旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

778 ヨーロッパを目指して(2009/10/09第2話添削 )次回更新予定 第一土曜日2月1日

2020-01-26 16:59:57 | 
1971年6月、一人の学生が横浜から船でソ連のナホトカへ、約2週間後、フランクフルトで京都人に会う迄、京言葉を話す事さえ知らなかった私でした。欧州、そしてアメリカと世界一周して約2年後帰国。親、兄姉に頼りきっていた人間が、この旅が一生を決める事とは...
 当時は高額で航空機利用は考えられず、安い船でオーストラリアに行く予定でした。折悪く郵船が運行を停止、計画を変更してソ連のナホトカ迄船で欧州に行く事になりました。
 大学を長期間休むなら退学しなければならなかったので、休学手続きを、理由付は福祉の勉強で北欧スウェーデンへ。全く、いい加減でした。当初二人で渡航するつもりで計画を、結果一人旅になりました。
 旅費はバイトで、高校の友人が26,000円の月給で働いている時に、月平均60,000円、夏と冬は阪神百貨店の配達で、その他は短期で色々やりました。面白かったのは時代祭で宮川町に雇われた女絵巻物で旗持ち、1日1,400円昼食込み、70年の万博ではガーナ館で、手取り額が良い死体の処理以外何でも、今や貯めるのが難しい80万円を手に旅に出ました。
 海外持ち出しドル枠が500ドル、出発時に1,200ドルなり、1ドルが360円。日本に帰って来た時が、1ドル305円になっていました。50年前の事で日本円の海外持ち出しは確か3万円?今や余りに低いので不確かです。
 何年も経ってクレジットカードを初めて得たのが航空会社で働く様になってからでした。義理で入った近畿日本ツーリストのキップスカード、今や誰でも持っているモノだとは想像もできない時代でした。
 続けて余談ですが、クレジットカードを使うようになって、カード会社から「昨日ダラスで2度20万円を使ったか?」と自宅に電話がありました。まだカーボン用紙を使っていた時なので色々ありました。渡航前、YMCAで英会話??護身として少林寺拳法を?これは役に立たないで「生兵法は大怪我の基」を肝に銘じる事もありました。
 出発は横浜からで、当日、母と東京から来てくれた兄が送ってくれました。母が横浜のホテルで荷物を運んだボーイにチップとして千円手渡したのには勿体ないと思ったのを覚えています。
 何も知らないから、又、何も知らずに良く旅に出たとツクヅク思います。目の前の事しか考えていない、何も知らない事が強いってあるんですね。若いってつくづくいいものだ、又、怖いもの無しだと実感しています。
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 競え誇れる能力があると自認しています?その能力、忘れる力をこの頃、限りなく発揮しています。その昔の時々のメモが何処に行ってしまったのか?探す気力も無く第一話を読み直してみて、忘れないようにとブログにしました。が、退職後高々10年経つと忘れてしまっていることが多く、又、思い出す事も少しありました。山僴居(さんかんきょ)さんからの「旅行話をもう一度!」との後押しもあって、有難く再度、添削して新シリーズとして再度書く事を始めましたので宜しくお願いします。
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777 謹賀新年 (次回更新予定 1月18日 第三土曜日) 

2020-01-04 06:19:09 | ブログ
「親死に、子死に、孫が死ぬ」正月早々何を? いつまでも頭に残っている50年以上前の兄の結婚披露宴での祝辞です。まだホテルで披露宴など稀な時代でしたが、父親は良く頑張ったと今、思います。
 目出度い席で「死ぬとはどうゆうことだ」と、「では、あなたは、孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬの方がいいのですか」と聞き返し、ますます怒って帰ろうとする商人に、「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。これほど目出度いことがあろうか、これが逆になったらどうする」と、さとしたそうです。これが一休禅師の言葉と知ったのは後々のことでした。
 「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもあり、めでたくもなし」毎年この時期に思い出します。これも一休さんが...これが現実なのに、マダマダ先と高をくくっている自分にやっとやっと身近になった気づきました。
そこで若い気持ちを保つ為に何か新しいことに挑戦ですが、スマホさえ使いこなせないです。この文明の利器を使いきれない、それを使う必要ない。淋し事ですが、たまの家族からのLINEを見逃す自分に焦っています。
 金さん銀さんが「100歳100歳」と、今や60、70才代の人が普通に100才が寿命になるかもだそうです。年寄りが今でも町に溢れているのに平均寿命が100才迄、これ程伸びるとは考えずに年金制度を今なって再考、そして保険料も値上げ、ここに於いても70才代が問題です。なんでも時代の先端を行く世代です。
 今年は、どうにか良い年を幸いにも迎えられました。それを幸いにと言う年になりました。この表現は、全ての人に通じる事であると気付いたのは、最近の世相です。ニュースでの災害、事故、殺人等ある中で、今頃遅いですが先ずは、今日一日無事にすましたことに感謝しなくてはなりません。 この頃は数え年と言わなくなったので、まだまだ去年の年のままです。今日初めて来年が自分の干支と知り、後何年生きられるのかとの年になっていました。
 退職して、あっと言う間も無く定年後10年が過ぎました。「年齢と時間は反比例」です。ものも言えない一つの子が10才に、まず30年生きる事を目指します?その時間が限られた中、縁起のよい奇跡のような777話で新年を迎え、皆さんに良い年でありますように。
今年は山僴居さんのアドバイスもあり、以前の旅行記も再度添削してこの場にみなさんに紹介したいと思います。今年も宜しくお願い致します。
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