昨日、瀬古利彦さんの講演を聞いておりました。講演のテーマは「心で走る」・・
瀬古利彦といえば往年のマラソンランナーでした。早稲田大学時代は箱根駅伝で花の二区を1年生から努め、福岡国際マラソンにいたっては二連覇を果たしました。ところが当時、国内では最強といわれた瀬古利彦も、オリンピックには縁がなかったのですね。24歳のときはモスクワ五輪のボイコットで出場できず、金メダルの期待が高かったロスアンゼルス五輪では、事前のオーバーワークがたたり体調不良で走った結果はメダルに届かず・・と、紆余曲折の競技人生を振り返っていました
。それでもフルマラソン15戦10勝ですからね。高い勝率は日本の陸上競技の歴史に立派な成績を残しました。現役時代は無口でひた走るスポーツ刈り鉄人のイメージでしたが、今回の話を聞くとこれが面白い。自ら三遊亭楽太郎に似てるっていうし、まさに走る落語家。ダジャレ交じりの親父ギャグを連発!!「ここだけの話」奮発の大サービス!会場は爆笑の連続、ひげ親父も楽しませてもらいました。
瀬古利彦といえば往年のマラソンランナーでした。早稲田大学時代は箱根駅伝で花の二区を1年生から努め、福岡国際マラソンにいたっては二連覇を果たしました。ところが当時、国内では最強といわれた瀬古利彦も、オリンピックには縁がなかったのですね。24歳のときはモスクワ五輪のボイコットで出場できず、金メダルの期待が高かったロスアンゼルス五輪では、事前のオーバーワークがたたり体調不良で走った結果はメダルに届かず・・と、紆余曲折の競技人生を振り返っていました
。それでもフルマラソン15戦10勝ですからね。高い勝率は日本の陸上競技の歴史に立派な成績を残しました。現役時代は無口でひた走るスポーツ刈り鉄人のイメージでしたが、今回の話を聞くとこれが面白い。自ら三遊亭楽太郎に似てるっていうし、まさに走る落語家。ダジャレ交じりの親父ギャグを連発!!「ここだけの話」奮発の大サービス!会場は爆笑の連続、ひげ親父も楽しませてもらいました。