旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

385 名

2014-10-18 07:06:31 | 思い出日記
  自分の名前、つまり愛称やファーストネームで、どの様にいつ頃まで、みんなに呼ばれているか考えた事がありますか。私は今考えました。そのままの人はいると思いますが、小さい時は、みんな名や愛称で呼ばれていると思います。普通、名字で呼ばれるようになったのはいつ頃であったかと考えると、小学生の時に習慣ずけて呼ばれるようになったかと考えます。それが当たり前だと誰も気にしないのが普通です。だんだんと学校行く前の友達との付き合いが無くなり多分、幼年期から小学校に入学したという自尊心が芽生えた為ではないでしょうか。
 名前で呼んでもいいのに、それがどうしてそう呼ぶのか、今となって不思議です。一年生になった時、小学校に入る迄、普通家に帰ると友達も名前で呼んでいましたが、クラスが違うといつの間にやら疎遠になって行ったのです。

 特に女性は、大人になっても愛称で呼ばれる人が多いと思います。それと外国の人は階級など関係無く親しみを込めて大人になってもファーストネームで呼びます。私は外国の人にも名字の最初2文字を名のっていました。多分、初めて小学生で名字で呼ばれましたが、学校はそう言うものだとなんら疑問を抱く事すらなかったと思います。 
 当然の如く、小学校に入るまで名前で呼ばれていました。その当時も、私の名は、たった3文字でも面白いもので呼び方は色々です。親兄弟は大きくなってからも、そのまま‘ゆたか’ですが、そんな家族も一人だけになりました。こんな事を考えるのは、兄の葬式で会った親戚の人達が少なくなったからです。
 思い出すと、その名前を、人によって、たった3文字の名を、文面では難しいですが、それぞれ強調や強弱をつける所が違います。この場合、親戚で地方の人と結婚した人がいて、その人も呼び方が違いました。もっと小さい時は、可愛く「ゆーちゃん」と呼ばれていましたが(本当に可愛かった??)、大きくなってもそう呼んでくれる姪とは音信不通です。考えて見れば、親戚は特に名字で呼ぶのは変で、大きくなっても、名前で呼んでくれる人は今や有難いですが、片手に余る位になっています。

 今でも思い出しますが、学生時代にバイト先で呼ばれた覚えがあります。大きくなってからは、そもそもその名前がきらいでしたから、呼ばれるのがいやでした。私の名は母親が金光教の信者であって、その神主に付けられた名前と聞いています。と言う訳で一行で終わる、自分の名を題材の作文を書くのに苦労しました。余りに当時は平凡な名前でしたから、小学生の頃はクラスにもう一人同じ名の人間がいて嫌っていました。しかし、不思議なもので、今となっては大好きな名前となって来ました。
 
 皆さんも、名前で呼んでくれる方を大事にして下さい。だんだんと、年上の人が亡くなり少なくなり、こんな事も考え始めて来ました。
 
コメント
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