旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

439 下流老人(毎土曜日 更新)

2015-10-31 05:36:37 | 高齢者
 週刊誌に、働かない失業息子、出戻り、行き遅れ娘と同居すると「老後破産」と警告していました。墓に納骨しないで「置き去り」に、神社、寺院の境内、駐車場、電車内などに遺骨を放置して警察に落とし物として処理される件数が増加傾向にあると言うのです。火葬するだけマシと言えますが、酷い世の中になって来ました。

 置き去りで今思い出したことで、話は変わります。その昔に大阪の地下鉄御堂筋線で千里中央行きの途中、新大阪駅で降りて新幹線迄人を見送った大先輩がいます。
 その方が電車の棚に、確か土産のウィスキーの瓶か何かを忘れて新幹線に人を見送って、又電車に乗って帰ろうとして棚を見ると自分の忘れたお土産があったと言うのです。その電車は5駅行って千里中央で折り返しの電車で、嘘の様な話ですが、偶々偶然にも無事に戻りました。ただ自分のモノとを引き取るのに大声で「私が忘れたものです」と宣言して引き取ったと言う事でした。世の中にはついているこのような人がいるのです。
 話がソレついでに、この方が30年程前にロンドンに住んでいた時に厄介になりました。私も久々のロンドンでしたが、コヴェントガーデンに車で連れて行ってもらった時、車の中にカメラを置いて出ようとして危ないからと座席の下に隠してくれました。

 バイトしているマンションで、車の窓ガラスを割られるという被害にあった処で、その話を思い出しました。防犯を見ると真夜中にマスク姿の若い2人が懐中電灯で車を物色する様子が映っていて、30年も遅れて日本も英国並みになったかと思いました。日本でも車を離れる時は、高価でなくても座席に物を置かないで方が良さそうです。

 突然に話は戻り、最も安価な永代供養で3万円から5万円、実はそれすら払う余裕がないという人が増えていると言う事です。その為、遺骨を自宅に保管している人が、首都圏だけで100万柱あるそうです。

 「下流老人」の定義は、「経済的困窮」「社会的孤立」その両方が要因の「遺骨遺棄」、それが増加しているのです。火葬場で遺骨の受け取り拒否はできないのでしょうか、核家族化や生活の都市化で人間関係が希薄になり、人の死に接することが少なくなりました。「
 その反面、親が死んでも、その遺体と何十年と暮らし親の年金を生活費にあてているというのです。このような生活困窮者、下流老人を何とかして少なくしたいものです。私も下流老人なるまでもう直ぐです。

 死ねば墓に埋めるのでなく、京都の昔の面影も無い、綺麗に美しくなった堀川(賀茂川と言わない所が庶民的)に粉々にして捨てて貰えれば幸いと思っています。
 



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438 珍しくない「100歳で元気一杯」 (毎土曜日 更新)

2015-10-24 04:37:19 | 高齢者
 100歳を過ぎて、元気一杯の人が沢山います。墨を用いた抽象画が世界的に高く評価されている、現役の美術家である篠田桃江さん。家庭を持たず、団体に属さず、自らに由(よ)って生きる「自由」の精神を人生の軸として、そして「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)が45万部のベストセラーになっている事を知りました。
 直ぐに豊中図書館で探したところ、図書館のコンピューターで検索しても篠田さんの本が出て来ないので係員に聞きました。何と待ち数が100を超えていて、多すぎてコンピューターから外していたと知りビックリしました。因みに箕面図書館でも53番目でした。
 
それでも本屋さんでは買わないセコイ私です。本屋、出版社の多くが潰れるはずです。その時は思いませんでしたが、待ち番号103と数字が本の題名と同じで記念すべき数字だったのです。なんの記念か分かりませんが、何にでも数字を気にします。その割に宝くじは当たりません。

 同じく103歳の、このブログで再々紹介した聖路加国際病院名誉医院長の「日野原重明」さん。新幹線への何十段の階段を使い、エスカレーターに乗った人と競争をして、自然に1段跳びになって、追い越すと快哉を叫びたくなると100才を過ぎて言っています。講演の予定は5年先まで決まっていると言う人で、まさに鉄人です。

 100歳丁度のジャーナリストむのたけじ氏は「良く食べて、良く寝るだけ」、食事の時は、味がしないから入れ歯を外すようになって、その分よく噛むようになったと言っています。仰向けに寝て拍手ならぬ「拍足」を、両足を30回打ちつけるのを2,3セット行なうと言っています。

 少子高齢化の社会に入って行く最中、これらの方から比べたら、まだまだ若い「世界マスターズ陸上競技選手権」8月4日ー男子棒高跳びで、2メートル25を跳んで、銅メダルを獲得した河内市の堀野正さん80歳がいます。何と80歳が若い、100歳になるまでにマダマダという事です。

 パラリンピックの様に、オリンピックと同じ時に開催すれば、もう少し注目をされると思います。やっぱり世界から1ヶ所に集まるので体が心配なのでしょうか、ハタマタ費用に問題があるのかも知れないです。日本は世界に誇るハイスピードの高齢者化社会、マスターズオリンピックであれば、メダルラッシュも夢ではないかも知れません。

 100才元気でいるだけでなく、これらの人はみな姿勢が良くて見なわなくてはいけないと思います。背筋真っすぐな、老紳士を今後の目標します。

 
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437 車内の居眠り (毎土曜日 更新)

2015-10-17 04:57:26 | 思い出日記
 ラジオで女優の岸恵子さんが、日本人は人前でズボンを上げる、パリではそんな人は見たことが無いと言っていました。本人さえ忘れていると思う古い話ですが、私にはその事が頭に残っています。昔もそんなにいなかったと思いますが、巴里帰り、当時そんな人が多くいたと感じたのでしょう。

 気にならなかったと思いますが、テレビで紳助さんがズボンを上げる度にその話を思い出しました。今頃、何をしているのやら、テレビを辞めたその時は、注目を浴びていたのにテレビは人気者を作り上げ、人気をあおりたて、そして次から次に人気者を変えていきます。
 
 余談ばかりですが、極楽とんぼの山本圭一、成田にいる時に、酒に酔って一番遅れて乗ると言う姿を見ての印象を鮮明に覚えています。けしからん奴だと思っていましたが、数々の芸人に後押しされて復帰するかと言われているのが良く分からないです。

 文化人類学者が「世界が認めたニッポンの居眠り」で電車内で無防備にウトウトしている日本人が多いのを不思議と思って調べています。歴史的、文化的に考察して睡眠が少ないことや、治安が良い事もあるが「居眠りを2分間すれば、2時間の仕事ができる体調が整う」「ストレスが減る」「ひらめきが起きる」と好意的です。

 私が良く利用するのは、宝塚線の豊中駅からです。この前見た光景ですが、外国の女性が電車でウトウト寝入っていたのは、安心する程、治安が良い日本に住んでいる証明であるとも言えます。最近は、治安が凄く悪く心配ですが、日本で生まれたか、日本に長くいるとこうなるのかと思います。

 以前に行った事がありますが、治安と言えば思い出すのが治安の良いリゾートのカンクーンでの話、路線バスに降り口でカメラをさげて直ぐに観光客だと分かる格好で立っていました。その前に座った人が、私のズボン膝上の前のポケットの財布を取り出して自分の靴で財布を踏んで隠し盗ろうとした事がありました。先ず、皆さんが旅先それも外国の路線バスに乗る機会は少ないと思いますが、海外に出るとみんな泥棒と思わなければ危険です。日本もそうなって来ました。

 思い出しついでに、何も知らない学生時代に簡単な地図を持って、ロサンゼルスの夜バッグを持って少しの距離と思ってだだぴろい広い通り歩いていて、いつまでも目的地にたどりつかず、怖くなって安ホテルに飛び込んだ事があったのでした。そのホテルも怖かった。

 後で考えれば、クルマ社会のアメリカで何処でも歩けると思った自分が哀れを通り越して馬鹿と思わざるを得ないです。その時でも危ない、今なら確実に危険、良く無事であったと思います。
 
 
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436 またまた高齢者ーAED (毎週土曜日 更新)

2015-10-10 04:19:08 | 高齢者
 テレビの音がうるさいと怒鳴り合ってた二人、これからが大変と思っていた人達がいました。それが、あれだけ怒ったのに次の日は仲良くソファーで語り合っている人達を見ました。物忘れとは悪いことばかりでは無いと先日知らされました。人生も忘れる事が、このように沢山あるのだとも思いました。

 大変難しいのが、何処までこの様な人達の世話をするかと言う事です。女性が座るとすれば、当然椅子を引き座るまで面倒を見るのですが、高齢者によっては自分でやった方が自分の為になると気づきました。多少の不親切が、その方に取って良い方向に向かうと気が回る様になりました。しかし、その見極めも難しいです。目の前の人が車椅子を必死で回していたら、堪らず押してしまいます。

 AEDの使い方の講習会がありましたが、その時に人工呼吸の仕方まで習う事になりました。今までは、息をしていない人を見たら助けを呼ぶだけで良かったのですが、救助が来るまでにすることが増えました。バイトでもそこまでやると言う事は、ただ単に仕事が増えただけで無く、その方の生死を決める役目を任されたと言う事です。一生懸命に講習を聞き、積極的に人形に体重を掛けて汗しながら押しました。
 それ以来、居住者に中に、もしもと思い、急に人工呼吸が必要と思われる方が数名おられるから、ひやひやしながら部屋に入ると言う有様でした。しかし、10日もすれば慣れ。以前通りになりました。このブログを書いていて、これではいけないと心を引き締めています。

 朝昼晩と同じ事を言い、返事が気に入らないと怒鳴ると云う人の隣に座っていて返事をしている91歳の優しいお婆さんがいます。その方は、戦中、北朝鮮に住んでいた方ですが、その逸話を聞こうと思いました。よっぽど辛い事があったのか、それ以上は口を閉ざされました。別の階に、同じく男性で北朝鮮に住んでいたという男性と会いますかと聞き、その男性に話を持って行った所、ケンモホロロに断られました。

 先日、違う階の92歳のお婆さんとの話の中で終戦直前に、家財道具をみんな売って家族で東京での戦禍を避けて北朝鮮に移り住んでいたと聞きました。朝鮮がそんな風に、戦前の人が思われていたのかと初めて知りました。
 しかし終戦後2年間も現地に抑留されて、北と南の境界線である38度線、川を苦労して歩いて渡って逃げて来たと言う話を聞きました。「どうしてその話を今までしなかったのですか」と聞くと「言う話では無い」と言われました。でも、同じ北朝鮮にいた人に会う事には前向きでした。

 お節介と知りながら、又、2人が会う事をアレンジしなくてはと考えています。
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435 爆買い(毎土曜日 更新)

2015-10-03 05:09:40 | 目標
 日本人は自分たちがやって来た事を直ぐに忘れる傾向にあるようです。戦争しかり、エコノミックアニマルと呼ばれていた少し前の事も忘れてしまっている人が多いと思います。

 フランスの高級店に列を組んで高級のバッグを買いアサッタのは日本人です。その時は、爆買いとは言っていませんでした。急にできた言葉か、私の古い電子辞書には載っていません。観光バスで銀座の高級店に乗り付けるとか、ドンキホーテの売上日本一の道頓堀店(大阪の人は安いものに目が無い(^^♪)に主に中国人をターゲットにした店が出来たとか、この点は日本人の対処は早いと感心します。

 そうかと思えば、解熱鎮痛剤の市場規模が5000億となると、1%でも50億となります。大衆薬で市場規模が大きいのはドリンク剤、胃腸薬、風邪薬です。その1%を確保するより、昨年10月「神薬」12種類として中国で話題になった中で、5つもランクインした大阪の小林製薬。冷却シートの市場規模が45億の規模で、その中でシェア54%を記録。こんな所にも「ニッチ」を狙って商品開発をしている会社があったです。

 ニュースで沢山の品物を持った中国の人達の笑顔を見ていると微笑ましいです。日常生活に必要なものを大量に買うのは中国人、そしてメードインチャイナを信じていない証とも言えます。中国は国自体大きいです。まして地方から首都北京に行くのも大変な事と思います。狭い日本でも東京に行くのは、我々の学生時代がそうでした。

 日本に来る中国人の旅行者を、多くの中国の人たちは知らないか、知らされていないかも知れないです。そんな国の 北京でトイレに入って縄があったとか、どう使うか、どう使ったかは、私は知らないですが、日本も公衆便所が出来たのはそう古くなく無く、今でも大阪では少ないです。
 
 私にすればすこし前、でも考えたらかなり前ですが、3-40年前かモット前に、メードインジャパンも真似して真似は世界一だと誇ってい事がありました。当時、友人から付き合いで、偽カルチェの時計を20,000円で買いました。登録商標等、世界基準が煩くなって、日本の技術が進歩して中国そのものを一段低い国だと勘違いしているかも知れないです。日本を抜いて世界で第2位の経済大国なったのを甘く見てはいけないと思うのです。

 中国の経済状態が良くないので、観光客が来ないかも知れないと言われると、経済打撃だと恐れおののく弱小国日本。心斎橋通りや京都で沢山の外国の観光客は良く見たのですが、その爆買いする所を見ていません。一度は見たいと思っていますが、残念ながら、見る前に終ってしまわないかと心配しています。
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