旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

412 上村僚太君

2015-04-25 04:27:48 | 思い出日記
 その死から2か月が経ち、この名を聞き、そんな人もいたかと思うほど次から次へ、余りに凶悪事件が多くあります。被害者関係者には申し訳ないですが、個々の名前など直ぐに忘れてしまう程です。

 どんどん時は過ぎていくので驚きますが、法律を変えることになった酒鬼薔薇聖斗、「さあゲームの始まりです、愚鈍な警察諸君...」1997年に起こった事件。現在ネットに顔写真があるので驚きました。2001年に附属池田小事件、2012年に尼崎市で発覚した連続殺人 死体遺棄事件、そしてイスラム国に処刑...次から次へと凶悪な事件が起こっています

 劇画の世界の事が本当に現実になって来ました。つい2か月も遠くなる13歳の上村僚太君、可愛らしい子が殺されたのが昔になりそうです。先日散髪屋で雑誌を見ていて名前を思い出しました。寂しいものがあります。その雑誌には川崎市が特殊な地域と見なされていました。
 写真を見るとかわいい盛りのような13歳、片一方目の周りが青くなっているのに笑っている姿には、私だけかも知れないですが、可愛そうでしかたなかったです。

 何も殺さなくてもいいのに、私が同じ年の頃、仮にそんなことが起こっても、脅して殴られて終わりだったこと、殺すまではいかなかったと思います。そんな残酷な事がほぼ毎日のように起こっています。川で泳いで逃げると判断ができたのですが、恐ろしくてそれも出来なかったのかと思うと悲惨です。

 遼太君の通夜でのこと。 参列する人が集う中、信じられないような出来事が起こってしまいました。 参列していた50代の女性が・・・ あろうことか、 上村遼太君の母親にビンタしたというのです! 通夜の最中にですよ? 誰もが目を疑ったことでしょう。 通夜でなくとも驚くことではありますが・・。その親の顔を見てみたい、私も雑誌を読むまで当然だと思っていました。

 雑誌によると朝昼は看護師、夜はホステスと親も必死に生活と家族を守って来て、僚太君も母親のいない家族を良く支えていたそうです。この場合、どうして加害者がどのような暮らしを送って来たか話題にならないのか、報道を考え直さなくてはならないと思います。このような人間が溢れ出て来るのか、最終的にイスラム国と言う風に国家を作る形になるのかと思います。

 事件が起こると、そればっかし、昔、中学で窓ガラスを全て割られた事件がありましたが、学校でやるのはあいつと思っていたのですが、何も報道されなかったです。報道をするという事は良し悪しで、模倣するバカが現れるとなるのが現在です。神社仏閣に油をまくのが報道されていますが、これも模倣犯が出なければいいのですが...
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411 お誕生日おめでとう御座います

2015-04-18 03:51:51 | 思い出日記
 80歳と聞き、もうそんなお歳になられたかと驚いています。私もそれなりに年を取って行くはずです。

 ご一緒に、ペンシルベニア州のアーミッシュの人たちが住んでいる地域に行った時に、途中の古い素朴なアンティークショップに行った事がありましたね。その時に、このお店を店ごと全部買いたいと言われた事をいつも思い出します。その時は、軽く思っていたのですが、年と共にもっと詳しく注意深くそのお店を見ていたらと悔いています。
 それよりモット驚くのが、年を事を考えると、あの時の貴方は、今の私より若かった事が嘘のように思われます。「光陰矢のごとし」より「光陰、弾のごとし」となりました。

 貴方がこのブログを見ておられると知って喜んでいます。ここで紹介した80歳と言うと、エベレスト登頂に成功した三浦さん、91歳で新しい子を世の中に出す産婆さん、それから100歳で1.500メートルを泳ぐ人もいて驚かされます。私も益々、挑戦することが増えていきます。
 今はその事に驚いていますが、貴方が100歳になった時はそれが当たり前になったいると思います。平均寿命が50歳を超えなかった戦前からは、想像できないほど益々寿命が伸びてきています。

 反対に介護施設に入っている人の中で、80歳というと、かなりの痴ほう症が進んでいるお年寄りの方もおられます。80歳という節目に、自分が死んだ時に、どのようにしたいか書いてメモに残して置けばと思います。

 勝手に考えるのですが、多分、教会で葬式、その墓場にみんなと一緒に様にと望んでいらっしゃると思っています。でも誰に連絡したらいいのかすら知らないです。幅広く知人の多い貴方、親戚、友人、その他の人達はどなたに?教会にどれほど献金すればいいのですか、貴方の事ですから、死んだ後の事はひょっとして思っていないかも知れないです。前向きに死んだ時のことを考えて頂ければ有難いです。

 私の母が亡くなった時は、葬儀のお知らせを兄に頼んで京都新聞に載せてもらいました。その兄が亡くなった時、義姉は泣く暇もなく葬式の準備になり、できるだけ費用を抑えて質素に、そして家族葬で良いと思っていました。しかし葬儀屋さんにいろいろ説明相談して頂いて、葬式は沢山の人が来た方が、残された家族の為になると聞きました。そして幸い兄の友人の人の援護もあり、立派な葬儀を行う事になりました。

 80歳を機に改めて、益々色々な将来の計画を立てて楽しい生活を送って下さい。それに少しでも協力できればと思っています。
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410 半世紀そして1世紀前

2015-04-11 05:20:10 | 思い出日記
 大阪の営業から成田に行って、チェクインから手荷物係迄、色んな空港業務を行ったとは夢のような話になりました。 成田空港の人たちのフェスブックに出て来る写真を見ていると、当時と変わらないのに驚きます。おせいじなく本当に思っています。毎日忙しく楽しく生活をしている人、人間とはその仕事が顔に現れるのだと思いました。

 半世紀前のその又半世紀前、つまり1世紀100年も前、1915年ウサギ年に父親が生まれました。私の知っている人、それも父親が100年も前にこの世に生を受けました。生誕100年、信じられない、そして自分も半世紀以上も前に生まれているとは驚きです。
 我が家の男は、私がメイデーの日、父親が終戦の日、小兄が赤穂浪士討ち入りの日に生まれて、不思議な事に、何にも記念日に関係ない大兄が何を思ったのかホワイトデーデイに亡くなりました。それから1年、早いものです。

 何故そんな事を思ったのかと言うと、大河ドラマ『勝海舟』原作、読んだ本数々ある子母澤寛(明治生まれ1968年7月19日満76歳没)が、新撰組で生き残った関係者と直接会って話を聞いていている事に驚きました。私も子母澤寛と同じ時代を生きていたという事です。考えただけで、興味深く面白いです。
 それと維新に実際活動していた関係者する人の話を聞いてそれを小説にしているとは二重にビックリです。私が生まれた頃は、そんな明治時代の人が未だ沢山生きていたのかと思うだけで、まさに時代を生きて来たと思います。

 1世紀と言うと長いようで、考えてみれば短いです。あれほど騒いだ20世紀から21世紀になって既に15年、世紀末と言われた事も忘れ去っています。そして気が付くと、選挙の投票所整理券に明治の欄が無くなっていました。
 
 しかし、戦後70年は遠い事になりつつ、いえ、遠くなったと思います。我々の世代の少し前の人が、行きたくない戦争に行って沢山の人を殺して殺されたのです。ビルマに行った人が、弾は前からばかりで無いと将校を脅した話を思い出しました。戦後70年を真剣に考えなくてはいけないです。

 昔、戦争に行きたくなくて心臓の鼓動が早くなると醤油を大量に飲んで、徴兵を逃れようとしたりしたと聞きました。父親は片方のふくらはぎが、少し細くて徴兵を免れたのです。だから、有難いことに今私があります。今生きている我々の多くは、戦禍を免れた人である事を忘れてはならない。残念な事に、戦争を真剣に考えている人がどれだけいるか疑問です。

 日本独り歩きの時代はとっくに終わりっています。世界の中の日本、飛行機で何処へでも、島国ではない事を考えなくてはいけないです。
 100年前は昔の様でも、ついこの前とも言えるのではと思います。
 

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409 便利とは?

2015-04-04 04:49:44 | 思い出日記
 便利になるとは必ずしもいい事とは、最近思えなくなってきました。なんでも進歩すればするほど暮らしは楽になるのでしょうか、その通りそうだと思います。しかし、特に介護ヘルプの仕事を始めてみて、本当かなと思う様になったきました。
 
 例えば、靴下、穴の開いた靴下等、最近家で修理する人がいるとは思えません。昔は針糸の粗品が良くあったものですが、今、家に針糸がある家、又は使っている方、ミシンも使われ無くなったように思えます。トイレに座り、立つと自動で水を流す、考える必要がありません。
 人間は益々長生きしますが、自分ですることが無く、何でも機械まかせです。どう考えても、ボケるのが早くなって来ると思います。進歩、確かに便利になりました。それだけでいいのでしょうか?
 
 車椅子を自分で手で押している人を見て、後ろにまわって「押しますよ」と声を掛けて押すという行為は、はたしてご本人の為にたっているのか疑問に思えてきました。介護される方達は、だんだん筋力が衰えていくので、ボケ防止の為にも自分でできる事は自分でしなければいけないと思うのです。しかし、車椅子を息き切って自分で動かして来る人が、私がたまらずに押すと、本人も楽で、だんだん他人任せになってしまう、その内、自分で出来なくなってしまかも知れないです。

 先日、勤め初めて自分の事を事細かに言う方にであって話をしました。その方が、徳島出身で本当に詳しく自分の生まれた所を楽しく話してくれました。一人話せる方が増えたと喜んでいました。
 ところが一週間後、その方の部屋に血圧と体温を取りに行くと、まるっきり先日の話を覚えていない。覚えていなどころか服を着たまま寝ていたのでした(この様な人が殆どです)。
 その次の週に食堂で、何もせずに、黙って、ずーと一人で座ったまま、そして今日は又、普通に他人の服のセンスを褒めて仲良く話しているのでした。完全に痴ほう症です。私に人の見る目がないのが、良く分かりました。

  話は違いますが、今、普通に電車の改札口に人がいなくなってしまいましたが、自動改札機で一般の人は楽になったと思います。自分で行き先と料金を決めて目的地に行きますが、でもコスト削減の為に、今まで自由に出歩いていた軽度の知恵遅れの人が介護者が無くして外に出歩け無くなっているのでした。

 世の中物騒になっているから良いのかも知れないですが、楽になる事ばかり考えています、何か違うと思います。何かを考えないと本当の福祉とは言えないと思うのです。


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