黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

モアテレビ、モアテレビ…really?

2007-06-19 10:02:22 | Weblog
私の部屋にはテレビがありません。もともとテレビは
あまり見ませんので、一人ぐらしを始めるにあたり、
思い切って買わない事にしたのです。

初めは「やっぱり必要かな?」とも思いましたが、
無いなら無いで何も困りません。ニュースはネットと
会社の置き新聞、コメディやサイエンス番組はレンタルや
動画サイトで充分です。ドラマはもともと見ませんから、
何等問題ありません。寂しくなれば音楽とラジオ。
更に素晴らしい事はCMの煩わしさから解放される事です。

昔から、こんなにテレビを見なかった訳ではありません。
テレビっ子だった時期もあります。

実は、私がテレビを見なくなったきっかけになった
事件があります。それは松本サリン事件です。

オウム真理教による未曽有の化学テロは許される
ものではありません。しかし、それよりも酷いのは
無関係の民間人を犯人に仕立てたマスコミです。
特にテレビ。テレビの恐ろしい所は、見るものを
骨抜きにしてしまう事です。視覚、聴覚を奪い、
ついには思考を奪うのです。三原色が織りなすビジョンは
真実であり、絶対なのです。幻影と共に聞こえる囁きは
福音なのです。テレビ伝道師でなくとも、全ては
ある授権者の伝道なのです。

犯人とされていた彼が無実と判明する瞬間まで、彼を
犯人と信じていた自分とその情報を「ねつ造」していたマスコミ、
特にテレビを恐怖しました。常識や真実すら、作り替える事が
できる現実に恐怖しました。

テレビは無かった事にしたかったのかも知れませんが、
これは前代未聞、言語道断の放送事故です。
放送免許を取り上げても当然の悲惨な事故、いや事件です。

ここまで酷いと、普通は自浄効果が発生するものです。
しかし最近のニュースを見る限り、それは発生していない
ようです。腐りきったものは、一度土に返すほかありません。

テレビの死はそんなに遠くありません。
いや、もう「終わりの始まり」は姿を現しているように
思います。利のみ追求するテレビ局の暴走と
動画ストリーミングの台頭。時代の寵児は必ず滅びるの
です。恐竜やアノマロカリスのように。

テレビを消して、自分を取り戻して。それから後にまた
テレビに会いたくなったら会いに行けば良いと思うのですよ。


多分、私は好き好んで会わないと思います。
会ったとしてもNHKくらい。
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エクスプローラ

2007-06-19 09:25:55 | Weblog
昨日の帰り、新快速の中でのこと。

足元に気配を感じ、視線を落としてみると蜘蛛一匹。

初めは宛もなく彷徨いているのだと思いましたが、
観察を続けていると、兎に角上へ登りたいようです。
恐らく、巣を張るためにでしょうか。人の足に登っては
違うと感じたのか降り、踏まれそうになりながら
また彷徨き。迷っては考える如くに止まり、
しばらくしてまた歩を進める。私は彼の行く末が
気になり、目が離せませんでした。

やがて、座席と内壁の繋がる場所の角から、上を
目指して登り出しました。しかし、金属の壁は
ツルツルと滑るようで、登っては落ち、登っては落ちを
繰り返していました。

それでも、糸を張って足場を作り、確実に高度を
増して行きます。

そこで電車は駅に着きました。その後、彼はあの壁を
乗り越えたのでしょうか。それとも、成し遂げられずに
またさまよい歩いたのでしょうか。

今の会社に就職したものの、それは正しかったのかと
自問自答しながらも、なんとか良いように変えて
いこうとしている(つもりの、多分)私自身を
蜘蛛の姿に見たような気がします。
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