旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

482 世界のトイレ (毎週土曜日に更改しています)

2016-08-27 04:30:01 | 思い出日記
 お手洗い、雪隠、厠、手水、 はばかり、トイレ、便所、等々、様々な呼び方があるものです。近年は公衆トイレには落書きが無くなって卑猥な書き込みが無くなって日本も国際レベルになりました。
 世界に目を向けると、色々なトイレがあります。私の知っている古い話で失礼、社会人になってマドリッドに日本航空就航記念で切符が手に入り欧州に久々に行った事がありました。そこで、途中でアムステルダムで現地で近畿日本ツーリストの知人に世話になり、そこの寮に泊まった時でした。
 それは普通のトイレで、水溜めが天井の方にありパイプで繋がっていました。どこが変わっているかと言うとボタン、ひも等水を流すものが全くありませんでした。前にあるパイプを両手で引き上げると事前に聞いていなければ入ってから焦るところでした。
 ますます古く、学生の時、デンマークで皆で郊外に泊りがけでキャンプに行きました。その時、水洗では無くて、比較的広い小屋の中に2つの穴が開いている所に座ると言うものでした。北欧は進んでいる、2人が並んでできると思っていたのですが、考えると一方が一杯になったら他方で用をたすものだと勝手に考えています。
 イタリアの田舎の公衆トイレで、便器は無くて足の置き場だけが高下駄のように高くなっていて穴が開いて、水が全面にド~と出てきて全てを流すというものでした。これなら日本でも汚さないかも知れないと思ったのです。+
 懺悔しないといけないのが、同じく学生の時にスペインの博物館で初めておばさんがトイレの手洗い場にいて、出る時に初体験のチップを払う必要があったのですが、払わないで出て、大声で怒鳴られたました。日本人として恥ずかしいと、その後トラウマになっています。

 有料トイレで思い出すのは、サンフランシスコで、無人の有料トイレに入った所、一つの個室だけドアが無く、オープンになって無料なっていた事でした。空港にカーボーイハットを当然のようにかぶってくるダラス空港での便座は、爪先だちになるほど高いでした。

 昔、ビルマ(現ミヤンマー)でマイクロバスで廻った時に、2人の50歳代の女性がトイレが無い田舎で、広い平原で20m程、皆から離れた草山の後ろで用をたした事がありました。

 中国は未だ行っていませんが、縄がトイレにあったと聞きました。日本でもちょっと前迄、立ち小便当たり前でした。当然、全て恥ずかしくてできなくなりまた。生活が安定して恥ずかしいという事が道徳心の向上になっていると思います。
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481 1年前 (毎週土曜日に更改しています)

2016-08-20 03:31:09 | ブログ
1年過ぎるのはあっと云う間です、介護施設での話ですが、こんな事を書いていました。(「朝、「今日は何月、何日、何曜日」と聞き、そして「毎日日曜日だから関係無い」と納得して、それを何度も繰り返し聞いている人がいます。その方には他の人が集まる前に、何度も「今日は何月何日何曜ですか?」と聞いています。その成果が表れて、やっと一回だけ皆に聞くようになりました。」)それと、ヤナギヤと云う中華レストランに一緒に行こうと云うのが毎日でした。

 それから1年、この方は、ほぼ毎朝、一階の食堂で良く1人パジャマ姿でうつ伏せになって眠っておられます。今や日にちには興味も無くなってます。そして起きると二部屋向うの自分の部屋は何処、連れって行ってと不安そうに聞かれます。
 「パジャマを着替えて下さいね」と言うと、「着替えている」とその時は怒鳴って言いかえすのです。時には大声で殺してくれと言っています。

 先日、久方ぶりに1階の食事の世話をしていると、その方はかなり早めに切り上げて、まだ食べ終わっていない90歳の方の所に行くので、又、文句でも言うか、何か危なさを感じたのです。しかし、思い過ぎで、その方について自分の部屋まで連れていってもらう為でした。元気だけでは、健康でいなければ駄目だと改めて感じました。

 この施設だけで無く、今までに書いている様に、周りで沢山の人が多く亡くなっています。こんなにも大勢のの人が亡くなったのに、死を考えないていないと云う、103才の時を書いた本の人の様には生きていけないです。どうしても、死と接して自分も渦中に入ってしまいます。死を意識せずにいられるとは、幸いな人と感じるこの頃です。

 施設にもどんどん新しい人が入居してきます。その分、古い人が亡くなっていると言う事です。そして、古いスタッフは辞めて、新しい若い人に変わっています。それは仕事が夜勤等もあって大変忙しく、給料が安いせいと思っています。私はバイトで時給で良く文句を言われるマンションの管理員と比べればズ~と良いように思います。ただ、正社員で若くて何か仕事が見つかるとこのハードな仕事を辞めると思います。

 介護員だけでなく、幼い子供を見る保育員も彼らのやる気だけではやっていけない給料と考えている以上にハードな仕事、世の中、ひどい事になっています。全て今まで考えもしなかった事ですが、バイトで色々と人と接していて分かる事が多いです。 
 
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480 頑張っていきましょう!(毎週土曜日に更改しています)

2016-08-13 04:43:35 | ブログ
年寄りを多く見ているとどの人も同じ顔に見えてきました。その顔は大きく分けると4つか5つで、丁度、日本列島みたいに北海道、本州、四国、九州の様に分かれまています。その程度、4つぐらいだと、毎朝介護施設の老人を見ていると気づきました。偶に、吉永小百合さんのような、歳を重ねても綺麗な人がいますが、それはそれで沖縄列島と思えばいいと思います。日本列島は年取った人を説明するのに、上手くできています。自分で感心しています。
 
 多分、年を取ると、日本人の骨格の違いが大きく作用すると感じざるを得ないです。若い時にそう気づいたらもっと違ったら違った人生を送っていたのかも知れないです。でも、私の場合は、やっぱり若い時は、それより美しいものに目が行くのは仕方ないと思います。

 ほぼ毎日、入居者の血圧と体温を計っていますが、まるっきり、その高い血圧を着にしない楽しい方がおられます。因みに、160‐170台です。如何にも陽気でたくましい方です。

 その反面、ある日「(血圧が)高いですか?」と聞かれて、「少し高いと思います」と答えました。その時は、血圧146だったと思いますが、その後、事務所に心配で相談に行かれました。その方は、常の血圧が180を超える事が良くありました。お年寄りは、特に発言に気をつけなければいけないと実感しました。今までの失敗の繰り返しです。

 数少ない男性の入居者ですが、缶ビール500mのプルトップの栓を開けてくれと言われました。手に持っているから、問題無く開けました。後で、注意を受けましたが、何故、缶ビールを持っていたのか聞き忘れました。

 食事の時、普通の塩を持参で来る人、普通の梅干しを持って来る等、健康に人一倍気を使っているものからすれば、何ともやり切れません。反対に、後何年存命であるか分からない人達が施設と云う限られた場所で生活をなされている事を考えたら、それもありだと思います。

 何人かに、「兄ちゃん、兄ちゃん」と呼ばれています。そこで、皆さん猫背を予防する運動を! 「手を後ろ、ひじは内側に手のひらは外側にむく、左右の肩甲骨をつける様に互いに近づけて胸をはる。息を吐きながら、この状態を5秒保った後、10秒リラックス。こんな簡単な事、若い内からやっていればと思う団塊世代、マダマダ頑張らなくてはと1日20回」、読むと難しいですが、簡単です。若さを保つように頑張ってください。
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479 御所の思い出 (毎週土曜日に更改しています)

2016-08-06 05:02:26 | ブログ
 「佐々木蔵之介が遊んだ「御所」」として夕刊に紹介されていました。有名になると凄いものです。彼の家は、ほぼ私と同じ所に住んでいたといってもいいような距離です。御所は遊び場にはちょっと遠いですが、夏休みには宿題をほったらして毎日行きました。実際の所、宿題があるとは考えていなかったでした。
 彼と約10歳、何かオカシイと思ったら20歳近く年が若いのでした。御所は佐々木さんだけでなく誰でも遊べます。昔、高校の友人を御所から我が家迄、歩かして遠いと言われた距離でした。御所迄、バスで2駅、でも私にとっては歩くのが当然の距離です。

  一周、確か4キロあったと思います。二条城が一周1,800メートルあって子供の時、何かのマラソン大会で走りました。よーいドンで後ろから押されて倒れ、足をすりむいた覚えがあります。

 御所は仙洞御所(向かって右側にある建物)は一般には入れない宮内庁管轄ですが、入ると職員の手作りテニスコートがあって、その向こう側にエリザベス女王が宿泊した所があったように思います。女王が初めて靴を脱いだという話題になった事がありました。

 御所のオープンになっている緑地は、環境庁の管轄する誰でも入れる国民公園です。彼はクマゼミが朝早く行くと木の根元にブワッといたと言っていますが、私の時はカタビラと言っていたクマゼミを取るのが非常に難しい事でした。アブラゼミには興味がなく、そのカタビラを取って家に毎日50匹を持って帰っていました。その後、そのカタビラは、どうなったか知らなかったですが、母親は迷惑したと思います。

 そのカタビラ(クマゼミ)は、手の届く所、簡単に何処でも取れるほどになりましたが、関東方面にも住み着くようになったのです。これは、植林で土について北上していったとそうです。御所のセミの声は迷惑な程ウルサイもので、良く通った丸太町通りで、その頃あった電車で通る度に強烈な鳴き声がコダマしていました。今でも多分そうですから、一度体験してみたらと思います。京都の夏の風物詩だと思います。

 御所内では色々と遊びました。建物横の小川というか1メートル程の流れを、砂利でせきとめてダム遊びや、勿論、蝉取り、秋には刈った木で、陣地遊びというか人が入れる小屋を作って遊びました。
 
 大きくなってからは、雨の御所は私の大好きな光景でした。だだ広い所に人も少なく、まばらという日本で余り経験できない貴重なものです。是非とも雨の日の御所に行って下さい。京の観光地の喧騒を忘れ去ります。
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