生きている間に多くの言葉が死語に?赤電話、公衆電話BOX、便所はトイレに!「落とし紙」はトイレットペーパーに!何処の家にもあった座布団、昔の人は足腰が強かった(^_-)-☆でも正座が無くなり便座があるトイレは大助かり!(^^)! が、偶に正座で危ないドスン座り!栄養が行き届き見なくなった団子鼻!禁止用語?100貫デブは、見方が変わり美人になりました。風呂屋に行くと貫表示の体重計がありましたが、そもそも貫の意味が不明に(';') それやこれやと自分も古い人間になり(とっくにナっているわ(#^.^#)済みません)明治前に生まれた人は大変だったと想像しますが、その大変さを新時代を味わっています。スマホ時代は人の動きを変えました。小学生にも使えるスマホは持っているだけです。何年か前に電話を!その人が良く電話を掛ける人と言う生活。考え無くてはならないのが死語で無く死後でした😌私にっとっては。古き良き時代’70年代のデンマークの冬では、...
1月17日 時々 雪 初めての雪でした。いよいよ冬、北欧の冬です、ほぼ一日で全くの冬でした。しかし、京都の家から出た者にとっては当時のデンマークの家は驚く事が多かったのです。
今なら普通の事ですが、私の知っている家は何処でもセントラルヒーティングだったのです。オーバーの下はTシャツが普通でしたので、京都で掘りごたつ(本物です)で、石油ストーブがある(それも勿体ないので殆ど使わない)、隙間風が吹く家に育った者としては夢の様な暖房でした。
こうも寒いと外に出るのが億劫(私の服装は日本人対応)になって、警察に行かねばなくのも気持ちが萎えてしまうのでした。警察の中は人人人と溢れかえっていたのでしたが手続きはいたって簡単で、3月1日までいられる事になったのでした。
これで、一安心となったので、カールスブルグ美術館に行って美術鑑賞と洒落たのでした。ここで、居候(?)に会い、彼がユースを今日出て行く予定が、雪の為に明日に延ばしたとの事であった。彼はアフリカ帰りと一緒に仕事を探しているといるというのでした。他のユースで働いていた人たちはユースを出て行ったとも聞きました。
靴を買いたかったので、イースターガードを歩いたのですが、適当なのが見つからなかったのでした。仕方無くオフィスに帰ったのでした。
オフィスでベントに最後の別れを告げその後、ベッティとビールを飲んで雑談したのでした。良い思い出でした。
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