旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

874 デンマークの子供の為の施設(次回更新予定日 4月6日 第一土曜日)

2024-03-16 10:20:40 | 日記

 少子化が問題になって暫く経ちます!が、学生の時、可愛い女の子を持つ兄の前には一挙に二人の女の子、出産後余りに苦しむ義姉!医者もビックリ男の子が!後でレントゲン写真に影に隠れて一人?!直ぐに学会に?いい加減な!昔人間の京の叔母は孫の着ていた古い着物を、その行為に感謝した兄を尊敬しています。大変な家族の所に訳も分からず訪問した私!幼く可愛いい盛りの上の女の子は哺乳瓶を持って右往左往🙃苦労の連続だったに違いないです。そして弟の心配まで!全く落ち着いている間が無い!兄弟姉妹の良さを知らず経済的では無く一人っ子で育った人が増え、他人事に目がいかない自分が何時も中心!幸せだったから子も一人?そんな事は考えもしなかった’71年当時のデンマークの施設を紹介します。
Bornehjemmet Lundly (ボーンイエメ ロナルュ)N.W.Gadesvej 18、3480 Fredensborg Denmark
 コペンハーゲンの北35kmにある孤児院、保育園と幼稚園が混在していて三つに:(1)0-3歳(2)3-4歳 (3)5歳から、職員数は13名で、通常3-4名で7時以降1名いて総は約20名いる施設です。この施設に約3ヵ月勉強?

ヘンリック=両親はいるが母親病気 //パネラ=両親失業中     // リトルボア=未婚女性        
ヨアン  =母親知的障害者           //ピア =母親家庭内 スティン  //シュネーダ =部屋の見つかる迄
ヤニー/ブリアン兄妹=離婚母のみ新居見つかるまで//ヤン/アンネッテ/ベンテ/イレ-ネ/スザンヌ =母病気    
ローナ=両親あり、離婚再婚    //レネ/ベェリット=両親の家庭内暴力
ロッテ/エンスオット =両親貧困  //ボレェテ =離婚 母親のみ                      リーサ/クラウス =離婚 再婚   //ランディ/ブリアン/リラ=貧困   //シェネダァ=父暴力で警察
それ以外の行った施設は、
*E.GEVANG (非行少年の為の学校)
 コペンハーゲンの郊外に位置して広大な庭園の中に、美しい校舎、それと農園。総職員数は11名で生徒数は24名でした。軽い非行である為に、比較的に自由に施設外に出入りでき、各自一部屋を与えられています。
*ケネディ ガーデン(米大統領からの名前)
 両親の共働きから来る孤独感を癒やす為に、施設は大きくて老人の憩いの場と兼ねていて双方に取っても刺激があって素晴らしい施設でした。

 これが半世紀以上前!現在、経済大国になった日本にどれだけの施設が?偶々、休学届を出す為に経営学とは関あるように良く結び付けたなと我が事ながら...目の付け所素晴らしいでした😊?改めて今ならできない。若いって本当に素晴らしい事です。

 
 
  

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873 新しい仕事と新しい友人(次回更新予定日 第3土曜日3月16日)

2024-03-02 06:04:52 | 日記

 この話と歴史?を競うマンション管理員を10年以上。そこで亡くなった方を忘れない為に何年も前から、その人たちの名前を書き始め、今やその数は18名。その多さにビックリします。年と共に思い出顔も出て来ない人も!淋しい事ですが、笑いも悲しみも生きている間が全て!死んだらお終いです。今を楽しく^^♪そんな事はこれポッチも考えもしなかった。そして若かっただけで、当然今よりズーと元気一杯のデンマークでは...

 11月8日曇り/夕食時に最初に対応してくれた女性マリアン!気持ちの良い娘さんで、ただ、もう少し美人であれば言う事なしです。(済みません!その頃の私の初見です。)
 デンマーク人らしく見えません、どちらかと言うとアメリカ人の勉強できると言う感じの娘でした。大変に世話になっているのに、好き勝手いっているのに驚きました。でもその表現で思い出しました😌
 彼女はデンマーク語の学校へ行く事について熱心に説明してくれました。その後11時も過ぎたので眠かったのですが、みんなでテレビを見ました。(今や20時寝(^_-)-☆)
11月9日 晴れ 後 曇り 一時 雨/デンマークでは良くあり日。朝起きるのが辛くて朝食を食べずに、お陰で昼迄、空腹と戦う事になりました。(今や朝飯はキッチリ)部屋の電灯が点かないので、流石ボス何でもボスのベントが修理。そして私のデンマーク語の学校の心配をしてくれたのです。
 昼食後、まず学校の案内所に行きました。しかし直ぐに入学費を支払う必要があり。もう一度行かなくてはならなかったのでした。 
 結局、3時頃に帰り、ヤンに仕事の内容を聞きましたが、仕事はここの少年たちの生活を2週間かけ観察すると言うものでした。勿論、無給であり自由にしてもかまわないと言うフリーな状態です。初めからそのつもりでしたから、有難く受け取ったのでした。(思うと珍しい東洋人と言う事で良かったのかも?)
 皆がちょうど帰ってくる所で、早速、テレビを見ている間に入って行きました。昨日から知ってるカッスンと直ぐに親しくなりました。彼の家は貧しく、ここで世話になっていると言う事でした。(本人に聞いたのでは無く、マリアンから聞いた事です。)
 みんなの話してる内容は、男女の関係についてです。ここデンマークではごく自然に話してることでした。16歳に女の子が私に堂々とセックスについて質問してくるのでした。私より、見かけもズート大人でした。賞味答えに窮した自分に、実際困ったものでした。
 こんなにも誰彼と親切にされて良き時代にデンマークで過ごせた事に感謝と驚きです。(今や覚えているデンマーク語はボーダンハーズデイ ヤハデゴッツ=ごきげんいかが?私は元気!だけです)

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