黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

セツナヴィジョン

2007-06-23 22:46:06 | Weblog
久しぶりに母とデートをしました。

在来線の駅で待ち合わせて、数種類の緑色のタイルでモザイク風に
装飾されている、外装がとてもユニークなビルの上層階にある
レストランで食事をしました。

久しぶりに会う母は相変わらず白くて、可愛らしい母でした。そんな姿とは
裏腹な、彼女自身に起きたとんでもない話を聞きながら、ビュッフェ形式の
食事を取りました。その内容に臨席は聞き耳を立てて、目を白黒させて
いたかも知れません。

とてもその内容は言えませんが、話から感じたのは、

・母は父をとてもとても深く愛している。
・母はとても優しく、優しいが故に損な立場になる、いつだって。
・人並みの幸せを得たいだけでも、優しさを捨てなければ
 ならないのか。母も、私も、誰も、彼も。

以上のような事です。幸せは泡の様なもので、必ず失われてしまうもの
なのでしょうか。その後、再び現出する可能性はあるかもしれないにしても、
一度くらいは失われてしまうものなのでしょうか。二度と目が開かぬ眠りに
落ちるまで、永続しないもなのでしょうか。

・・・永続しないものなのでしょうね、きっと。

食事の後はそのビルを下っていき、途中の石鹸やら化粧水を専門に売る
店でレモングラスの香りがするハンドクリームを買いました。母と私と一本ずつ。
レモングラスの香りはとても強く、手に取ってマッサージをすると辺りも
レモングラスの香りと色に染まりました。すぐ霧散してしまうし、手に塗り
こめたのも割と早く消失してしまいましたけれど。これも、幸せの性質に
似ています。

それでも、ストレスを溶かし込み、中和する触媒にはなりそうです。
母を瞬間でも救ってくれるといいのですけれど。

他にもドラッグストアで資生堂のコラーゲン飲料(私のも! 妹の職場の方が
飲まれているそうですが、一晩で「変身」できるそうです)とパーマ液を買って、
お茶を飲んで解散しました。

ホームに向かう母の背中はそれほど遠くないのに遠く感じました。こういう
光景を見えるたびに、しばしば家に帰らねばと思うのですがなかなか帰らず。
1時間もあれば帰れる距離にあるのに。いや、距離が近いだけに帰らないのかも
しれません。帰るだけでも孝行になるというのに。彼女の何処にも吐き出せない、
愚痴を今日のように聞いてあげることが出来るというのに。

時間は矢のように飛んでいくのに、億劫がってしまう私。でも、どんなに孝行しても
後悔するともいいます。私が健康で、泡のようであろうとも幸せでいるのが
孝行のような気もします。なかなかに難しいことだけれども。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする