旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

460 いまどき   (毎週土曜日に更改しています)

2016-03-26 05:00:00 | 人間
 「今時の若い人は!」そう言う年になって来たかと感じています。 バイトで忙しくしていて、そこで介護施設の世話をしている若い人と接して日々その言動に接しています。そして若いエネルギーを彼らから貰っています。若い人ばっかりです。年配者には厳しいハードな仕事だと思っています。
  ただ、そこでは、それは違うだろうという事をほぼ毎日、若い人に発見して体験しています。しかし、それを注意する間も無く忙しく働いています。また、注意する立場でもありません。残念ながら、アドバイスの仕方が下手だとも言えます。

 「今時の若い...」しかし、待てよ!自分の若い時はどうだったのだろうか、彼らと同じ様に自分の事が精一杯だったという事をと思い始めました。そして、まるっきり他の人の事を見ていなかったかも知れないと感じました。今更遅いことですが残念ながら、私の場合、全くその通りで、それに違いが無かったと思いました。皆さんもそうならない様に気を透けて下さい。実際は、不思議に年をそう真剣に感じていないのは困ったものです。

 そうです、どの時代でも、どの世代でもある程度の年になってくると、自分の若い時のことを忘れて言っているのではと思い始めました。もう少し早くきづけば良いのですが、ある程度の年になってわかることが多く、日々接している若い人に感じていたストレスが無くなってきました。

 年を感じるのは寂しいですが、目を掛けて面倒をかけて可愛いがってもらった人達の多くが鬼籍に入られた事です。現在、はたからどう見られても いまでも20代のつもりです。

 自分が、その年になって初めて気付くことが多くあります。あの時、こう言っていれば良かった。こうしてれば良かったと、気づかなかった未熟さ馬鹿さ加減に、反省すばかりです。その時々に関係した多くの人に不愉快な思いをさせて、迷惑の数々をかけて、昔を思い出し本当に済まなく思っています。今、読んでいる方に改めてお詫びします。

  人との付き合いで、最初の印象でその人を嫌いになる、合わないと改善できない場合が多いです。これが今まで対人関係が上手く行かなかったと人が多くいたと反省しています。反対に好印象を抱いた人に、騙された経験が多くあります。全ての過去を思えば、反省ばかりで生きていけないです。と言う訳で、済みません、これからも生きていくために、考えれば元々ストレスとは縁が無かったです。

 そもそも自分の第一印象はどう思われていたのか、また、別の項で...
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

459 Aphorism=アホリズム (毎週土曜日 更改しています)

2016-03-19 05:35:07 | 目標
 Aphorism=アホリズム、田辺聖子さん本でしたから、馬鹿なアホなリズムと思ったら大違いでした。念のため辞書で調べてました、この年で何も知らなかった自分が恥ずかしいですが、簡潔鋭利な表現 金言 箴言ではありませんか、まだまだ学ぶことがばかりです。

 田辺聖子、考えてみれば聖子、何処かで、そうです松田聖子さんと同じでは無いですか。オリンピックに関係した珍しい名前と思ったけれどそうでもないようでした。彼女が書いていた、「女は自分が惚れた男のことは忘れても、自分に惚れてくれた男のことは忘れない」本当かな、女性の気持ちは、未だ良く分からないので、そうゆう事なら私は数々の女性を幸せにしたと違い無いです。

  金言といえば「103歳で分かった事」の作者を忘れてはいけないです。103才迄色んな経験を経て、本一冊全て金言です。又、それまでの人生の全てが金言とも言えます。
「人生は1人でも面白い」「時間でもお金でも、用だけをきっちりすませる人生は、1+1=2の人生です。無駄ある人生は、1+1=10にも20にもすることができます。」素晴らしくいい事を書いています。

 なんとなく過ごす。なんとなくお金を遣う。無駄には次のなにかが兆している。無駄な事に多くのお金を使ったいる自分がありました。偶然、無駄ばかり、そう、その通り生きて来た私ですが、未だに次の何かがなんであるか分かっていないです。この方は死と言うものを考えずにきたそうですが、最近死について考えることが多いです。これでは駄目だと思います。

 沢村貞子さんは、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」どうもがいても老いは必ずやってくる、生きがいを持ち、感動を得ることが大事だと書いています。

遠藤周作さんは、読んでもタメにならないエッセイで「自分の夢を毎日2回となえなさい」「微笑みの練習をすること」「相手に笑いかける練習をしろ」「たえず興味を持つこと」等々、その他いずれ紹介します。

 金言ではないですが、綾小路きみまろさんが「老婆の休日」さすがに上手く言っています。それと、お金は身についてくるものと紹介しています。知らなかったのでついでに、体の上から頭金、金額、金目の物、(良い言葉)金口、花代、耳を揃える。胴体は、手形、手切れ金、繰越金、帳尻、そして、お足、お金無しでは生きていけないです。

 アホリズムについては、まだまだありますが、金言を金言として受け取って理解していない自分が情けないです。最近、やたら反省することばかりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

458 水谷先生 有難う御座いました。 (毎週土曜日 更改しています)

2016-03-12 05:33:27 | 映画
 高校時代は、学校へ行き毎日顔をあわせ、特にクラスメートやその先生方は、いろんな意味で忘れ難いものとなっています。
 その中で卒業後お付き合いして頂いた先生は、担任ではありませんでした。1年生の時は、隣のクラスで大変怖い先生がいると評判でした。その先生に2年から古典を習う事となりました。今でも、「る、らる、す、さす、ず、むじ、まほし まし」何の事か忘れていますが古典の方式として教えて頂いたことを覚えています。その元気一杯な先生が亡くなったと報告を受けました。癌で孤独死とは、まだ良く分からないですし、まだ信じられない状態です。

 先生は、「映画監督五所平之助を偲ぶ会」の会長で、監督を大変尊敬されていました。何冊も本を書かれて、毎年東京の例会に出席されていました。五所監督は第4代:日本映画監督協会理事長で日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名でした。
 テストの点数をつける時にいつも「ごしょ」と書いておられました。監督が1981年5月1日と79歳で亡くなっていますが、同い年に先生も亡くなられるとは、何かの縁、又、不思議さを感じます。

 私は、市川雷蔵の大ファンで、その生涯を書いた本を読んで欲しくて先生に送りました。映画の話、散策や人生についても何にでも話が合う人、合わしてもらえる人が京都に行けば、何時でも会えると思っていましたが、淋しくなり残念です。

 45年前、まだ1ドルが360円だった頃、私がスイスの小さな町を一人歩いている時に、団体バスから降りて来た先生に偶然にお会いした事がありました。確か、道路が敷石で、ひき詰めてありました。そして、今でも良く覚えている近くのオープンカフェテリアで珈琲をご馳走になりました。その時、これからパリに行く、部屋は自分だけで遠慮はいらないからと、巴里祭に自分の部屋に来ないかと聞かれました。あの時、行っていればと何時も思い出します。特に、映画「ジャッカルの日」を見る度に巴里祭に行かなかった事を悔いています。結局、その後、巴里祭に行く予定も無く過ぎていきます。

 カフェを去る時に、「マダム シルブプレ」とチップを置いて行かれた事を忘れていません。楽しい思い出での一つです。阪神ファンの先生、阪神優勝の瞬間でも空から見てください。又、先生がこのブログを書く上での字かず数も教えて頂いて、それ目安にして書きやすくなりました。有難う御座いました。 

バイト先や身近で、僅か5年程で亡くなった方が14人、3月14日は兄の命日、今まで切実に思って無かったですが、死というものが、大変身近なことと感じてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

457 労働組合 (毎土曜日 更改しています)

2016-03-05 05:49:42 | バイト
 テレビでブラック企業という特集をやっていましたが、その全てに当てはまっている会社に籍をおいています。勤務始めた頃、その元請け会社が、コンプライアンスとやたらに言っていたのに契約すらしていない下請けの会社は法律無視の状態です。現在、何らかの行動をしても、色々な理由を作って数ヶ月先に辞めさせられるのを敬遠しています。そこで、去年8月に初めて1人でも入れる労働組合に入りました。

 年休は、会社が儲かっていないからと、雇用保険は自分が払うといっても入れてくれない。給料明細は会社名無しの手書きで、源泉徴収票は要求しないとくれない。それも手書きです。介護の所と比べると雲泥の差がありました。

 マイナンバーで良い事もあるのです。厚生年金と健康保険料、半分会社が補てんしているのに去年12月、急遽入ったのでした。その会社の税理士に、その時期に入ると安くなるという理由でした。ナンバーを言わなかったと言ったら、私にお願いするより仕方が無いと言う有様でした。厚生年金は今まで払わなかった事は念頭に無かったようです。
 定年でバイトを探していました所、何も分からず、友人が理事長をやっているマンションの管理員のバイトを住み込みで始めました。当初は何の疑問も持たず仕事をしていました。

 それまでの状況を北大阪合同労働組合の代表に現状を言うと、裁判起こす必要が無い程??い状態だと。そもそも、その北同労働組合とは、地区代表は豊中の市会議員で木村真さんです。月に1回10人程、今の会社に不安や問題を抱えた組合員が集まって勉強会をしています。月1,000円の組合費を払えば、一人でも入れる労働組合です。
 
 当初から元請けの大手の会社がコンプライアンスと言いながら、下請けの会社にのやる事に知ってか知らずか、目をつぶっている状態が続いています。最初に有給休暇以前、盆の休みを貰おうとしましたが、◎っきり駄目でした。元請けの会社の課長に給料は住み込みから日勤になっても変わらないと言われたのに、その課長が転勤すると、即座に月給から時間給制になりました。
 
 でも、そんな会社ですが、辞めれらないです。勤務しているマンション、80戸以上ある所で色々な人がいますが、多くは優しく思いやりのある方です。そこで見たチラシで、学生時代から興味のあった介護施設にバイト応募があり、2つのバイトをした訳です。

 人生これから、空の仕事から色んな事をやっていますが、まだまだ面白く楽しく生きたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする