就活ではありません、終活です。新聞に載っていましたが、私の年代どちらも無かった言葉でした。人生の終わりの為の死に向けての活動を「死活」と呼ばずに「終活」という造語にしたのでしょう。上手な言葉創りです。
団塊世代はその前後を含めると、なんと約1,000万人が、近じか終活の対象となると言う事です。死ぬ場所、葬式、墓場所、墓石、遺品、財産等々の関連企業が満を持して、死ぬ事を待ちかまえているのです。我々は、死に臨んでも、世の中の役に立つ存在で、かなりの経済効果が期待できるそうです。
今でも思い出すのが、中学校時代余りに生徒数が多くて1学年が12組、講堂をベニヤで区切って教室を作った事です。それと同様に、墓場もなるのでしょう。多分、その墓場などあたらないかも...死ぬまで、世間のお役に立つという事で納得しなくてはいけません。最近、葬式代が無いと、死んだ人を同じ部屋に何年も置きっぱなしの人が出ていますが、近い将来増えるのではと危惧しています。もう、その一端が、先週の土曜日、早速ニュースになっていました。
人生の終わりにともない、一人10万円を費やすとしても1兆円、100万円なら、なんと10兆円が業者の餌食になるなどと考えられます。実は早くからこの事に気づいていて、そこで減って行く結婚式よりも、これから増えて行く葬式にもっと目を向ければ、良い商いになります。でも、そうは言っても何もできない。何から手をつけて良いか分らないまま、結局自分がその対象になるという愚かさです。
殆どの場合、その終活は遺された家族らに迷惑をかけない為で、それで死んで亡くなれば何も無くなるとの考えであれば、その必要は殆ど無いかも知れません。しかし、いずれにしても我が死体の処理方法等迷惑をかける訳です。遺骨を太平洋に散骨するのも、ちょっと面倒かも...
何年か前、白馬童子の山城新吾さんが亡くなって、死を目前にして面会を断ったそうですが、ある意味正解だったと思います。今さら痩せ細ろえた、可哀そうな老人の山城さんと見たくも無かったです。戦後最大の思想家、吉本隆明は「死ねば死にっきり」、元検事総長の伊藤栄樹は「人は死ねばゴミになる」つまり、死んだら終わり。あとは野となれ山となれ、ゴミの様に処理してくれて結構です。という意味だと思います。
お祖父さんは、知らないけど写真で見て雰囲気は分るけど、曾祖父になるとまるっきり分らなくなります。死後何百年も経ってお参りされるのは、その実像近く思い出される歴史上の人物だけだと思います。死んだら後、直ぐか何十年も経たずに、悲しいかな忘れされるのです。
皆さんも、若いうちだと遊びまわっていて、年金あてにしていたら私の様になります。今から財テク等考えなくてはいけません。今さら言っても分らないだろうけど、「終活」どころか良い年になっても「就活」で苦労する事になります。
団塊世代はその前後を含めると、なんと約1,000万人が、近じか終活の対象となると言う事です。死ぬ場所、葬式、墓場所、墓石、遺品、財産等々の関連企業が満を持して、死ぬ事を待ちかまえているのです。我々は、死に臨んでも、世の中の役に立つ存在で、かなりの経済効果が期待できるそうです。
今でも思い出すのが、中学校時代余りに生徒数が多くて1学年が12組、講堂をベニヤで区切って教室を作った事です。それと同様に、墓場もなるのでしょう。多分、その墓場などあたらないかも...死ぬまで、世間のお役に立つという事で納得しなくてはいけません。最近、葬式代が無いと、死んだ人を同じ部屋に何年も置きっぱなしの人が出ていますが、近い将来増えるのではと危惧しています。もう、その一端が、先週の土曜日、早速ニュースになっていました。
人生の終わりにともない、一人10万円を費やすとしても1兆円、100万円なら、なんと10兆円が業者の餌食になるなどと考えられます。実は早くからこの事に気づいていて、そこで減って行く結婚式よりも、これから増えて行く葬式にもっと目を向ければ、良い商いになります。でも、そうは言っても何もできない。何から手をつけて良いか分らないまま、結局自分がその対象になるという愚かさです。
殆どの場合、その終活は遺された家族らに迷惑をかけない為で、それで死んで亡くなれば何も無くなるとの考えであれば、その必要は殆ど無いかも知れません。しかし、いずれにしても我が死体の処理方法等迷惑をかける訳です。遺骨を太平洋に散骨するのも、ちょっと面倒かも...
何年か前、白馬童子の山城新吾さんが亡くなって、死を目前にして面会を断ったそうですが、ある意味正解だったと思います。今さら痩せ細ろえた、可哀そうな老人の山城さんと見たくも無かったです。戦後最大の思想家、吉本隆明は「死ねば死にっきり」、元検事総長の伊藤栄樹は「人は死ねばゴミになる」つまり、死んだら終わり。あとは野となれ山となれ、ゴミの様に処理してくれて結構です。という意味だと思います。
お祖父さんは、知らないけど写真で見て雰囲気は分るけど、曾祖父になるとまるっきり分らなくなります。死後何百年も経ってお参りされるのは、その実像近く思い出される歴史上の人物だけだと思います。死んだら後、直ぐか何十年も経たずに、悲しいかな忘れされるのです。
皆さんも、若いうちだと遊びまわっていて、年金あてにしていたら私の様になります。今から財テク等考えなくてはいけません。今さら言っても分らないだろうけど、「終活」どころか良い年になっても「就活」で苦労する事になります。