく、山がそれを小さくしたという事です。それは長崎人として人間として、どうしても書かなければいけないと思ったようです。初め京都に原爆を落そうと、そうすると私の人生も無かったのでした。
 
 自分史を書くとすれば、泣き虫で弱虫、何の才能も無く、ただ優れているのは、その美貌だけ??でも、その美貌も年をとれば容色は衰えていく、そうなったら何もありません。50万字以上書いた人間が、つまらない自分史を書くと言うと大変難しいです。それなのに良く付き合ってくれました。 
 
 未だに後悔するのが、父親が家の歴史を大きなテープレコーダーに夜寝る前に取っていました。当時高校生の私は、我家の成り立ち等、初めの方を聞き、そのテープを縁起が悪いと加山雄三の音楽を被せて消しました。それが悪いと分かり後でもう一度テープに入れて欲しいと願ったのですが...本当に済まないと感じています。

 いつまで続くか分かりませんが、来年も宜しくお願い致します。
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499 元気ですかー!(毎週土曜日に更改しています)

2016-12-26 19:33:07 | ブログ
 私が社会人になった頃、印刷の紙の色がまるっきり変わってしまって茶色になって皆さんがまず読まない松本清張の文庫本を読みました。その中で、死体を見た人が「年齢60に近い老人に見えた」「こないな年寄りが、なんで死ななあかんのやろう」現在の感覚で言えば、御免なさい、私の感覚で言えば、なんで60歳が老人に近い?こないな年寄りがと時代の違いを感じます。本自体は時代を超えて面白いですが、60歳が年寄りだったのですね。こだわりますが、世間一般では、60歳が年寄り、やはり還暦を基準にして自分でも信じる訳にいけないですが、私も立派な年寄りです。

 元気であれば何とかですが、猪木さん間違っています。年とっても元気だけではダメでーす。元気一杯で痴呆症、一番困ります。夜中に徘徊して帰る所が分からない人がいます。家族がその徘徊について回らなくは、こんな状態はいつまでもご本人が続けられるはずです。徘徊して、交通事故、はてまた、電車を止め、事故を起こしたりして社会問題までになっています。

 今、ホームでそのような人が元気に大声をだしたり、帰る部屋が分からず、他人の部屋に入って行く為に各部屋戸を閉めています。朝早くから各部屋で体温、血圧を取らなくてはならないのに全戸が閉めてあって大変です。

 私はそうならない様に、ある人に薦めれれて朝に日清ⅯⅭTオイルをスプーンに二杯を飲んでいます。その他、特殊な香りを朝と夕に付けていますが、効いたか効いていないか不明です。いずれは効果あると、なんでも根気が大事と良いと言われれば続けています。

 長時間歩くと足の付け根が痛くなるので困っていました。ずーと前に整形外科医に診てもらっても治らず、日常生活に困る訳でも無いのでそのままにしていました。この前京都を歩き回って同じように痛く、薦めれれて整骨院に行きました。そこで長時間歩くと足を引きずって歩くと言われて今、気にして歩いています。

 それと涙もろいのがどうしようも無く、岡田ファンの私は隣の人に気づかれないかと思う程、映画「海賊...」を見て涙を流しました。年取ったメイクも素晴らしく、そして堤真一も声を聞くまで分からなかったす。
 ショックだったのは、シニア料金を支払う時、初めて証明書無になった事でした。帰りに知り合いが3歳位の孫を連れている人に会って、その孫に、「お爺さん」と言われた事はダブルでショックでした。しかし、この孫の場合、おねえちゃんが小学生でオバサンが20歳であるに違いないと思い一人納得しています。
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498 時(毎週土曜日に更改しています)

2016-12-26 19:26:57 | ブログ
 人間すべてに公平に与えられているものに時があります。時間が過ぎるのが、すっごく早すぎるからといっても、時は富んでる人にも貧困な人(私も入るかな、しかし、心が貧困な人は別です(=_=))にも同じようにどの人にも1秒は1秒であるはずなのです。

 公平というと何か違いを感じます。時は残酷にも、人によっては早く感じ、遅く感じる事になるのが不思議です。100㍍を10秒を切って走ろうと頑張っている人がいますが、100分の1秒がすごく長く遠く感じていると思います。
 バイト先で、タイムカードを押す時、着時間は早く、帰る時間は遅く感じたるようになりました。子供の頃は、運動会、遠足が凄く待ち遠しく思った事を思い出しますが、夏休みは早く終わったと思います。最近一日1週間が、非常に凄く早く感じるようになりました。
 
 会社を退職してから、崖から石が転げ落ちていくように時が過ぎていくのが早く感じます。どんどん時間は過ぎていきます。特に老人ホームで人と接していると、死と言うものが現実に近くに感じるようになりました。ついこの前まで、時と死を結びつけ無かったのですが最近周りに亡くなる人が多くあり意識せざるを得ない状況になりました。前の項で、4半世紀前と言ったのは間違いで、半世紀前とは50年、私自身半世紀以上生きている事に驚いています。半世紀前とは私の人生においては辞書に生きている間にあるとは思えなかったです。

 老人ホームのバイト先で、沢山の人の死と関わっていますが、それはある意味分かりますし、皆さんも分かって頂けると思います。しかし、同じようにバイトしているマンションの方で私に親しくしている方達が、信じられないど多く、良く知っている方だけで、もう6人もお亡くなりになりました。それと親しくしたマンションに送り迎えする人、もう直ぐ命日です。

 その中で若く清廉潔白な市会議員、年何回かイタリアから娘さんが訪れて来る人のお母さん。特に驚くのが、ついこの前、「父が亡くなりまし出入りする人が多くなりますが宜しくお願い致します」との挨拶。でもどの方かハッキしませんでしたリ。どう考えても4、5日お目にかかっていない人かなと思ったけれど、元気だと思っていました。挨拶するだけでしたが、未だに信じられない事でした。

 神はそれぞれに「一生」という貴い時間を与えたました。そして、それぞれに「生きる」というかけがえのない力を与えたもうた。「今は生きるんじゃ今を!」今の積み重ねが未来となる。その今しか無いと思うのが私です...

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497 記憶(毎週土曜日に更改しています)

2016-12-10 03:54:04 | ブログ
死なない人間はいない。それどころか生きるもの全て確実に死を迎えると言えます。お金で取り戻すことができないものを奪われてしまう程悲しい事はないです。

 一年前に親の年金を受け取る為、その死を隠して親の年金を騙し取っていた人の事を書きました。それが可愛く見える程の事件が多発しています。余りに次から次へと、上村遼太くん(13)が深夜多摩川河川敷で殺害・遺棄された事件を忘れれないで下さい。ただ記憶に残っている人は少ないと思います。偉そうな事を言っていますが、僚太という名前を、記憶しているだけでした。改めて川上と苗字を記憶から思い出しました。良く残酷な事をするものができるものだと思っていました。

 ここに来て先日、鈴木流聖ちゃんが車の中で発見されたのですが、今や残るものは写真だけで、それも愛くるしい姿、親族に撮られたものでした。そんな子を死に追いやった2人。未だ、その真相が分かっていないので、推測ですが、言葉も話せないあどけない幼児を親の勝手で殺してしまったと思っています。
 泣く事しか抵抗できない、空腹で、その事も出来なくなって、人でなしとしか言いようがありません。まだ、事の善悪を知る前の幼児を、若さの過ち、間違いで殺されては、本当にどうしょうもありません。涙が出てきます。他人でもこうなんです....

 ただ、忘れるという人間の記憶というものは、悲しさを和らげて、時として優しくなるものです。誰かの記憶に残して、自分が確かにここに存在した足跡を残して消え去りたいものです。まあ私の場合、無理でしょう。良く孫子の代迄といいますが、いずれにしても2-3年したら忘れ去ってしまうでしょう。だから、生きている今が大事と思っています。

 小学生の頃、作文に将来何になりたいか書きなさいといわれ、自分が何を書いたか自分の事は忘れてしましました。同じように他人が何を書いたかまるっきり忘れてしまいました。一人記憶に残っているのが、「普通のサラリーマンになりたい。」と言った村x君の事でした。
 そのように思う人間はいなかった、当時はまだまだ庶民の学校でサラリーマンとは面白さを狙ったとしか思えませんでした。クラスの中でも老舗の麹を作る古い家で、家にはオクドウサンが8つもある大きな家で、その彼は、何があったのか自殺をしたと聞きました。世の中分からないものです。

 今年も年末、送らなくても良いと思うのですが、年々増えるのが喪中はがきのハガキです。皆さん元気に、間違い、元気だけではダメです、健康に年を越して下さい。
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496 厚切りジェイソンから(毎週土曜日に更改しています)

2016-12-03 04:18:32 | ブログ
 漢字を読み言葉の核とする仮名もじり文がどれほど日本語を情報量の豊かな言語に言語にしてくれたか、受け売りになりますが、読書で脳の老化を防ぐことができるきる、読むという行為は言語能力を高めるトレーニングとしても圧倒的に大事なことです。

 日本字の看板、のれん等は縦に書いても横に書いても、左から右からでも普通に読めるという変わった文字です。素晴らし文字といつも感じています。
 
 日本も少しづつ変わって来て、半世紀?以上も生きると、まるきり変わったと思います。外国の人がテレビに出したのが、巨泉さんが初めてと先日伝えてました。最近、厚切りジェイソン、日本語の疑問に「Why Japanese People?」と絶好調でツッコミを入れるネタでブレークしているので知っている方も多いと思います。彼が朝日新聞に語っているいる話が面白いので紹介します。

 漢字は覚えるのは大変ですけど、漢字から意味を推測するのは便利だと言っていますが、その通りだと思います。でも、「来年」「来月」「来週」ときて「来日」、思わず「Why Japanese People?」と聞こえてきそうです。
 彼が難しい漢字を扱うと、観客が意味を理解してくれず、笑いにつながらないと言っているのが面白いです。私より日本語をしっていると思い、もっと勉強しなくてはと関心させられます。私が知らな過ぎるかも..彼は、アメリカにいる時は、日本語を使って日常生活を送り、映画も本もなるべく日本語で見たり読んだりしたそうです。まあ、頭が良かったのですが、米IT企業法人の役員とお笑い芸人と活躍するのは分かります。凄い外国の人が出てきたものです。

 同じく新聞からビニール傘、安いから、視野を妨げない、なくしても惜しくない等々。使わない人は壊れやすい、長く使い続けられる、安っぽい、それどころか「ビニール傘をさす位なら、雨に濡れて行く」と言い切る強いアンチも、ただ、最近は英国女王使っています。値段もピンキリで高級なものは8千円を超えるものがあるというので驚きです。

昔、欧州にいた頃、雨降りに軒から軒へ雨宿などせずに普通に歩いている人を見て驚いたものです。最近の若い人は同じ様にしているのを見てやっとその理由が分かりました。私が通勤の時に、雨に濡れても平気な表情で歩いている人を見て、ビルには軒が無いと気づきやっと半世紀程前の謎がやっと解けました。やっぱり京都で育ったと思いました。



 
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