旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

299 終活

2013-04-27 05:40:14 | 思い出日記
  就活ではありません、終活です。新聞に載っていましたが、私の年代どちらも無かった言葉でした。人生の終わりの為の死に向けての活動を「死活」と呼ばずに「終活」という造語にしたのでしょう。上手な言葉創りです。 

 団塊世代はその前後を含めると、なんと約1,000万人が、近じか終活の対象となると言う事です。死ぬ場所、葬式、墓場所、墓石、遺品、財産等々の関連企業が満を持して、死ぬ事を待ちかまえているのです。我々は、死に臨んでも、世の中の役に立つ存在で、かなりの経済効果が期待できるそうです。

 今でも思い出すのが、中学校時代余りに生徒数が多くて1学年が12組、講堂をベニヤで区切って教室を作った事です。それと同様に、墓場もなるのでしょう。多分、その墓場などあたらないかも...死ぬまで、世間のお役に立つという事で納得しなくてはいけません。最近、葬式代が無いと、死んだ人を同じ部屋に何年も置きっぱなしの人が出ていますが、近い将来増えるのではと危惧しています。もう、その一端が、先週の土曜日、早速ニュースになっていました。

 人生の終わりにともない、一人10万円を費やすとしても1兆円、100万円なら、なんと10兆円が業者の餌食になるなどと考えられます。実は早くからこの事に気づいていて、そこで減って行く結婚式よりも、これから増えて行く葬式にもっと目を向ければ、良い商いになります。でも、そうは言っても何もできない。何から手をつけて良いか分らないまま、結局自分がその対象になるという愚かさです。

 殆どの場合、その終活は遺された家族らに迷惑をかけない為で、それで死んで亡くなれば何も無くなるとの考えであれば、その必要は殆ど無いかも知れません。しかし、いずれにしても我が死体の処理方法等迷惑をかける訳です。遺骨を太平洋に散骨するのも、ちょっと面倒かも...

 何年か前、白馬童子の山城新吾さんが亡くなって、死を目前にして面会を断ったそうですが、ある意味正解だったと思います。今さら痩せ細ろえた、可哀そうな老人の山城さんと見たくも無かったです。戦後最大の思想家、吉本隆明は「死ねば死にっきり」、元検事総長の伊藤栄樹は「人は死ねばゴミになる」つまり、死んだら終わり。あとは野となれ山となれ、ゴミの様に処理してくれて結構です。という意味だと思います。

 お祖父さんは、知らないけど写真で見て雰囲気は分るけど、曾祖父になるとまるっきり分らなくなります。死後何百年も経ってお参りされるのは、その実像近く思い出される歴史上の人物だけだと思います。死んだら後、直ぐか何十年も経たずに、悲しいかな忘れされるのです。

 皆さんも、若いうちだと遊びまわっていて、年金あてにしていたら私の様になります。今から財テク等考えなくてはいけません。今さら言っても分らないだろうけど、「終活」どころか良い年になっても「就活」で苦労する事になります。
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298 4月5日 死語

2013-04-20 06:25:17 | 思い出日記
 改めて4月5日が死語の日と知りまして、私の言葉が、又、関西弁が通じない、訛りだけでなく長く生きていると今まで通じた言葉が、死語になって通じなくなった言葉が多くあります。一抹の淋しさを感じます。

 初めて自分が京言葉を話していると知ったのは万博でバイトをしていた時でした。その頃迄、自分が話している言葉がテレビと同じだと思っていました。今世間で使われている意味と違って、3人の大阪人に対して、くたびれたので‘ほっこりしたな’と言った時に通じなかった時でした。そして決定ずけたのが、横浜から船に乗ってナホトカに行った時の事でした。周りが殆ど関東人で、私の話す言葉を馬鹿にされたと思ったのです、兎に角そんな雰囲気でした。

 この船旅とソ連の旅、その後欧州で会った人達に自分の話す言葉が他人と違うと言う事を知りました。特にフランクフルトで会った、家からホンネキ(直ぐ近くと言う意味、昔、京都高島屋に駐車場があるかと電話で大阪から尋ねた時、大阪でも知らないホンネキにありますと答えました。案内女は、私と同じで自分が京都弁を話していると自覚が無かったと思うのでした。)の御池の烏丸の男性の言葉が、今まで自分自身がこんな言葉を話していたかと思うほど、分る程のんびりと話したのでした。その彼の話を聞いて、その時まで わずか2週間程の旅が、私を変えました。済みません、変えたと思いました。
 今なら分ります。自分では標準語を話していると思っていますが、現在言葉は自分でも良く分らない言葉を話していると思います。
 現在、家にいる時は京都弁が混じっていると、関東の人からは、関西弁と言われていると思います。京都に帰ると何と思われているのか、京言葉はとっくに話せないと諦めているつもりです。私の母親の時代まで‘どす’を最後に付けていました。悲しいのは、父親がどんな言葉を話していたか思い出せません。

 東京大阪の中間の名古屋の言葉を書かしたらこの人の右にでる方はいないと言う清水義範さんが‘言葉の国’と言う本の中で廃語辞典なるものを書いています。私の思っていた事つまり死語辞典と言った方が分り易いと考えます。

失敬、インテリ、ロハ、アベック、カップル、ペア、桃色遊技、ピンク映画、御不浄、厠、雪隠、WC、勉強(安く)しときます、ハウスマヌカン、押し売り、まかない付き下宿屋、文化鍋、文化住宅、文化包丁、ナイロン、ズロース、お腰、腰巻、ノンポリ、学生運動、日和見、洋行帰り、舶来品等々、一杯あります。詳しくは本を読んで下さい。

 特に、ロハは只(ただ)と言う漢字を分解しただけとは知らなかったです。洒落た言葉が多いですが、まあ、いまさら知っても死語になって役にたたない訳です。
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297 関西vs関東 

2013-04-13 06:35:46 | 思い出日記
 関東に出稼ぎへ行って、そこに住んでみると、東京以外にも人が住んでいるのかなと思ったほどです。私だけかも知れませんが、東京と言う大都会にいると他の地域が見えている様でそうではありません。きっとそこに住んでいる人が大阪に行くのは、外国に行くようなものだと思います。多分、成田の人にとっては、言葉も違う点、お好み焼きとチゲ、ソウルの方が近いと思っているに違いありません。

 東京は別世界で関西に町があるのか、その中心大阪に戻って来て驚くのが、何の不思議も無く人が生活する町があると言う事です。芸人も東京に行くと給料の違いもあって地方に帰るのが馬鹿らしくなるのでしょう。
 
 車にしても関東はトヨタの車が多く、特に成田近辺には車の半数以上がトヨタの車と思われます。大阪では勿論トヨタが多いですが各自が自由に多種多様な車を選び、特にベンツと最近目立つのがマツダやスバルの富士重工の車が多いのが目立ちます。ここにも個性が際立つ関西と言う土地柄が表れていると思います。

 若かりし時に、東京の同じ会社の営業の女性に、軽い冗談で、その格好で大阪の来たら石を投げられると言った事がありました。私も若かったのを反省します、勿論軽いノリのつもりでしたが、悪印象を与えて、その後関係は当然改善されずにいました。

 日経新聞に、関西は「口」ばっかり...いえ駅名の話が出てました。関西2府4県で口が接頭語的に付く駅が45、関東は1都6県で10駅だけであると書いていました。甲子園口や近鉄の信貴山口駅は施設や山の玄関口。阪急西宮口は方角、JR甲子園口は住宅地の玄関口で、なんと歩いて球場迄40分、西宮北口は方角、多分関東なら北西宮になったはず。鈴蘭台駅、鈴蘭台西口駅、西鈴蘭台駅と続き、西口はすぐ近くというイメージになるとの事。京都では街道の関所を「鞍馬口」「丹波口」等、「京の七口」と呼んでいたとの事です。
 反対に頭に「新」がつく駅は関東61駅、関西19駅。京都府においては少なくて、京都市内にゼロ。京都はここにも昔の名を大事にしています。
 「口」「前」の関西、「新」「台、ケ丘」の関東。すぐそこは「前」、玄関口は「口」と区別する実益重視の関西、イメージ重視の関東と言えます。

 関東と関西、地名でこんなに違うのですね。最近寒さが応えて仕方が無いですが、成田にいた時は薄着だった私が、以前この寒い中で、当時ズボン下無しで過ごしていたとは考えられません。年とともに寒さが身にしみてきます。(今や暖かなヒートテック、昔東京に行った人がデパートでパッチの:関西でズボン下の事をそう言いましたが、売り場を探しましたが、当然通じなかった事を思い出します)

 小さな国でそれぞれ地方が独自の生活様式をしているのも、1つには封建時代の江戸期が長かった事が地方色を強くしたと思います。話がまとまり悪くて、これも寒さの性と思って下さい。
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296 日本語

2013-04-06 06:42:14 | 思い出日記
  昨日4月5日は死語の日だったのですが、知っていれば、死語を集めたのに残念です。話は直ぐに変わりますが、戦後に日本人は物まねでコピー物を作るのが上手と、オリジナルなものが作れないと良く言れていました。今やその事が中国になってしまって、そう言われていた昔の日本の事を忘れてしまっています。あれだけ中国が大きいと日本もいずれと言うより、もう斜陽英国の様になっているのかも知れません。しかし、ずっとその英国の方が私のいた頃は住みよかったです。

 しかし、今何か思い出せませんが、日本人が作った驚くほどオリジナルなものもアメリカに持っていかれたものが多くありました。アメリカに最初に行った時に、南部の田舎で、ホンダはアメリカ人が作ったものと信じていた人がいるありさまでした。その米南部で、余りに確信を持って言うから、私自身そうじゃあ無いかと思った程でした。多分、日本人にあんな物が作れるはずが無いと思っていたのでしょう。
 
 しかし、文字においては、日本人は大陸から学んだ漢字からカタカナやひらがなを作り、「漢字かな交じり文」で新知識を吸収してしまう消化能力があります。

 産経新聞に‘中国にノーベル賞は無理?’と書いていました。それは漢文の文章表現に苦労しているそうです。例えば、チェルシーFCの中国語は‘切爾西足球倶樂部’、薬品のペニシリンは‘盤尼西林’と書くそうで、これが物理や化学では極めて煩わしくなってくるそうです。1字1字が意味を持つ漢字表記が余計な連想を伴い、研究の邪魔をすると書いています。一方、日本語は外来語や科学分野の表記では、意味の無いカタカナが威力を発揮します。

 まさに私が昔から思っていた事に、日本文字の素晴らしさがありました。先ず、漢字、ひらがな、カタカナ、それにプラスローマ字を使い分けて書いています。世界でも稀な、と言うより独特の、縦、横、左から、右からと右往左往に書いて読めるようになっています。同時に、本も表紙が右からも左からとどちらでも良いというように出来ているのです。こんな不思議な文字を使っている国は思い当たりません。

 看板とか、のれんを見て常に日本文字の素晴らしさを日々知らされています。日本人は発想の基になる事が、小さい頃から普通にできていると考えられます。日本語の構造が知的な吸収力を生む源と言えます。英語でも単縮語を使うケースが多いですが、何を言っているのか不明な点が多すぎます。初めてTPPと聞いて、何の略か、意味か直ぐに言える人が何人いるでしょうか?

 しかし、最近の携帯は、左から右に書く様になっていて日本文字の特殊性は甚だしく失われてるのが、日本の将来に影を落としているかも!心配しても仕方ないかもね...

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