旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

139 国際殿話

2010-03-11 21:47:44 | 日記
国際電話を始めて掛けました。

 勿論、持金を使う訳に行かない貧乏だったのでコレクトコールをしましたが、母親が留守で友人の家に行っていたのです。

 そこで、驚いたのですがたのですが、知らない内に、親切にオペレーター(交換師)が気を利かしてくれて其処まで探してくれたのでした。その友人宅迄に電話をつないでくれたと言う訳で、無事に電話が通じたのでした。

 京都に帰ってから、そこのおばさんが怒った訳でありませんが、驚いた様子で笑って言われたのでした。 驚くのが当然ですが、その家に翌月の請求書が行って、大変ビックリされたようです。こんな事も、あったのです。今は、時代も違うのでそんな事も無いと思います。

 京都と言えば、2年程外国にいて、ビックリしたのですが、京都に帰って我が家のあった丸太町通りから黒門通りに入った時に自分の背が伸びた様に感じたのでした。
 今まで慣れた見ていた家並みの軒(のき)が、全て自分の背丈で届く程だったと感じたのです。これだけ低いものだったのかと、改めて2年と言うものが、如何に長いか感じたのでした。それ程、海外の一階部分は高ったと思った訳です。

 それから、暫らくして車を運転していて、何度も通っていた道ですが、堀川丸太町の信号で止まった時に、その頃は左ハンドルの車でしたが、右側に見られないものがありました。
 窓から何度も見て、それがかなり高いビルNEW KYOTO HOTELでした。そこに、あるべきものが無くなってビルが建っていたのでした。時代の移り変わる時でした。凄い衝撃(インパクト)を私に与えました。

 そもそも、丸太町通りにビルは我が3階建て待賢小学校だけだったのです。それが、府庁前立ったある政党の6階建ビルだけだったのです。(今となっては6階は低いですが、京都らしさが無くなるのでその政党が嫌いになったのでした。)時代がビルを作ったのですが、街並みを考え無い貧乏社会になってしまったのでした。
 ちなみに我が家は今はありませんが、3階建ての木造建てでした。大文字の時、山に火が点いたのをテレビで見て、それから3階に上がって見ていたのでした。それが、ある時から大の字は見えますが、ビルに半分山が隠れてガッカリしたのです。

 時代は次々に、古いものを無くしていきます。その数年前、我が家の裏通りに営業を始めた十得(ジュトク)は友達から聞いたのですが、外国の人が営業していると言う事で蔵をそのまま利用したいたのでしたが、その当時から古いものを大事にしていたのでした。当時はヒッピーが集まるとして近所で迷惑がられたけど、40年以上も続いている事を考えれば、今は誰が経営してるか知れませんが、外国の人がやっていて良かったと思います。日本人なら?

 今では古いものも大事にされるのですが、日本家屋は、木造であるから簡単につぶされてしまうのは悲しい事です。これも、海外に行って分かる事と思いました。 
  

 
 
 
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