インテリアは、白い色で統一され、ちりひとつない。
佐渡先生の研究室は、病室のようだった。
研究室に入ると、佐渡先生は言った。
「アナタ、最近、うちの准教授にとってやったキタムラね。
何?アナタのあの論文。読むのが苦痛で、論文審査は拷問のようだったわ。
アナタ、あんな論文書いて、私に対するアカハラのつもり?」
すごい入り方だ。そして、私の名前はキムラである。
「ところで、アナタ、新司法試験って受けたことある?」
「……ありません。」
当たり前だ。私が学部にいたころには、法科大学院も新司法試験もなかったのだ。
「じゃあ、アナタ、学部時代の憲法の成績は?」
「……。はあ、そんなに悪くはなかったですけど。」
学部時代、いろいろひどい答案は書いたが、これは本当である。
生涯打率1割3厘では、プロ野球の打撃コーチはつとまらない。
しかし、佐渡先生の攻撃はし烈だった。
「『そんなに悪くなかった』ですって?
あのね、私がいつ、『昨日見た面白い夢の話』をしろって言ったの?」
いや、夢の話ではなくて……と言おうとしたところ、
佐渡先生はたたみかけた。
「正確に、『憲法の順位は、ピロリ菌とアオコケの間くらいでした』って言いなさい。」
面倒なので、適当に復唱して流すことにした。
「……はい。憲法の順位は、ピロリ菌とアオコケの間くらいでした。」
そういえば、このオフィスアワーは、ラウンジに中継されている。
中継は、アカハラ防止というより、屈辱公開プレイのためと言っていいだろう。
「まあ、いいわ。私の試験問題は見てるわね。
そして、アナタは、『この問題で違憲審査基準を立てろ』、って言ってるそうね。
でも、具体的な分析ができているにもかかわらず,
結論に近づいたところで,急に審査基準のパターンを持ち出したために
争点から遊離して説得力を失う答案も多かったの。
違憲審査基準をつかったせいで、
事案の検討ができなくなってる人がいるのよ。わかってる?」
私は違憲審査基準ではないのだが、佐渡先生はまるで私が違憲審査基準であるかのように
怒りをぶつけてきた。
「はあ。私は別に、違憲審査基準の枠組みでもちゃんとした解答ができるといってるだけで、
絶対に、そうしろ、とまでは言って・・・。」
「はあ?ちょっと黙んなさい。いい?
私が求めているのは、この問題のシステムの提供により個人情報が公にされ,
①プライバシーや肖像権の侵害の問題が生じることから,
②表現の自由とそれらの憲法上の権利が衝突してしまい、
③それを調整しなくちゃいけない場面だ、
というところを踏まえた答案なの。
目的手段審査の枠にとらわれず,
両者の人権価値が本問においてどのように衝突しているのかを具体的に分析し,
解決を見いだそうとすることを求めているの。わかる?」
佐渡先生は、私をずぶの素人ないしアオコケよりもややましな存在として扱う方針のようである。
「……はあ。あの、違憲審査基準論というのは、比較考量を精密にやるための枠組みなわけですよ。」
この主張を否定する憲法学者は、おそらくおるまい。
「ですから、別に違憲審査基準をつかっても、
それは、比較考量を精密にやるだけで、
比較考量と違う結論が出たり、
ただの比較考量の論証レベルに劣ったりするはずないですよね?
ですから、『違憲審査基準を立てるな』という先生のご発言は言いす……。」
私も研究者なので、しっかり反論してみた。
しかし、佐渡先生は、また、それを遮った。
「うるさいわね。ガタガタガタガタ、壊れた扇風機みたいな喋り方するんじゃないわよ。
だいたい、誰が違憲審査基準を立てて解答するな、って言ったの?
私が批判しているのは、
『原告の具体的事情を分析すべきところで、抽象的な違憲審査基準の話ばっかりする答案』
『違憲審査基準論を振り回すだけの形式論』
『審査基準のパターンを持ち出したために争点から遊離して説得力を失う答案』
『違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,という事前に用意した
ステレオタイプ的な思考に,事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答』
『最初から終わりまで違憲審査基準を中心に書きまくる答案』
『この基準でいく,と判断すると,後は「当てはめ」と称して,ほとんど機械的に結論を導く答案』
こういう答案なの。」
……電光石火答案・出会いがしら一撃答案・一行問題答案のことではないか。
「それを『違憲審査基準を書くな』って言っていると早合点して、
私を非難するなんて、誤解もいいところだわ。
やっぱりアナタの理解力、ピロリ菌以下ね。。」
……どうやら、佐渡先生が違憲審査基準はゴミ箱行きだと
考えているわけではないらしい。
「はあ。すいません。」
「いい。私は、違憲審査基準を使うなと言っているわけじゃあないの。
バカの一つ覚えみたいに、違憲審査基準のパターンのことだけ考えて、
具体的な事案を分析できないのがダメだと言っているの。」
「はあ。そうすると、違憲審査基準論を『ちゃんと』使えば、
この問題でも、適切な議論ができる……と。」
「当たり前じゃない。アナタ、憲法勉強したことあるの?
美濃部達吉の墓の角に頭ぶつけて死ぬといいわ。」
・・・。すごい死に方だ。
「よく聞きなさい。私が言いたいのは、この問題で
違憲審査基準を使っても、きちんと書けば書けるでしょうけど、
アンタみたいなシロートは、違憲審査基準使うと、
パターンに引きずられて自滅するから、
それを意識しないで、
表現の自由とプライバシーを調整する議論をしてごらんなさい、
ってことなのよ。」
あー、そういうことか。
将棋でも、
プロ同士が正しく指すとと先手必勝だが、
正しく指すことが難しいため、
アマチュア同士でやると普通は後手が勝つ、
という局面がある。
今回の問題はそれに近く、
違憲審査基準を立てて「ちゃんと」解けば、
正解に到達できるが、
中途半端に違憲審査基準を使うと自滅しやすい問題で、
実際、自滅した答案が多々あった、ということだろう。
佐渡先生の研究室は、病室のようだった。
研究室に入ると、佐渡先生は言った。
「アナタ、最近、うちの准教授にとってやったキタムラね。
何?アナタのあの論文。読むのが苦痛で、論文審査は拷問のようだったわ。
アナタ、あんな論文書いて、私に対するアカハラのつもり?」
すごい入り方だ。そして、私の名前はキムラである。
「ところで、アナタ、新司法試験って受けたことある?」
「……ありません。」
当たり前だ。私が学部にいたころには、法科大学院も新司法試験もなかったのだ。
「じゃあ、アナタ、学部時代の憲法の成績は?」
「……。はあ、そんなに悪くはなかったですけど。」
学部時代、いろいろひどい答案は書いたが、これは本当である。
生涯打率1割3厘では、プロ野球の打撃コーチはつとまらない。
しかし、佐渡先生の攻撃はし烈だった。
「『そんなに悪くなかった』ですって?
あのね、私がいつ、『昨日見た面白い夢の話』をしろって言ったの?」
いや、夢の話ではなくて……と言おうとしたところ、
佐渡先生はたたみかけた。
「正確に、『憲法の順位は、ピロリ菌とアオコケの間くらいでした』って言いなさい。」
面倒なので、適当に復唱して流すことにした。
「……はい。憲法の順位は、ピロリ菌とアオコケの間くらいでした。」
そういえば、このオフィスアワーは、ラウンジに中継されている。
中継は、アカハラ防止というより、屈辱公開プレイのためと言っていいだろう。
「まあ、いいわ。私の試験問題は見てるわね。
そして、アナタは、『この問題で違憲審査基準を立てろ』、って言ってるそうね。
でも、具体的な分析ができているにもかかわらず,
結論に近づいたところで,急に審査基準のパターンを持ち出したために
争点から遊離して説得力を失う答案も多かったの。
違憲審査基準をつかったせいで、
事案の検討ができなくなってる人がいるのよ。わかってる?」
私は違憲審査基準ではないのだが、佐渡先生はまるで私が違憲審査基準であるかのように
怒りをぶつけてきた。
「はあ。私は別に、違憲審査基準の枠組みでもちゃんとした解答ができるといってるだけで、
絶対に、そうしろ、とまでは言って・・・。」
「はあ?ちょっと黙んなさい。いい?
私が求めているのは、この問題のシステムの提供により個人情報が公にされ,
①プライバシーや肖像権の侵害の問題が生じることから,
②表現の自由とそれらの憲法上の権利が衝突してしまい、
③それを調整しなくちゃいけない場面だ、
というところを踏まえた答案なの。
目的手段審査の枠にとらわれず,
両者の人権価値が本問においてどのように衝突しているのかを具体的に分析し,
解決を見いだそうとすることを求めているの。わかる?」
佐渡先生は、私をずぶの素人ないしアオコケよりもややましな存在として扱う方針のようである。
「……はあ。あの、違憲審査基準論というのは、比較考量を精密にやるための枠組みなわけですよ。」
この主張を否定する憲法学者は、おそらくおるまい。
「ですから、別に違憲審査基準をつかっても、
それは、比較考量を精密にやるだけで、
比較考量と違う結論が出たり、
ただの比較考量の論証レベルに劣ったりするはずないですよね?
ですから、『違憲審査基準を立てるな』という先生のご発言は言いす……。」
私も研究者なので、しっかり反論してみた。
しかし、佐渡先生は、また、それを遮った。
「うるさいわね。ガタガタガタガタ、壊れた扇風機みたいな喋り方するんじゃないわよ。
だいたい、誰が違憲審査基準を立てて解答するな、って言ったの?
私が批判しているのは、
『原告の具体的事情を分析すべきところで、抽象的な違憲審査基準の話ばっかりする答案』
『違憲審査基準論を振り回すだけの形式論』
『審査基準のパターンを持ち出したために争点から遊離して説得力を失う答案』
『違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,という事前に用意した
ステレオタイプ的な思考に,事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答』
『最初から終わりまで違憲審査基準を中心に書きまくる答案』
『この基準でいく,と判断すると,後は「当てはめ」と称して,ほとんど機械的に結論を導く答案』
こういう答案なの。」
……電光石火答案・出会いがしら一撃答案・一行問題答案のことではないか。
「それを『違憲審査基準を書くな』って言っていると早合点して、
私を非難するなんて、誤解もいいところだわ。
やっぱりアナタの理解力、ピロリ菌以下ね。。」
……どうやら、佐渡先生が違憲審査基準はゴミ箱行きだと
考えているわけではないらしい。
「はあ。すいません。」
「いい。私は、違憲審査基準を使うなと言っているわけじゃあないの。
バカの一つ覚えみたいに、違憲審査基準のパターンのことだけ考えて、
具体的な事案を分析できないのがダメだと言っているの。」
「はあ。そうすると、違憲審査基準論を『ちゃんと』使えば、
この問題でも、適切な議論ができる……と。」
「当たり前じゃない。アナタ、憲法勉強したことあるの?
美濃部達吉の墓の角に頭ぶつけて死ぬといいわ。」
・・・。すごい死に方だ。
「よく聞きなさい。私が言いたいのは、この問題で
違憲審査基準を使っても、きちんと書けば書けるでしょうけど、
アンタみたいなシロートは、違憲審査基準使うと、
パターンに引きずられて自滅するから、
それを意識しないで、
表現の自由とプライバシーを調整する議論をしてごらんなさい、
ってことなのよ。」
あー、そういうことか。
将棋でも、
プロ同士が正しく指すとと先手必勝だが、
正しく指すことが難しいため、
アマチュア同士でやると普通は後手が勝つ、
という局面がある。
今回の問題はそれに近く、
違憲審査基準を立てて「ちゃんと」解けば、
正解に到達できるが、
中途半端に違憲審査基準を使うと自滅しやすい問題で、
実際、自滅した答案が多々あった、ということだろう。
佐渡先生がおっしゃることもわかるんですが、「違憲審査基準を意識しない表現の自由とプライバシーを調整する議論」を自由にするのって難しいですね…。
憲法って他の科目に比べて自由演技な部分が多い感じがしますけど、自由演技ができるからって、本当に自由な議論してたらそれはそれで得点伸びなくて、最低限のマナーみたいのものはあると思うんです。
少なくとも、僕はそのマナーのひとつが違憲審査基準だと思ってたのに、それを覆されると何がマナーなのかわからず、結局自由に書いて逆の意味で自滅しそうな気がして怖いです。
結局、優秀な先生に何通も憲法の答案見てもらって、果たして自分が憲法的に正しいマナーで議論できてるのかの指導を受け、体でマナーを覚えるしかないのかな、って気がしてます(自分一人でやってると、果たしてそれが「正しいマナー」なのかわからないので)。
「ふん、あなた達は、すぐ穴熊(違憲審査基準)にして玉は安全、これで勝ちとでも思っているの?
もちろん穴熊にするのは自由よ。
でも、あなた達は、広瀬七段の足元にもおよばないの。
彼は、違憲審査基準王子として有名で、どんなケースでも使いこなせるの。
あなた達は違うわ。
それだったたら、穴熊にとらわれず、その局面を見極め、自由に囲いを組んだ方がいいの。
どうしても穴熊にしたいのなら、まずは広瀬七段の爪の垢を煎じて飲みなさい!」
僕は,先生は囲碁派だと思ってました.「定石を覚えて3目(でしたっけ?)弱くなり」っぽいお話でしたので.
今回の答案処理の仕方、これから書いてゆきます。
参考にしていただければ幸いです。
憲法答案のコツは、憲法を特別な科目だと
思いすぎないことです。
各条文の趣旨・要件・効果を理解しましょう。
>Jiroさま
それは本当ですか?
佐渡先生の趣味は、バトミントンですよ。
>冥王星様
はい。
バトミントンです。