旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

539 高齢 NO.?(毎週土曜日に更改しています)

2017-09-30 04:18:44 | ブログ
 浅田真央さんの椅子に座った素晴らしい背筋を伸ばした姿に感激しました。いつでもそうなのでしょうが、私なんぞ、そうかしこまらなくてもいいのにと思ってしまいます。益々オジサンになって来ました。オジサン?、おじいさん、どちらでもいい年になりました。氷の上のスケート姿の真央ちゃんを頭にいつも浮かべます。
 背筋をピン、素晴らしいです。引退後の姿を見て、まだ若くして亡くなった真央ちゃん大ファンのK成田さんが何て言うのかと思いました。

 一年過ぎるのは早い、丁度この場で紹介した、バイト先のスタッフから「戦力外の人のヘルプに行って下さい」又、忙しい忙しいを連発するように速足歩きでセワしく歩いていた人、二人とも共に辞めたか、辞めさされました。辞めさされても誰も残念がる人はいませんが、どんどん辞めては直ぐに入ってきます。凄い業界です。
 同年輩の小柄な女性が、膝を悪くしてこの前辞めました。彼女よりも倍以上ある寝たきりの入居者を、一度移動するのを手伝いましたが、二人がかりでも少し動かすのが大変でした。夜勤の仕事はきつくて年配の職員は、昼間だけ働くようにしてもらう人が殆どです。半面、若い職員がそれをカバーしている状態です。その厳しさに、腰を悪くして手術をした、まだ若いお父さんもいます。

 人の入れ代わりが激しい所に、非常勤のアルバイトで働きもう3年を越えています。現役引退後、直ぐにユーキャンで介護の勉強しようと資料を取り寄せました。その膨大な量に直ぐに諦め送り返しました。諦めが早いですが、資格を持てば、今度入ってきた人のように、朝3時間をのんびりと仕事?ところで、ユーキャンの宣伝を見なくなりました。

 90才以上の人が、206万人、昭和の時代、世界一の長寿を素晴らしいと誇っていたのに、長生き万歳とはいかないようです。ニュースのトーンはどれも、将来どうなるんだと心配。そんな事、前から分かっているはずです。国の借金は100兆円、どうして払うのか、底知らずです。

 早死にしない限り、いずれは皆高齢者と諦めて下さい。私自身、高齢者になるとは夢にも思いませんし、考えもしなかったです。そんな事、皆さんにおいては今の所(今の所です)、関係無い方が多いと思います。でも、前に言った通り映画館で、仕事周りに高齢者ばかり多くいますから、どうしても年寄りの話が多くなります。

 
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538 過ぎ行く時 (毎週土曜日に更改しています)

2017-09-23 04:32:32 | ブログ
 子供の成長は驚く程、早いです。裏を返せば時の過ぎるのは同じ様に早いです。 野球部の部員15人、部費が年間60万円、そんなチームを兄は30年以上前に立命館高校の監督として甲子園に連れて行きました。部費が少ない為に、硬式ボールも十分に買えず、自分がやっていたゴルフボールを代用して練習していたのでした。そのせいでも無いでしょうが、家を潰してしまったのです。
 それよりもズート昔、私が小学生低学年の頃、本人も甲子園に行っています。町内で数軒しかテレビが無かった時代、向かいの家で見た覚えがあります。その頃、送りバントで途中でタッチを逃れてホームベースへ逆行、2塁に送った事は後で知りました。こんなのを記録に残らないプレイと言うのでしょう。当時、沖縄まで船で全国代表として船で行ったのです。
 そんな兄も部員を殴った事で、京都新聞に載ったと従兄から聞き、初めて監督を辞めたと知りました。その兄が亡くなって3年が早くも過ぎました。余命治療を断っていますが、大満足の人生だと思います。

 年と共に、月日そして時間が特に早過ぎると感じます。「1年過ぎるのはあっと云う間です。」これは1年前にこの場で書いた事でした。本当に1年過ぎるのは凄く早いです。成田空港がTVで映る度、そこで勤務していたとは、夢のような本当かなと思うようになっています。 

 施設で1年前に「あなたが来ると朝が来たと思う」と毎日言っていた人は、亡くなってしまいました。毎朝「今日は何日何曜日?」「太陽はどちらから?生まれ故郷ではこちらからだった」それを「東に決まっている」と毎回注意していた方も亡くなっています。
 「今日は何日」といっていた方は朝、体温血圧を計りに部屋に入ると、偶にベットで寝ていますが、殆ど下脇に痛くない様にしいてあるマットで寝るのが普通、ベットは勿論低くしてあります。一度は机の間に寝ると状態です。その場で計っている時には、寝ている様で「失礼します」と部屋を出ようとすると、ビックリするような、大きな声で「ありがとう」と言う時もあります。認知症が少しずつ、一年経つと大分進んでいます。

 この前、施設に入居してきた人は、かなりハッキリ話される方です。しかし、自分のいる所が分からないのか、家に帰ると、ウロウロされて危なくてスタッフがついていなくてはならない状態です。
 
 高速道路の逆行、ブレーキとアクセルを踏み間違えて大きな事故を起こしている高齢者が、再々問題になっています。これらの事故だけを考えると、マダマダ大丈夫です。しかし、いつの間にか、今度の免許更新がどうなる事や(^^♪自分自身が心配しなければならない年になろうとしています。
 
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537 樹木希林さんから...(毎週土曜日に更改しています)

2017-09-16 05:39:30 | ブログ
「死ぬ時ぐらい、好きにさせてよ」以前に書いた樹木希林さんが川に横たわった企業広告です。インパクトがあったのでその写真は頭に残っています。
その昔、悠木 千帆という芸名を売り出して、確か数万円で売ったのは古い話になりました。念の為、ネットで確認すると「樹木の知人が何故か端数の2万2百円で落札。その後、落札者のもとには「悠木千帆」の譲渡を迫る依頼が殺到したが、頑として譲渡を拒み続けていた。山田は無償で芸名を譲り受けたとの事で「あなたなら、と思った。そのかわりしっかり頑張りなさい」と励まされたという。その後はドラマや舞台など、活躍の場が拡がっている。」無償とは知りませんでした。 
 悠木千帆でも有名だったのに、それより樹木希林が有名になったのです。流石に凄い、名前に流されない人です。全身に癌が転移しているそうで、その身体で今も活躍なさっていることは、驚くべき事です。

 岸恵子さんは「これほど寿命が延びると、きちんと尊厳死を認めるべきだと思います。」いかに生きるかと同じ様に、死を考えるべきだと思います。益々高齢者が増えていく中、高齢者住居でバイトしていると、必然的に、いかに死ぬかを考えていかなければならないと思うのです。

 痴呆症になってからでは、死を考える事は遅すぎます。しかし尊厳死は難しい判断が必要です。意識はしっかりしている人が、寝たきりで生きようとしていたり、認知症が酷くなり、かと言って生きている価値がないかというと、そうでは無いです。
 癌で苦しんでいるから、尊厳死。これは認めて欲しいです。生まれる時は選べないのだから「死ぬ時ぐらい、好きな時に死なせてよ」、こうなると益々難しい事になります。

 世の中、あまりに少子化と高齢化のスピードが早過ぎてついて行くのがしんどいです。戦前迄、平均寿命が50才、とっくに死んでいる年になりました。それ以降何を成したか、あっという間も無く過ぎ去った40、50代でした。60代も早いです。

 「全人医療」疾患だけでなく、心理面等も考慮しながら患者に合わせて診断・治療で、死にゆく人をみとる病院、延命治療を行う淀川キリスト教病院があります。5階から9階迄、吹き抜けになっている大きなチャペルがあります。無神論者ですが、いいなと思いました。
 
 死を思う、考えるという事は縁起が悪いと敬遠されがちです。もう考えても、遅くないと思うのです。考えているつもり、少しは変わったかな...
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536 関ヶ原 (毎週土曜日に更改しています)

2017-09-09 04:49:55 | ブログ
 映画「関ヶ原」、パブリックスペースで何時もの様に予告編を見て時間を潰しました。次見る映画をチェック、でも興味そうなものはなし。面白そうなのは、福山雅治が出ている映画でした。しかし、殺人した後で顔を拭うと、ピンクのような血の色が顔につくところが見えて落胆。後、ニュースでスタンディングオベーション6分間...見る価値あるかな⁈

 パンフ棚とそして劇場行く迄の、どのポスターも面白いものが見つからなかったです。最近、アニメは勿論、CGを使った近未来、架空映画のようなものは興味がなくなりました。

 席について、いつもと変わらない観客、そこで、ふと気づきました。映画の批評は別にして、淋しいですが、年取ったと気づきました。サッキ迄見た若い観客は何処に、周りに殆ど、というより、全くいない状態でした。同じ様な年か私よりも年を取っている人ばかりです。

 今までは、シニア料金で見に来てる人が多いと思っただけでした。沢山の若い人が映画を見に来ているはずです。私にとっては関ヶ原は天下分け目の戦いではありません。遅いですが、若さ?の分け目でありました。言っておきますが、この感覚と、映画の良し悪しは別物です。

 箕面市は昨年、一昨年から70才から敬老会に参加できるようになったのに 今年も「敬老会」の誘いのハガキが豊中の自宅に来ました。自分の年を思い出す、いい機会だと思う事にしました。70才からにした方が、時代にあっていると市会議員に投書しました。

 ホームでは、92才のペースメーカーをいれて直ぐに夏場だけ入居されました。血圧を聞いて心拍数は「いいの?」。未だに初めての事が多すぎますが、ペースメーカーが毎時、同じ心拍数なのを知りました。同じフロアーに小学校が一緒だったという人も90才、まだまだ元気な方がおられます。生まれた所の近くの施設に入居するのもいいものです。

 かと思うと、新聞に90で車の免許を返還した方がおられて、それは良かったと思ったら、今度は自転車に乗って家族を心配させているという事でした。電動等ができて楽に自転車が乗れるようになったのですが、スピードが運動神経が追い付かない怖さがついて来ます。
  
 年を取って来ると体のあちこちに認知症以外、色々な問題があるものです。薬の数が、現在3種、施設の方は数えるのが困難な人も、食事後、薬薬とあちこちで聞こえます。薬代凄いでしょう。

 映画1本、考える事が多くなりました。





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535 モスクワ愚連隊(毎週土曜日に更改しています)

2017-09-02 05:14:04 | ブログ
 当時、多くの人が読んだ本です。バイトバイトで私は読んでいませんでした。色もセピア色、捨てるのならと「モスクワ愚連隊」初めて読みました。初版が昭和42年ですから、小説を書いた時は、それより前、私が欧州に行った時の4-5年前です。横浜から船の乗ってナホトカへ、船の別れは淋しさをあおります。京都も出たことが無い人間、倍増でした。重いリュック、母親がホテルのポ-ターにチップを渡したのは今でも忘れられないです。

 列車でハバロフスクへ、飛行機でモスクワへ行くコースは同じです。同じ所を行ったのに、それを小説にした人、今になってそれを読んでいる人間。それぞれ素将来を決める、晴らしい経験をしたと思います。

 ネットも無い時に、殆ど乗った事のない阪急電車で京都から大阪まで行き切符を手に入れた経過をスッカリ忘れています。この頃の私にとっては特に長い5年です。考えてみれば、生まれる4年前迄戦争でした。高々4-4年前まで、生死を分ける時代だと今思いました。

 戦前は平均寿命が50才であって、小説に「喜助じいさん、達者でなによりだ。じいさん、幾つになったんだ?」それに答えて「今年で51よ!」。思わずビックリです。

 又、話が違う方に、「くずやー、おはらい」。頭に残っている時代映画の中で、背負っている籠にポイと紙屑を入れる光景を思い出します。紙屑屋が商売になったのです。紙屑、古着を、それをスキ紙を業とする所に持ち込んで再生紙にするとの事です。現在にも同じ職業があるのですが、時代劇で見られなくなったのはどうしてなんでしょう。まあ、どうでも良い事でした。ごめんなさい。

 71年に欧州に行った時につくづく感じたことですが、デンマークでの話です。その少し前、半年か一年前に労働VISAを取れなくても、就労は比較的簡単であったと思いました。青年の家の施設長についてもらって正式にVISA取得に行ったのですが、公的な施設の長の同行でも取れませんでした。VISAを取るのに、大変、難しくなった時代でした。

 モスクワからワルシャワ、ウィーンに抜けるルートを取る事になったのですが、その時、初めてWienとViennaの違いも分からず欧州に行ったとは、今思うに恐ろしいです。このタイトル、「何も知らずに旅に出た」、コインロッカー等、見たことも無く、道路を渡る時に、車は右側通行とは知らずに、危ない目にあった事。全てに右も左も分からないでした。慣れた頃、イタリアのフィレンツェとフィレンツオーラを間違って訪れたりしました。

 運よく、それら全てが自分の将来の糧になりました。若いって素晴らしい事です。
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