旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

369 「ここまでわかった ボケる人ボケない人」

2014-06-28 04:11:19 | 思い出日記
 かたくなな老人でなく、環境に応じたしなやかに変化していく老人になるように努力していこうと思っています。たまたま本棚に私の為にあるような本が、さりげなくありました。その文庫本「ここまでわかったボケる人、ボケない人」集英社は、是非読んでもらいたい本です。
 ボケの研究はまだまだですが、早くに考えるに越した事が無いそうです。著者のフレディ松川さんと言ってもコメディアンでなくタレントのような名ですが、医学博士が書いた本です。
 そもそもボケる遺伝子を持っていても、最終的にはボケない人もいれば、その遺伝子を持っていなくてもボケる人がいると言っています。

 私の場合、良くある事ですが、二階からトントン降りて行って、途中で思い出して、あれもこれもやった後、最終的に「今、何をやろうと思ったのか?」と、しばらく考える事。出かける時に、「エアコン切ったかな?」というのは物忘れであって、健忘症はボケの始まりでは無く、健康でありながら忘れるというもので、年とともに、この様な事が増えていくのです。痴呆症では無いとの事でしたので安心しました。
 年寄りが同じ話を何度もする「この話をこの人にした」、これも余り心配しなくても良い事と、短期の記憶が悪くなっているだけだそうです。何度も同じ話をする、それだけ鮮烈な記憶として残っているから、繰り返して話をしたがるのです。最近起こったことを記憶するの力が弱くなっているから、しっかり刻みこまれた記憶だけ思い出されるのです。生理的老化現象であるから心配する必要がないとの事で、回りにうっとうしいと思われるだけです。

 ボケの初期症状で最も多いのは「何度も同じ事を聞く」であると書いています。今聞いたのに、五分後に「お名前、言いましたっけ」というのは、ボケる可能性が高くなっているというのです。ボケとは「粗大なる記憶障害」。例えば、今食べた事を忘れてしまったり、5分前に風呂に入った事を忘れたりする事。ズボンの上にパンツを履くといった感じです。普通の人なら決して起きない記憶障害であると書いています。
 この本、私の場合少し読み遅くれましたが、早すぎると実感が無いかもしれないです。でも早ければ早い程出来れば50歳前半で読まれると良いです。 

 新しいものを覚える能力は若い頃よりはるかに衰えます。これを避けるために、賢いお年寄りになる為に、用も無い事を覚えない代わりに自分の趣味だとか教養だとかに役立つ知識は覚えようとする事が良いらしいです。
 
 現役時代に「休まず、遅れず、働かず」と来た人は注意が必要であると書いています。自分の場合でいうと、今日の心配、明日の心配、その後の事が心配、それを忘れて明日又繰り返すばかりで、未だボケる余裕がないのも困ったものです。
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368 中途半端な関西人 

2014-06-21 05:53:39 | 思い出日記
 成田で散歩している時にラジオで「神戸YWCA」が外国の人に分かる様に教育目的で大阪弁のCDを紹介していました。凄く面白かったのですが、先日、産経夕刊1面半分の記事になっていました。日本語学校で習っている学生が、町に出て、みんなの言っている意味が分からからない、教室で習った言葉を話していないといったことです。例えば「おいくらですか」が「なんぼ」と、戸惑う事が多くあったとの記載でした。
 そういう人に分かってもらう為に作ったそうで、真面目なCDでした。でも面白くて真面目と思えない程です。なんでも、公的な場で方言を話すのは関西人だけらしいです。

 別な話ですが、昔、大阪弁を標準語にしようと頑張った議員がいたという事です。そうなったら書く時に又苦労が行ったと思います。大阪弁が広まったのはその昔は元禄、大正時代と言われ大大阪と呼ばれます。そしてテレビで今の吉本言葉が標準化して又、関西弁が広まったように思います。
 関西弁といっても色々..大阪弁 「よう~せえへん」、船場言葉 「できしまへん」、京ことば 「でけしまへん」と、これだけ違うのです。関西人的に標準語で言うと「出来ません」やっぱり愛想無いように思います。

 かなり前になりますが、人に言われてもの凄く一番ショック受けて驚いた事があります。京言葉を知っていると、その人は言いました。なんと言葉の最後に「け」を付けるのが京言葉といわれた事です。
 例えば、「いこけー」=「行こうか」、「ええやんけ」=「良いね」と何にでも「け」を付けるのです。そう言われるのは分る程、男言葉で普通に使われています。伸介さんも良く使っていました。それは京言葉はのんびりしていて、所謂かったるい言葉になりますから、男らしく言う為に使っているのです。私は、そう思っています。

 親から「け」を付けるのは近江弁で、ガラ悪くなるから(済みません滋賀の人)使ってはいけないと言われました。それが間違っていないと思ったのは、母親が入院している時に隣のベットの人が滋賀坂本から来ている方で、お見舞いに来る人は驚く事に女性も皆、「け」を付けて話をしていた事です。

 今、自分の話している言葉を正しく直す人がいないので、正しい京言葉を話したいと思っても確かめようが無いのです。この前のブログで書いた『かど』(かぁを強めに、角ではありませんが書くと難しい)が表、家の外という意味で合っているのか自信が無かったのでした。色々調べてやっぱり京言葉でありました。例を、(手)て → てぇ てぇだるい(目)め → めぇ めぇ疲れた(気)き → きぃ きぃ付けよしや (胃)い → いぃ いぃ痛い(歯)は → はぁ はぁとれた こんな具合に、使っていました。今もかも知れないです?

 親がどのような言葉を話していたかもっと注意深く聞いておくべきだったと思います。子供の頃、話していた言葉がどのようだったのか知りたいです。皆さんもご両親の言葉を忘れずにいて下さい。

 方言とは良いものです。


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367 「寡黙なる巨人」

2014-06-14 04:38:10 | 思い出日記
「人の命は70年、長くてもせいぜい80年」という詩が、旧約聖書の詩篇、第90篇に歌われているという。戦前の平均寿命は50歳未満だという事で、それより何時の事が分からない程ズーート昔に、良く70年も生きる事を考えていたなと思います。

 今の50歳と言うと、やっと人生の峠にさしかかった時です。その峠で終わりと思ったら、その向こうに又山がそびえたち、その向こうにもまだまだ山は続いているのです。私の場合、1つ目の峠で終わりと思っていたので、下り坂をばかりを歩いていて森の中に入ったままで山も見えない状況です。

 思うに昔の事は、凄く良い所、悪い所だけイメージとして残っていると思います。何をやったかと言う小泉元首相の改革です。イメージが先行して、今や凄く良さそうだったと勘違いします。前置きが長くなりましたが、それを思い出す為に、「寡黙なる巨人」免疫学者で東大名誉教授の多田富雄著の本を紹介したいと思います。

 脳梗塞で一命を取り留めた著者が、今まで生きてきた自分とまるで違う自分、食べられない、もちろん話せない、それは昔の自分が回復したのではなく新しい人「寡黙なる巨人」に生まれたと綴ったものです。是非読んで貰いたい1冊です。

 死線をさまよった後、三日後によみがえりましたが、その状態に絶望して死を考えたそうです。その後、片方だけ動くようになった左手で一字一字文字を探して打ち込んで約5ヶ月をかけて書いた本です。
 
 そのリハビリに励んでいる時に、小泉改革で障害者のリハビリは最長でも180日に制限する「診療報酬改定」を2006年に開始しました。改革の名を借りた医療の制限であり、都立病院では約7割の患者が治療を打ち切られたと記載がありました。患者の中には、機能が落ちて寝たきりになり命を落とした人もいるという事です。
 制限日数を超えた患者は、介護保険のディケアのサービスを受けろという通達が出されたが、介護保険では医療とリハビリは受けられない。リハビリは未だ医療と認められずに、医師や療法の処方がないから、‘リハビリ難民’を増やし続けました。

 この様な法律改正があったとしても政治には無関心であって、具体的に被害を受けていなくても、もっと真剣に考えるべきでした。議員は自分達の食い扶持、議員数を減らし出費を少なくすることを後回しにしました。それを一番急がなくてはいけないのに、不安をあおり憲法の解釈変更、それに隠れて配偶者控除を失くし、またまた消費税を上げるという暴挙にでようとしています。

 こんな世の中ですから、ますます住み難い世の中になりそうです。そうならない様に、他人事ではなく今何ができるか、何をしなくては駄目なのか、これを読んで下さっている皆さん、微々たる人数ですが、みんな共に考えましょう。この本「寡黙なる巨人」から学ぶことが多くありました。
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366 中途半端な大阪人

2014-06-07 06:01:33 | 思い出日記
 「関西人でしょう?」と言われたら、大阪の人間は「分かりまっか、やっぱり誤魔化せまへんな」、京都人は「そうどす、京都です」と京都を強調します。京、神戸は大阪に凄く近くて遠い、日本と中国の距離位い違う、大阪と一緒とはしないで欲しいと思っています。せっかちで柄悪いと嫌がられているのを大阪人たちは知りません。自分達は愛されていると勘違いしているのです。今は違いますが、私がそうでした。実は大阪そのものも良く知りませんでした。

 大阪の一番良いところは、探さなくても飲み食いが安くて済というところです。京都は、今回イタリア人を案内しようと食事する所を探しましたが、最近チェーン店が増えて安くなったとはいえ、まだ高いので二の足踏むところが殆どと言えます。

 関東の人は関西人と、大阪京都神戸を同一視しますが、そもそも近畿が関西と一般的に言われたのは遠い話ではありません。畿とは帝が住んでいる所で、近畿とはその近くということです。英語でkinkyと言うと余り良い意味で言われていないという事もあって世界に発信するにはいけないのか、養殖まぐろで有名になった近畿大学も、近大を前面に出したという事を聞きました。

 私(豊中)の周りに「そうでっか」を使う大阪人はいませんから、そんな大阪人はいないと思っていたら、天然記念物のように、やっぱりいる所にはウジョウジョといたのです。吉本言葉を大阪弁と思っていたら間違いで、さんまさんは奈良ですから、それとは違う船場言葉は優しくて良い言葉です。古い映画ですが、市川雷蔵の「ぼんち」を見てください。

 豊中で人生の半分以上住んでいて、娘は「そうでっかは言いませんが」立派な大阪人です。私も成田で生活を暫くして自分的には標準語に近づいたと?と思っています。残念なのは、今や京都に戻っても両親が使っていた京言葉を思い出せなくなりました。

 関西のコナモンには軟水で硬度が低くまろやかさは、昆布のうま味を引き出すだし文化がベースにあると言われています。それに比べて、関東の水は悪くてそれが濃い味になったと言います。江戸時代は地質がもろく、ぼろぼろ崩れる火山灰地なので直下へは掘りさげれない。質はやけに悪く、たいていは強い金気を含んでいる。濁って飲み水には適さないし、海辺に近ずくと塩気がさす。辛い井戸水がでたと悪い話ばかりです。江戸時代は水売りが商売になったとかで、そのせいで、味を濃くしてといわれてます

 しかし、大阪ではお好み焼きにはどろソース、マヨネーズを付けますので、関西は薄味と言うのはどうかと思うのです。何故かと考えて、大阪は埋立地が多くお江戸と同じように水が悪くて、昔はお江戸と同じ様に京都から水を買っていたそうです。この辺も底辺にあったのか、さっと昆布敷いたお湯に通す水炊きが一般的になったそうです。とりあえず鍋物が多彩です。水炊き、寄せ鍋、すき焼き、うどんすき、てっちり、ちゃんこ、各種チゲなどが一般化しています。ポン酢消費量が全国で一番多いとも納得します。

 話があっちこっちいって、今日もとり止めが無かったです。ごめんなさい。
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