(K.s)
2011-10-23 19:42:39
木村先生。お仕事大変な時期にごめんなさい
またわからない、というか結構前から友人と意見が対立していることがあります。お時間の都合のいいときに教えて頂けると嬉しいです。
わからないというのは権利の根拠や価値の考え方についてです。例えば、表現の自由なら自己実現や自己統治、営業の自由なら生計維持や個人の人格的価値、があげられると思います。一般論としてはそうなのですが、実際の事件で制約されている具体的な権利をみると、上のような価値に必ずしも結びつかないような価値が認められるような場合
があります。例えば、表現の自由では、今年の新司法試験だとX社のZ機能画像の提供には、ユーザーの利便性や詐欺被害の防止という価値があります。これらは自己統治の価
値に含まれないという意見の方もなかにはいらっしゃるのではないかと思います。営業の自由だと、薬事法判決で問題になった薬局開業の自由は、上の価値の他に、例えば薬
局が少ない地域の住民だと遠くまで買いにいかなければなりませんが、そうした不便が解消されます。身体が不自由で遠くまで行けない方にとったら命の助けにもなります。
言い出したらきりがないですが、こうした必ずしも本人の自己実現とか自己統治、生計維持と関わりない価値を、どう憲法論に組み込んでいけばいいのか、というのが疑問点です。
私の友人は、権利の保障根拠ではそうした事案に即したような個別的な利益を加えて考えるのはダメだとか、目的審査の中の比較衡量のなかで考えたら?といいます。私なん
かは、事案に即して考えたほうがいいと思って、権利の根拠のところで自己実現、自己統治に加え、他にこんなにも大事な価値があると主張して、さらに比較衡量でもそうし
た利益を全部合わせて対立利益と比較すればいいと思っています。
先生。私の考え方は一般的な考え方とは違うのでしょうか??誰が正しいことを言っているのかまったくわかりません先生はどのようにお考えになるのか教えていただけるとうれしいです。
長くなってごめんなさい‥
>K.sさま (kimkimlr)
2011-10-24 14:38:44
憲法上の権利は、特定の法益を保護する観点から、
権利として構成されたものです。
このため、憲法上の権利と公益を考量する場合、
国民の行為が、その権利の保護法益(基本権法益)以外の利益の達成に役立つ場合でも、
それ以外の利益を主張することはできません。
これに対し、公益の側の主張も、秤に乗せよと主張できる利益は、
立法目的の範囲に限定されます。
例えば、窃盗の保護法益は、あくまで財産権であり、
その窃盗犯を処罰することが、
別件の殺人事件の責任を追及することにも役立つような場合に、
基本権との考量で、殺人の責任追及や生命侵害の一般予防
につながるというような主張はできないわけです。
このように、憲法上の権利にまつわる比較衡量の場合、
国民の側は、基本権条項が保護する利益のみを主張でき、
他方、
公権力の側も、
立法目的により特定された保護法益のみを主張できる、
という構造になります。
法的判断というのは、その法規範の保護法益のみを考慮し、ほかを切り捨てよ、という状況で
なされる判断です。
したがって、法学的解釈論としての憲法解釈論としては、
このように答えざるを得ません。
これが、法学者一般が依拠する概念法学の解釈論です。
ただし、法的判断においては、
その事案のあらゆる利益を考量すべきである、
といういささか異端に属する自由法学、さらには、利益法学という考え方があり、
この立場からすれば、
憲法判断の場でもあらゆる利益が考量されることになるでしょう。
というわけで、ご友人との対立は、
概念法学対利益法学の対立だと思えばよろしいかと思います。
この対立は、憲法解釈論というより、
広がりのある法学方法論の対立だと思います
Unknown (K.s)
2011-10-24 17:44:14
ありがとうございます!
先生の御説明は、私の友人は誰も知らなかったみたいなので、私たちは先生とは違う次元で議論してたみたいです‥
一般的な立場にたって、かつ表現の自由の価値を自己実現と自己統治に限定するなら、それらの内容の理解がとても重要ということになりそうですね!
あと、私が使っている刑法の教科書の利益衡量についての記述に、あらゆる利益を天秤に乗せていいのではないか?というような問題提起が書いてありました。今まで何が問
題か全くわからなかったのですが、おそらく、先生の仰られた議論が背景にあるからだなぁと‥今わかりました!
刑法も解決していただきありがとうございました
2011-10-23 19:42:39
木村先生。お仕事大変な時期にごめんなさい
またわからない、というか結構前から友人と意見が対立していることがあります。お時間の都合のいいときに教えて頂けると嬉しいです。
わからないというのは権利の根拠や価値の考え方についてです。例えば、表現の自由なら自己実現や自己統治、営業の自由なら生計維持や個人の人格的価値、があげられると思います。一般論としてはそうなのですが、実際の事件で制約されている具体的な権利をみると、上のような価値に必ずしも結びつかないような価値が認められるような場合
があります。例えば、表現の自由では、今年の新司法試験だとX社のZ機能画像の提供には、ユーザーの利便性や詐欺被害の防止という価値があります。これらは自己統治の価
値に含まれないという意見の方もなかにはいらっしゃるのではないかと思います。営業の自由だと、薬事法判決で問題になった薬局開業の自由は、上の価値の他に、例えば薬
局が少ない地域の住民だと遠くまで買いにいかなければなりませんが、そうした不便が解消されます。身体が不自由で遠くまで行けない方にとったら命の助けにもなります。
言い出したらきりがないですが、こうした必ずしも本人の自己実現とか自己統治、生計維持と関わりない価値を、どう憲法論に組み込んでいけばいいのか、というのが疑問点です。
私の友人は、権利の保障根拠ではそうした事案に即したような個別的な利益を加えて考えるのはダメだとか、目的審査の中の比較衡量のなかで考えたら?といいます。私なん
かは、事案に即して考えたほうがいいと思って、権利の根拠のところで自己実現、自己統治に加え、他にこんなにも大事な価値があると主張して、さらに比較衡量でもそうし
た利益を全部合わせて対立利益と比較すればいいと思っています。
先生。私の考え方は一般的な考え方とは違うのでしょうか??誰が正しいことを言っているのかまったくわかりません先生はどのようにお考えになるのか教えていただけるとうれしいです。
長くなってごめんなさい‥
>K.sさま (kimkimlr)
2011-10-24 14:38:44
憲法上の権利は、特定の法益を保護する観点から、
権利として構成されたものです。
このため、憲法上の権利と公益を考量する場合、
国民の行為が、その権利の保護法益(基本権法益)以外の利益の達成に役立つ場合でも、
それ以外の利益を主張することはできません。
これに対し、公益の側の主張も、秤に乗せよと主張できる利益は、
立法目的の範囲に限定されます。
例えば、窃盗の保護法益は、あくまで財産権であり、
その窃盗犯を処罰することが、
別件の殺人事件の責任を追及することにも役立つような場合に、
基本権との考量で、殺人の責任追及や生命侵害の一般予防
につながるというような主張はできないわけです。
このように、憲法上の権利にまつわる比較衡量の場合、
国民の側は、基本権条項が保護する利益のみを主張でき、
他方、
公権力の側も、
立法目的により特定された保護法益のみを主張できる、
という構造になります。
法的判断というのは、その法規範の保護法益のみを考慮し、ほかを切り捨てよ、という状況で
なされる判断です。
したがって、法学的解釈論としての憲法解釈論としては、
このように答えざるを得ません。
これが、法学者一般が依拠する概念法学の解釈論です。
ただし、法的判断においては、
その事案のあらゆる利益を考量すべきである、
といういささか異端に属する自由法学、さらには、利益法学という考え方があり、
この立場からすれば、
憲法判断の場でもあらゆる利益が考量されることになるでしょう。
というわけで、ご友人との対立は、
概念法学対利益法学の対立だと思えばよろしいかと思います。
この対立は、憲法解釈論というより、
広がりのある法学方法論の対立だと思います
Unknown (K.s)
2011-10-24 17:44:14
ありがとうございます!
先生の御説明は、私の友人は誰も知らなかったみたいなので、私たちは先生とは違う次元で議論してたみたいです‥
一般的な立場にたって、かつ表現の自由の価値を自己実現と自己統治に限定するなら、それらの内容の理解がとても重要ということになりそうですね!
あと、私が使っている刑法の教科書の利益衡量についての記述に、あらゆる利益を天秤に乗せていいのではないか?というような問題提起が書いてありました。今まで何が問
題か全くわからなかったのですが、おそらく、先生の仰られた議論が背景にあるからだなぁと‥今わかりました!
刑法も解決していただきありがとうございました
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