偶然に図書館で見つけた少し古い本‘歩く地図大阪神戸’を参考に、清水寺周辺を散策しよと思いました。大阪に清水寺とは知りませんでしたが、1640年に京都の清水寺にならって再興されてと伝わる寺であるらしいです。京都人として是非とも行かなくてはと思いました。
先ずは、通天閣を回ってからからと思って恵美須町で降りました。駅の地図を見てビックリ、この近辺に50を超えるお寺があるではないですか、こんなに狭い所に寺が集中してあるとは今まで知らなかったです。
取りあえず通天閣看板を目指しましたが、昼ご飯を食べる予定でいたグリル梵ですが9年前の本に書いてある値段を見るとタンシチュウで2000円に高級店に違い無いと思ったのですが、狭い道路を通り過ぎる程の所で、古いおんぼろな食堂と言う感じでありました。少し寄って見たかったけれど昼前でもあり、流石に食べるのは止めました。
通天閣の前は、団体や人が沢山増えて2度漬けダメで有名有名になった串カツ屋は一杯でした。ジャンジャン横丁に行くと、こちらがメイン通りに違い無い程、人は狭い道に沢山いました。将棋屋さんで何組も勝負していたそれを外から見ている人がいました。途中のたこ焼き屋さんでビールを飲みながら一休みしました。地下鉄の動物園前から人が来るのですが、大阪の子供達は動物を見る為にこんな労働者の町の風景を見て育つのだと毎回思うのでした。
この地域は東京で言うと丁度浅草を狭くした感じに近いです。さて本来の目的であるお寺を目指して愛染公園を右へ松屋町筋を超えて清水寺へ50メートル程の整備された石畳の階段を上がりました。坂の登り口にここら辺りは昔ながらの名水で有名な所らしかったので、登って地図を見ると口縄坂を見てなかったのでした。折角来たので下りるのは勘弁してもらって先の広い道に出て左手に行きました。
坂がほとんど無い大阪ですが、前の道路が谷町筋で松屋町筋とこんなに高低差があるとは驚きでした。地下鉄夕日陽丘駅を左へ、そこら中にお寺があると言う感じでした。しばらく行くとそこに織田作之助の文学碑で‘青春の回想は終わった、新しい現実が私に...’何か胸にくるものがありました。そして約3メートル幅で50メートル程の良く整備された口縄坂がありました。両側はそれなりにいい雰囲気があって大阪にもこんな所があったのかと思いました。
坂を下りると再び松屋町筋はお寺街が続きます。円生院を左へ回り、大江神社の階段が挑戦しろと言うようにありましたが、挑戦せずに、その前を通り過ぎて横の坂道を上りました。登りきった所で左後ろを見ると丁度大江神社の裏門でした。
大江神社に松尾芭蕉の碑があるハズなのですが、見つけられませんでした。左奥に阪神タイガースの旗が見えたので行くと、流石に大阪です、柵の上に何本もメガホンや新聞の切り抜き等優勝祈願宜しく並べてあったのでした。
そこを出て、直ぐ左側に愛染さんがある、勝まん院がありました。裏にある多宝塔は聖徳太子が建立して、豊臣秀吉が再建した重厚なものでした。このあたりは戦災からまぬがれたようです。
やっと清水さんです。舞台は鉄筋で小さなものですが、おとわの滝に似せた所は本物の様に上を歩く訳には行かないですが、それなりに上手く作ってありました。その前の道を行くと真田幸村が戦死した場所と言われる安居神社は幸村の最近建てられた像がありました。
その向いの一心寺は外から見ても石垣で凄い建物ですが、かなりなもので入り口にモダンアートの様な2対の仁王像、10年に1体作られる信者の分骨の阿弥陀如来坐像は初めて見たもので沢山の人がお参りしていました。
そこから四天王寺は直ぐにありましたが、凄く広くてそして人が多いのでビックリしました。それも其のはず21日で、境内は色々なお店で一杯でした。コカコーラの瓶や古着、骨董品迄、昔の京都の北野神社を思い出すほどのものでした。途中から雨がひどくなり残念な事に閉めているお店も多くなってきました。
今日は予想外に沢山歩き、雨にも負けて、もう少し歩きたかったのですが、疲れたので帰る事にしました。大阪再発見の素晴らしい散策、総歩数約18,000歩でした。
先ずは、通天閣を回ってからからと思って恵美須町で降りました。駅の地図を見てビックリ、この近辺に50を超えるお寺があるではないですか、こんなに狭い所に寺が集中してあるとは今まで知らなかったです。
取りあえず通天閣看板を目指しましたが、昼ご飯を食べる予定でいたグリル梵ですが9年前の本に書いてある値段を見るとタンシチュウで2000円に高級店に違い無いと思ったのですが、狭い道路を通り過ぎる程の所で、古いおんぼろな食堂と言う感じでありました。少し寄って見たかったけれど昼前でもあり、流石に食べるのは止めました。
通天閣の前は、団体や人が沢山増えて2度漬けダメで有名有名になった串カツ屋は一杯でした。ジャンジャン横丁に行くと、こちらがメイン通りに違い無い程、人は狭い道に沢山いました。将棋屋さんで何組も勝負していたそれを外から見ている人がいました。途中のたこ焼き屋さんでビールを飲みながら一休みしました。地下鉄の動物園前から人が来るのですが、大阪の子供達は動物を見る為にこんな労働者の町の風景を見て育つのだと毎回思うのでした。
この地域は東京で言うと丁度浅草を狭くした感じに近いです。さて本来の目的であるお寺を目指して愛染公園を右へ松屋町筋を超えて清水寺へ50メートル程の整備された石畳の階段を上がりました。坂の登り口にここら辺りは昔ながらの名水で有名な所らしかったので、登って地図を見ると口縄坂を見てなかったのでした。折角来たので下りるのは勘弁してもらって先の広い道に出て左手に行きました。
坂がほとんど無い大阪ですが、前の道路が谷町筋で松屋町筋とこんなに高低差があるとは驚きでした。地下鉄夕日陽丘駅を左へ、そこら中にお寺があると言う感じでした。しばらく行くとそこに織田作之助の文学碑で‘青春の回想は終わった、新しい現実が私に...’何か胸にくるものがありました。そして約3メートル幅で50メートル程の良く整備された口縄坂がありました。両側はそれなりにいい雰囲気があって大阪にもこんな所があったのかと思いました。
坂を下りると再び松屋町筋はお寺街が続きます。円生院を左へ回り、大江神社の階段が挑戦しろと言うようにありましたが、挑戦せずに、その前を通り過ぎて横の坂道を上りました。登りきった所で左後ろを見ると丁度大江神社の裏門でした。
大江神社に松尾芭蕉の碑があるハズなのですが、見つけられませんでした。左奥に阪神タイガースの旗が見えたので行くと、流石に大阪です、柵の上に何本もメガホンや新聞の切り抜き等優勝祈願宜しく並べてあったのでした。
そこを出て、直ぐ左側に愛染さんがある、勝まん院がありました。裏にある多宝塔は聖徳太子が建立して、豊臣秀吉が再建した重厚なものでした。このあたりは戦災からまぬがれたようです。
やっと清水さんです。舞台は鉄筋で小さなものですが、おとわの滝に似せた所は本物の様に上を歩く訳には行かないですが、それなりに上手く作ってありました。その前の道を行くと真田幸村が戦死した場所と言われる安居神社は幸村の最近建てられた像がありました。
その向いの一心寺は外から見ても石垣で凄い建物ですが、かなりなもので入り口にモダンアートの様な2対の仁王像、10年に1体作られる信者の分骨の阿弥陀如来坐像は初めて見たもので沢山の人がお参りしていました。
そこから四天王寺は直ぐにありましたが、凄く広くてそして人が多いのでビックリしました。それも其のはず21日で、境内は色々なお店で一杯でした。コカコーラの瓶や古着、骨董品迄、昔の京都の北野神社を思い出すほどのものでした。途中から雨がひどくなり残念な事に閉めているお店も多くなってきました。
今日は予想外に沢山歩き、雨にも負けて、もう少し歩きたかったのですが、疲れたので帰る事にしました。大阪再発見の素晴らしい散策、総歩数約18,000歩でした。