-壱-
親愛なる君よ、もう秋だね。秋の月夜ってのは、夏の肉体を、だらだらと苦しめる、あの蒸暑の無いせいか、頭が、やけにはっきりしていて、不思議な妄想が生まれるよ。月夜に犯罪が多いってのは面白いよ。
冬を予感させる、やけにヒヤッとした空気を、月夜の街で、路で、窓を放った部屋で、私は何か霊感を受けたように感じる。
そんな時、やけに体は寒く萎縮して、頭の方は氷をブチ割った時みたいにカーンと冴え渡たり、今まで無関心だった些細なものが、全て明確な鋭い線を描いて、私に迫ってくるんだ。恐ろしいくらいに、殆ど強迫じみて近づいてくるのだ。
石ころの影、ゆれる電線の縄、地面、ヘッドライト、たたずむ人々、ケータイの光、全てのもの、いっさいのものが、はっきりと存在をしめし始めて、ぐんぐん私に迫って来る。
そんな時、私は、とてつもなく、こわいのだ。身の毛もよだつのだ。全てが、ほんのちょっとの音や光が、私を、ひたすら脅かす。君には経験ないかい?
アパートの窓にうつる人影や、人けの無い辻の蛍光灯の光の輪と、その奇妙な影の小世界。家々の冷たい死灰のような様相。私は、それらが自分の内に入ってくるように感ずる。
かと思えば、それらの作った、この月下の世界から、私は物凄いスピードで、誰も行きつけぬ、限りなく広く、薄暗い荒野に引っ張られ、永遠に放擲される。
私は誰もいない、どろどろと暗く、無限に空漠である薄気味悪い廃墟に、一人、閉じ込められる。
その不安だ。私は走らずにはいられなくなるのだ。特に酒に酔った時、その不安は特別だ。月に体が、引き上げられそうになるのだ。
目にうつる世界が全て、手にとるように、はっきり感ぜられ、それが体内に感ぜられ、次第に、その果て、極限に至って、肺の下あたりが、ぶるぶる震え出し、月の引力を感じるのだ。
私は蜘蛛の巣のようにへばりつく引力を、払い払い、気違いの如く、メチャクチャに夜を蹴る。
光が、びゅんびゅん、後方へ流れ、遥か前方に、はっきりした小さな映像が見える。まるでセンターフォーカスレンズを目に嵌め込んだ感じだ。遥か遠くの中心だけが、(たいてい、それは家の灯なのだが)やけに、くっきりと絶対のように不動で、私をして、ゴール位置に定まっているのだ。
-弐-
さて、私は、今、秋の夜長、慣れ親しんだ部屋の中で、これを書いている。曇り空で、月なんか、どこにも見出せない。そういえば、月の夜の影ふみなんてのは、したことない。あれは楽しいらしいぜ。
月夜といえば、「Kの昇天」という梶井基次郎の話を思い出す。
Kは、月夜になると必ず、誰もいない海浜で、自分の影(電灯ではなく月の影)と戯れる。何度も繰り返しているうちに不思議にも、影と自分の区別がつかなくなり、とうとうK君は、影が実像化し、自分になってしまい、要するに自我分裂をおこし、ドッペルゲンガーとなって月に向かって昇天してしまう。次の日、Kの溺死体が見つかる、という話だ。
私も、自分の影を、じっと見つめていると、なんだか、それが、はっきりと自分の顔を持ち、体を持ち、本物の自分自身と見つめ合っているように思えてくる。ふいに、ゾッとしたりする。
何だか、それが、逃れよう逃れようとしても、決してなせぬ、もう一人の自分、死へと導く悪霊の如き自分に思えてくる。そして、よく見ると、もう一人の自分は、私に向かって、勝ち誇った冷たいせせら笑いを、やっているのだ。
プロブエ・インディアンという未開の人たちは、こんな考えを持っている。
「狂った人間だけが、頭で考える」
彼らは肋膜あたりで考えるのだそうだ。秋の月夜の涼しい空気の中で、私は、やけに頭が、はっきりしてくる。そして影の中から、もう一人の自分が現れてくる。
肉体の持つ思想は、その時、いっきょに、ひえびえとしてしまう。頭の思想が、無限に触手を伸ばす時、すべてのものを頭の中で、とらえてしまう時、そんな時、現れたもう一人の自分が、私を荒野に誘う。どこまでも沈鬱で静かな世界。
あの月の地に。
秋の月夜に、一人、私は気が狂うに違いない。
*
生き物は淋しい。個体である事が、苦しくてしょうがない。肉体は触れ合う事ができる。手で触れる事ができる。言葉を交わす事もできる。他の人と供に行動する事もできる。会話もメールも、全て肉体的次元の触れ合いだ。
しかし、魂は永久に孤立している。触れ合うことは無い。肉体と魂は本来、完全に分裂している。中途半端な妥協は苦しいだけだ。きっと人は心の触れ合いを求めてはいけないのかも知れない。それは求めるだけの空しい恣意だからだ。
私は、このごろ毎日、なんとかして、こうして空々しい言葉を書きつける事によって、魂を少しでも外に広げたく、そんな虚妄の意力のようなものを考えている。私には、それしかできない。
私は、腕や足が意志によって動くっていうのが奇妙でならない。ふと考える。ある結論が、そうに違いないと、私を確信させ、ひとまず安心して、体を動かせる。
それは、こうだ。
この不思議な気の遠くなるような統合性を持った物質、すなわち肌。すなわち皮膚。その下には体中、くまなく、いたるところに、みっちりと何千億、何千兆ものウジ虫の如き、小さい虫が棲息しているのだ。
それが頭から、湧き出ていて、意志の命令を、例えば腕の虫たち、足の虫たちに伝達するのだ。そのウジ虫の群れなし、統一された蠢きによって、我らが筋肉たちは動くのだ。そうに違いない!
我々は皮膚の下のウジ虫群のうごめきによって動いているのだ。意志の命令によってウジ虫たちは、いっせいに、ウヨウヨ、ゾロゾロと皮膚の下を這いまわる。
ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ・ハ
静かな夜の下で、唐突に笑う。
-参-
どうだい?こんな話は。私は、いよいよ世俗的な話が、つまらない。こないだの結婚生活のような話は、ちっとも面白く無い。少しも興がない。ひっちゃぶいて丸めて、ポイだ。
人の生活の話。苦しい生活の話。生活のための努力の話。仕事が苦しい話。将来の生活設計。幸福な家庭の話。それに見合わせた低い動物的思想。あっ!なんて、つまらないんだ!
私の心は、カラーンとなる。家で寝っ転がりたくなる。一人旅したくなる。自分の生活の事を考えただけで、もう、げっそりとして虚脱状態になるってのに、それが他人の事となれば、いよいよもって何の事だ?
ただ装飾にして訴えるだけで、実のところ中身は生活の顕示だ。苦行の優越だ。エディプスコンプレックスの捌け口だ。閉口する。でも嫌いではないのだ。実は自分が、その最下層のように思える。他人に憚って抑制せざるをえなくなっているように思えたりする。
私には、そのつまらない苦行の顕示が、ひたすら内面の「白日の下」化を、さけてるように思える。情けない。魂の奴は、私の中で、ますます、淋しく、げっそりとして顔を背けるのだ。
実生活のNEWSは、ちょぴっとで、たくさんだ。集約された事実の披露に、とどまる限り、その存在は有益で新鮮なのだ。その披露の冗舌なへドロのような拡散、広がる苦体験の押しつけは、カラ笑いしか引き出せぬ。
私は病んでいるのか?平気で楽しく語り聞き合える君らが、私は何だか薄気味悪い。もっとも平気のつらを装っている自分の方が、もっと逼迫して常軌を逸した異常者なのかも知れぬ。どちらも、何とも気味の悪い生き物だ。
*
書き始めると長くなる。秋の夜長の退屈しのぎだ。君も、この手紙を“もし”退屈なら、しのいでいただきたい。
思考の脈絡の無さ、転じて、アフォリズム・・・
●ここ一ヶ月、煙草を一日百本以上吸い続け、何百本も折った。
●性欲が怠惰になって瓦礫の下にくすむ火のように侘しい。
●不眠症。
●心臓が抜かれてしまいそうな気に、ふとなる。
●窓から他人の私事を万華鏡で覗きたい。
●ブリジット・フォンテーヌの音楽が、やはり快い。
●私は、いつでも笑える。カラカラ、クツクツと。
●たしか、この前、メールくれと言ったね、ほら代わりに手紙。
●君になら安心して私は書ける。
●話すより書いた方が、それもアナログなる手紙で書いた方が、よく通じる。
●戦争は壮大で美しい、世の中にあれほど豪奢で感傷的なものはない。
●と、坂口安吾は書いていた。
●呪われた美だと。
●満開の桜の下には死体が埋まっているに違いないんだとさ、梶井。
●満面、明るい奴の面の裏には腐った死体が一杯つまってるんだとさ。
●でも、自覚は無いそうだ。
●スポーツもの競争モノは嫌だね。
●だって勝敗が、ほんの小さな時間や出来事で、はっきりと決めつけられるのだから。
●それほどの人間蔑視は無い!何という侮蔑だ!
●人間には失墜しても、その下に無限の余地が必ずあるはずだ。
●だから私はスポーツもの努力、苦難成功物語は、ちっとも感動せぬ。
●空しく、絶望的にさえなる。
●不快だ。
●わかるだろう?
●白日の下では処世用に平気をつくろっていなければ。
●こういうのを二日酔い的な駄文と言うのだ。
●明日、又、日が昇り、私を照らすようにと・・・
●せめて私を呆れ返らないようにね。
●今は、旅と、野垂れ死にに、憧れる。
●一人で見知らぬ土地を旅してて、日が沈み泊まる所も支えになる友人もいない。
●宿を探し果てしない、両側は畑ばかりの道を行く。
●あたりは薄い青をまじえつつ橙色に塗りたくられ、影が長く伸びる。
●そんな時、全てが、とても懐かしく、とてもイジらしく、体は訳の分からぬ喜びにうち震えるのだ。
●この大きなパノラマ。
●空という、現われ、突然消え、不可思議に様子を変える大きなドーム。
●私は、とても充実するのだ。
●内に果てしない、生への意志と、生への憂愁を感じる。
●宿を、今日の食事に向かって今日の生へ向かって、ただそれだけに一心に意志は向かう。
●自分を確信できる唯一の瞬間の連続が、そこにある。
●君も、そうに違いない。
●私は、今、次の小説を妄想し続けている。
●何に出すという目的は未だ持ってない、唯、魂を書き続ける、その意義の重さによるのだ。
●主題と言えば結局行きつくのは「白痴化」なのだ。
●選ばれた人々だけが、白痴化できるのだ。
●彼らは自己と世俗の感情、それの思想を完全に追放し精神の完全な自由、
●又は、感情の完全な自由、いわゆる、白痴を、めざすのだ!
●私は、名づけた、これを、 白痴主義 と言う!
ブハハハハハハハハハハハ ハハハ
超ハクチズム宣言!
白痴化して、いーっすかぁ!
かしこ
いーともっ! |