旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

152  マッドリッド

2010-05-29 20:08:44 | 日記
 サンセバスチャンを列車でマドリッドへ、途中でスペインは凄く物価が安いので 何でも興味があるので食堂車へ入りました。その値段を見てビックリ、予想に反して私が来るべき所では無かったと思い、仕方無いので座ってからワインだけでも注文しようと思いました。
 ところが、それは駄目だ言われて、恥ずかしながら何も注文せず諦めたのでした。今なら、無理をしても食堂車にもぐりこんだけれど、当時(今も)は金が無かったのでした。スペインなめてはいけません、御免なさい、なめていたのは私だけでした。

 ただ、ビールが安くてその辺のパーのような所で小さなグラスに入れてくれるのは今でも思い出します。

 マドリッドの闘牛場に行きました。日の当たる方が安いので勿論そちらを選びましてサンセバスチャンについで、暑い最中本場の闘牛を見なければと思い中に入ったのでした。
(今となると、良くスペイン語が理解できたなと思います。人間一人旅で必死になると分かるものです。人に頼らない事が一人旅の良い所ですが、其れだけに苦しいものでもあります。)

  闘牛が始まる前に、早速警備の人に注意を受けたのでした。腰にぶら下げていたホルダー付きの刃渡り18cmのナイフを指して駄目だといわれたのでした。当然の事でしたが、何とキッチリした所かとその時は思いました。でも、今なら危なかったです。優しい注意のみでした。

 闘牛は映画やテレビで見るのと同じでしたが、ただ違うのは元気一杯の牛が20分も立たない内に倒れると言う残酷なものでした。何れも1メートル以上の刀の先から根元まで最後に刺すと言うもので何頭も殺されていくシーンには日本人(私)には耐えられらいもので、サンセバスチャンのみんなワイワイと言う闘牛とは大違いでした。

 耐えられないと言えば、今から30年程前にJALの無料招待券を頂いて、アムステルダムとマドリッドを訪問したことがありました。 

 その時に、マドリッド郊外のレストランに連れて行ってもらった時のことです。英語がマルッキリできない人に、6ヶ国辞書でこのレストランで有名な物を食べたいとそのページを指して言いました。
しばらく待つと、先ず初めに肌色の形は違いますが魚に似たものが出て来ました。良く見ると親指の様なのが出ていました。そこで、これは何ですかと又6ヶ国辞書で聞くと、子豚と言うではありませんか、良く見ると豚そのものでした。サッキ指に見えていたものが、子豚の耳ではありませんか、流石の私も端のほうを少しかじっただけですましました。 

 それだけでも、驚いたのに2皿目が凄かった、豚の耳3つですが、どう見ても耳を引き千切ったようなものでした。耳を触ると根元が柔らかくなった感じが分かると思うのですが、そのままでとても食べられませんでした。
 連れて行ってもらった人に今となっては悪かったなと思いだします。特に地下から上に上がり帰る時にカウンターの上の所にスペインの王族の写真が貼ってありました。それと豚ばかりの写真がある店で入る時に見とけば豚専門の店と分かったのでした。非常に有名な高額な店だったのです。
 そんな事も知らずに残念な思いをしたのでした。
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150 ロンドンを出て

2010-05-14 19:50:29 | 日記
 ロンドンのキングスクロスからウエストハムステッド住居を移した時でした。キングスクロスに住んでいた皆の家を訪ねる旅にでたのでした。

 初めにスペインの北でフランスの国境に近いサンセバステァンを目指しました。私の宝物キングスクロスのフラット裏にあった公園で、4人で写真を撮った仲間の1人でした。イギリス人(ピーター)イタリア人(ロレンソー)、スペイン人(ロケ)と私、日本人が一つの写真で撮ったものです。思い出の一つでした。

 列車でドーバーまで、そこからホーバークラフトに乗ってフランスへ僅かな時間で着いて揺れも無く素晴らしい乗り物と思いました。今までで最高の乗り物でした。そこから、バスに乗ってパリを目指しましたが、途中で休憩した場所が、ずぅーと思っていますが、本当に映画の1場面にでて来る様な田舎の一軒家のバスストップでした。

 40年も前の事で、フランスさえも変わったと思いますが、その時はパリの宿の心配していて、それ所で無かったのでした。もう少し余裕と言うものがあったら、もっともっと景色を楽しめたのに残念で仕方ないです。

 始めてのパリ、憧れのパリ、普通はそう思うのですが、全然そんなつもりは無かったのでした。私の場合は、淋しい事にまず寝る所を探さなければならなかったのでした。幸いにも、同じバスで仲良くなったイギリス人に泊る所の情報を得て、そういう意味で、とことん着いていますが、計画無し何でも出たとこ勝負で決めました。パリには夕刻に着きました。
 最近のようにグルメ番組が全く無い時代でしたので、何よりもそこでの朝食のカフェオレにはビックリしました。ドンブリの様な物に一杯入れて飲むのですが、今では知られていますが、それまでに見た事がありませんでした。京都の生活で朝、昼、夜とご飯を食べていた者にとって特に強烈でした。

 ロンドンでオペラ座の前で12時に会う約束をしたキャティに会う為に先ず場所を確認、しかし、そこで長く長く待つ事になりましたが、それも報われる事無く会う事ができませんでした。そのキャティとは、その後、今でも連絡ある、長い付き合いとなったのでした。
 レストランに行ってもメニューが読めず、どんな料理か、右から何番目とわけも分からずに注文せざるを得なかったのです。JALのカウンターで新聞を読み、一応の観光で何泊かしたと思いますが、記憶に残っているのは、ルーブル美術館で見た、ミロのビーナスと殆どオペラ座の前で待った事位で、余り良い思いでがありませんでした。

 目的地のサンセバスッチアンに目指し、パリでのヒッチハイクは大都市では無理だと諦めて、パリを出てボルドー迄列車で行くことにしました。ボルドーは田舎町と思っていましたが、とんでもなく想像を超えて大きな都市で、着いた時間が朝の確か4時台と思いました。本当に小さなスイスの村位に思ったのに、人が居ないのは村も同じでしたが、町を出るのに一苦労でした。  
 たまに人がいて工場の行きそうな人に聞きますが、無理やり聞いてもフランス語のみしか通じ無いので仕方ありませんでした。まだ、夜も明けてない所で、何人かに聞いて行く内に‘ウエラディレクションデ サンセバスチャン’なる言葉を覚えて通る人を見つけては聞きました。メルシーとこの言葉だけでフランス旅行でした。

 もう少し地理とフランス語を勉強すべきでしたが、遅かったのでした。良くそのようないい加減な知識で旅に出ていました。今なら絶対ワインを楽しむ余裕もあったのに残念です。ちなみにその時は、白だけでした、今は赤のみです。

 そこを出てからが、又ヒッチハイクで車が捕まらずに大変な思いをして、最後に3人ずれのアメリカ人旅行者に乗せてもらってサンセバスチャンに到着、泊る所を聞いて来るから、彼らに少し待っているように言ったのですが帰ってきた時にはもう車はいませんでした。

 別に、時間が一杯あるので、それに限られている訳で無いので、季節の良い時にはゆっくり景色を楽しみながらヒッチハイクをだったと、今になって思うことが多いです。
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149 話 スコットランド Ⅲ

2010-05-08 19:29:41 | 日記
私もヒッチハイクでそうとう苦労したので、ハイカーがいれば喜んで乗せてあげようと心がけていたのですが、ナカナカ人を選ぶのが難しくて結局、誰も乗せられなかったのでした。意外と思いますが、乗せる側になって初めて分かったことですが、汚い身なりをしている人や、人の良い人を探していて、安全を考えて乗せられなかったのです。私が、風体が良かったのか?良く乗せてくれたと思います。

 所で、一度、空が抜ける位の青空の下、スコットランドに行く途中で車自体が極端に少ない所で、ヒッチハイクやっていました。余りに車が捉まらない為に仕方なく高速道路の入り口から少し入った所でヒッチをしていたら、案の定パトカーやってきて注意を受けた事を思い出しました。
 警察官にここをでていくように言われたのですが、私はいつもの如く英語が分からないとそこに留まったのですが、無理やり出されてしまったのでした。当然の事ですが、分かっているけど止められなかったのでした。実際どうなる事かヒヤヒヤでした。

 エジンバラへ行きましたが、町自体が全体的に暗く感じたのでした。それもその筈で建物の外観が黒っぽい茶色、つまりダークブラウンでロンドンでは気にしなかったですが妙にそう感じたのでした。取れる石が、色がそう言うものだと思って納得しました。

 スコットランドと言えばバグパイプでしたが、丘の上で、それも私が大好きで聞きたいと思っていたアメージンググレースを聞いた時はまさにスコットランドにやって来たと思ったのでした。

 86年に同じ思いでエジンバラに来て、バグパイプでこの素晴らしい曲を聴くとは思いもよらなかったのでした。 その時のことですが、ホテルが一杯でどこに電話しても一部屋が取れませんでした。仕方なく持って行ったJTBのガイドブックでそれも最後にある安そうなエコノミークラスのホテルに電話して、どうにかホテルが取れたのです。
 それで終わらないのです、探して着くと、先ず門からの距離に驚かされたのでした。真直ぐ200メートルはあったであろうかと言う所で、先ずエコノミークラスとちょっとちがうのでした。
これは間違ったと思いながら建物迄行って車を降りたのですが、やっぱり違うと思い妻に車で待っているように、そしてワザワザジャケットを着て正装と迄は行きませんが、入り口を入って行ったのでした。

 そこには1メートル半位のとてもホテルのチェックインカウンターといえる代物では無かったけれど、このホテルに間違いない事がやっと分かったのでした。
案内されてと階段の壁にズート色々な絵が飾ってある所を経て部屋に入るとマタマタビックリ、部屋の天井にキュピットの像が、ぶらさがっていて正に芸術品でした。
夕食は広間で4方の壁が又贅沢な絵画が飾ってあると言う雰囲気でした。食後に2階でお茶を楽しむ時間があり、暖炉の暖かさが如何にも落ち着いた感じだったのでした。

 声を掛けてきた人が、自分はアメリカのゴルフ場のオーナーで1年前に予約したと言ったのでした。
このホテルは、非常に予約は取り難いので、前泊をエジンバラの最高級ホテルに泊っているといったのでした。君たちはいつ予約したかと聞いたので正直にガイドブックで調べてその日に予約をした事を言ったのでした。勿論驚いていました。夜には、別棟でスコットランドのショーを団体にやっていたのでした。

 朝食はモーニングサービスで部屋にて食べたのでした。庭には孔雀もいて凄かったです。別荘を改造してホテルにしたのを、JTBのガイドブックではカントリーハウスと説明していたので、アウトバスでエコノミーだと思って編集者がエコノミークラスにしたんだと思いました。

 JTBのガイドブックは勿論の事、今でも愛用してます。
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