真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

神保町で60年の天丼『いもや』が閉店する

2018年03月25日 | Weblog
学生時代、ギターサークルに入っていたので、和泉校舎から駿河台校舎まで週に2回、4年間練習に通った。1~2年生の時は学食で食事をとったけれど、3年生になって駿河台校舎になってからは、御茶ノ水や神保町界隈で食事をすることが多くなった。

中でも、いもやのトンカツ、天丼、小春の天ぷらは当時の学生にとってはご馳走だったし、洋食のアミの海老フライ、レモンのパスタもご馳走だった。約20年後に大学院に通っていた時も行ったものだ。3月末で神保町2丁目にある『天丼・いもや』と『とんかつ・いもや』の2店舗が閉店すると聞いた。ショックだ。

『いもや』といえば1959年の創業以来、半世紀以上営業しつづける神保町の老舗中の老舗だし、学生時代をお茶の水や神保町界隈で過ごした人なら必ず通っている店だとおもう。『いもや』が閉店するなんて本当なのかといまでも信じられない。

故・宮田三郎氏が立ち上げ、現在は妻の静江さんが経営する直営店だ。“最後に食べておかねば”と連日、店前に行列ができる賑わいを見せているそうだ。九段下にはよく行くし、神保町のかんだ餃子屋、駿河台のレモンにはいまでも足繁く通っている。

今のところ、その閉店理由は明らかにされていないが、創業者の宮田氏が10年ほど前に81歳で他界して以降は、妻の静江さんが二代目社長として店を切り盛りしてきた。「静江さんももう86歳。経営を手伝う娘さんも60歳近くになるはずで、お体の面でも店を維持するのが限界にきたのでは」、らしいとのこと。

でも、直営店の元従業員が独立・開業した神保町1丁目の『天ぷら・いもや』、東京・東神田の『とんかつ・いもや』、栃木市藤岡町の『とんかつ・いもや』、青森県弘前市の『天ぷら・いもや』といった暖簾分けの4店舗は残るそうだ。

後1週間あるから、やっぱり並んでも最後に1度は食べておこうかな。学生時代に通った神田須田町の神田まつやにお蕎麦を食べに行ったら、同席した老夫妻とお隣に座った素敵な初老の男性とで、「懐かしくって、来てしまいました」と4人で話が盛り上がった。学生時代の思い出が忘れられないのですね。私の人生のほとんどの思い出がこの界隈だから。
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