ツツミ先生は、楽しそうな男である。
彼は私の本棚を一通りチェックをし、『月刊忍耐』をとりだした。
我慢についての雑誌である。
雑誌というのは、本当にいろいろな分野のものがある。
私も仕事で月刊工事情報や月刊廃棄物を読んだことがあるが、
「廃棄物」という名称の商品を毎月何千部と刷る出版社の人々は
どんな気分だろうか。
ツツミ先生は、忍耐に目を向けながら、続けた。
ツ「あー、確かによく考えてみると、
君の言うとおり、LRAがないという基準と
必要最小限度という基準は、変わらないな。」
私「そういうことになるはずだ。結構、調べたからな。」
ツ「じゃあさ、狭義の厳格審査基準で出てくる
『厳密に刈り取られている』って、どうなんだ。
っていうか、これいったいぜんたい、
なんていう単語の訳語なんだ?」
私「うーんと、確かcurtailの訳語だったと思う。」
ツ「縮減するとかって、訳すよね。それ。」
ツツミ先生は英語がよくできるのだ。
私「そうだね。目的達成のために必要なこと以外は
絶対にやらないくらいに、規制が縮減されている
ってことなんだろうね。」
ツ「そうか。LRAがないというより、さらに、厳密に限定
っていう空気は出ている。」
私「そう。空気は出てるんだが、法的な意味は同じだよ。
必要性の有無っていうのは、程度概念じゃなくて、
存否概念だからな。」
ツ「ん?何その区別?」
私「どっちかといったら、君の専門の話だよ。
法的概念には、程度が問題になるものと、
存否が問題となるものがある。」
ツ「そうだな。ある種の学説からすれば、
不法行為法の『違法』ってやつには、
強い違法や弱い違法があるらしい。」
私は、少し笑ってしまった。
強い違法と弱い違法って、何だろう。
私「そうそう。それでだね、ある事項の存否が法的要件になる場合、
それについて程度を問題にすることは筋違いだ。
例えば、法文の『明確性』っていう概念がある。
これは、程度ではなく、存否が問題になる概念だ。」
ツ「ふーん。じゃあ、高い程度の明確性と低いレベルの明確性
ってのはないの?
例えば、『レモポフをするな』という法文は高レベルに不明確で、
『公衆に不安を与えるな』と言う法文は低レベル不明確だと思うが。」
ツツミ先生は、非常に興味深い単語をいろいろ知っている。
完全に意味不明な単語を創出することは、意外と難しいものだが、
レモポフのような誰が見ても意味不明な単語をサラっと思いつくのが
ツツミ先生のすごいところである。
私「うーん。そりゃ『明確度』に程度はあるだろう。
でもそれは、『明確度』と言う言葉で表現される。
『明確性』っていうのは、有無が問題になる場合だよ。
つまり、一般人に理解可能っていうレベルを超えていれば、
消費税法の税率規定みたいな高レベル明確法文も、
民法1条みたいな低レベル明確法文も『明確性』あり。」
つまり、「厳格な明確性」と「緩やかな明確性」等の言葉は、
「糖度50%の我慢」のようなもので、
それにはかからないはずの形容をかけられたかわいそうな名詞の仲間なのである。
ちなみに、それゆえに、
表現規制根拠法には高いレベルの明確性が要求されるが、
営業規制根拠法には低いレベルの明確性で足りる、というのは、
ゴルフのためには糖度40%の我慢が必要だが、
野球のためには糖度20%の我慢で足りる、といってるようなものなのだ。
ふーむ。憲法の教科書的説明がズタズタである。
ちなみに私が、ズタズタという言葉から、俳優のシルベ・スタスタ・ローンさんを
思い出したのは言うまでもない。
ツ「それに対して、不明確なら、
レモポフも、公衆に不安も、『明確性無し』というわけか。」
私「そういうことだよ。必要性っていうのも、有無が問題になる概念だからね。
だから、基準としては、それがあるかないか、っていう基準しか観念できない。」
ツ「そうか。じゃあ、必要性以外に手段審査の要素はないのか?」
私「一応、関連性(目的達成に役立つこと)ってのがあるが、
必要性(目的達成に最も弱い手段をとっていること)がある、ってのは、
関連性があることを含んでるからな。」
ツ「その他には?」
私「ないと思うよ。必要性っていうのは、いってみれば
目的達成のためにハイスコアをとっているかどうか、っていう要素だからね。
それを、厳格審査の場合にはおおげさに『必要最小限にかりとられていて手段として必要不可欠』、
中間審査の場合には『LRAがないこと』っていうだけだよ。」
こういうと、ツツミ先生は急にげらげら笑い始めた。
月刊忍耐の記事が面白かったようである。
会話しながら雑誌を読むのはやめてほしい癖だ。
彼は私の本棚を一通りチェックをし、『月刊忍耐』をとりだした。
我慢についての雑誌である。
雑誌というのは、本当にいろいろな分野のものがある。
私も仕事で月刊工事情報や月刊廃棄物を読んだことがあるが、
「廃棄物」という名称の商品を毎月何千部と刷る出版社の人々は
どんな気分だろうか。
ツツミ先生は、忍耐に目を向けながら、続けた。
ツ「あー、確かによく考えてみると、
君の言うとおり、LRAがないという基準と
必要最小限度という基準は、変わらないな。」
私「そういうことになるはずだ。結構、調べたからな。」
ツ「じゃあさ、狭義の厳格審査基準で出てくる
『厳密に刈り取られている』って、どうなんだ。
っていうか、これいったいぜんたい、
なんていう単語の訳語なんだ?」
私「うーんと、確かcurtailの訳語だったと思う。」
ツ「縮減するとかって、訳すよね。それ。」
ツツミ先生は英語がよくできるのだ。
私「そうだね。目的達成のために必要なこと以外は
絶対にやらないくらいに、規制が縮減されている
ってことなんだろうね。」
ツ「そうか。LRAがないというより、さらに、厳密に限定
っていう空気は出ている。」
私「そう。空気は出てるんだが、法的な意味は同じだよ。
必要性の有無っていうのは、程度概念じゃなくて、
存否概念だからな。」
ツ「ん?何その区別?」
私「どっちかといったら、君の専門の話だよ。
法的概念には、程度が問題になるものと、
存否が問題となるものがある。」
ツ「そうだな。ある種の学説からすれば、
不法行為法の『違法』ってやつには、
強い違法や弱い違法があるらしい。」
私は、少し笑ってしまった。
強い違法と弱い違法って、何だろう。
私「そうそう。それでだね、ある事項の存否が法的要件になる場合、
それについて程度を問題にすることは筋違いだ。
例えば、法文の『明確性』っていう概念がある。
これは、程度ではなく、存否が問題になる概念だ。」
ツ「ふーん。じゃあ、高い程度の明確性と低いレベルの明確性
ってのはないの?
例えば、『レモポフをするな』という法文は高レベルに不明確で、
『公衆に不安を与えるな』と言う法文は低レベル不明確だと思うが。」
ツツミ先生は、非常に興味深い単語をいろいろ知っている。
完全に意味不明な単語を創出することは、意外と難しいものだが、
レモポフのような誰が見ても意味不明な単語をサラっと思いつくのが
ツツミ先生のすごいところである。
私「うーん。そりゃ『明確度』に程度はあるだろう。
でもそれは、『明確度』と言う言葉で表現される。
『明確性』っていうのは、有無が問題になる場合だよ。
つまり、一般人に理解可能っていうレベルを超えていれば、
消費税法の税率規定みたいな高レベル明確法文も、
民法1条みたいな低レベル明確法文も『明確性』あり。」
つまり、「厳格な明確性」と「緩やかな明確性」等の言葉は、
「糖度50%の我慢」のようなもので、
それにはかからないはずの形容をかけられたかわいそうな名詞の仲間なのである。
ちなみに、それゆえに、
表現規制根拠法には高いレベルの明確性が要求されるが、
営業規制根拠法には低いレベルの明確性で足りる、というのは、
ゴルフのためには糖度40%の我慢が必要だが、
野球のためには糖度20%の我慢で足りる、といってるようなものなのだ。
ふーむ。憲法の教科書的説明がズタズタである。
ちなみに私が、ズタズタという言葉から、俳優のシルベ・スタスタ・ローンさんを
思い出したのは言うまでもない。
ツ「それに対して、不明確なら、
レモポフも、公衆に不安も、『明確性無し』というわけか。」
私「そういうことだよ。必要性っていうのも、有無が問題になる概念だからね。
だから、基準としては、それがあるかないか、っていう基準しか観念できない。」
ツ「そうか。じゃあ、必要性以外に手段審査の要素はないのか?」
私「一応、関連性(目的達成に役立つこと)ってのがあるが、
必要性(目的達成に最も弱い手段をとっていること)がある、ってのは、
関連性があることを含んでるからな。」
ツ「その他には?」
私「ないと思うよ。必要性っていうのは、いってみれば
目的達成のためにハイスコアをとっているかどうか、っていう要素だからね。
それを、厳格審査の場合にはおおげさに『必要最小限にかりとられていて手段として必要不可欠』、
中間審査の場合には『LRAがないこと』っていうだけだよ。」
こういうと、ツツミ先生は急にげらげら笑い始めた。
月刊忍耐の記事が面白かったようである。
会話しながら雑誌を読むのはやめてほしい癖だ。
またどうぞー。
よくわかりました.
『急所』講義編とブログ記事のおかげで,
いままで曖昧に理解していた概念が,
だいぶ整理できてきました.
どうもありがとうございます!
LRAがない、という立法事実についての
推定の有無のことだと思えばいいでしょう。
よろしければ,この記事について質問させてください.
先生の記事を読んで,「必要性の有無」が存否概念だ
ということは,わかりました.
よくわからないのは,「LRA基準の適用の仕方におけ
る厳格度」(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第2版』p.
126)という概念です.厳格「度」と言う以上,これは程
度概念だと理解しています.
「必要性の有無」という存否概念と,「LRA基準の適
用の仕方における厳格度」という程度概念は,どういう
関係に立つのでしょうか.
私なりに考えたのは,「必要性の有無を判断するとき
に,裁判所が,手段の効率性やコストを,どこまで考慮
に入れるのか」という問題ではないか,ということです.
たとえば,厳格度が高い審査においては,想定される
“より制限的でない手段”が,多少,非効率・高コスト
であっても,立法府や行政府は,その手段を選ぶ義務を
負うことになる.従って,「必要性ナシ」と判断される
余地が大きくなる(手段のコストや効率性等に関する,
立法府や行政府の裁量は小さい).
それに対して,たとえば厳格度の低い審査においては,
想定される“より制限的でない手段”が非効率・高コス
トであれば,立法府や行政府は,その手段を選ぶ義務を
追わないことになる.従って,「必要性アリ」と判断さ
れる余地が大きくなる(裁量は大きい).
こういう理解でよろしいでしょうか.
当該ページでは、厳格審査における必要最小限度の手段の中身として、過剰包摂(LRA)と過少包摂があると述べられています。
しかし、「憲法の急所」P13の必要性と関連性の定義には過少包摂は含まれないように読めます。
先生のお立場では、過剰包摂は関連性と必要性いずれかで論じるものなのでしょうか?
私なりに考えたところですと、過少包摂とは規制されるべき人に規制をしていないことを理由として、自身のへの規制を違憲とする手法と構成することができるので、平等権で争うべき問題なのではないかと思っています。
はい。浅知恵でした
審査基準の差異に拘泥せず,
当該権利についての具体的な憲法論をするよう心がけたいと思います。
ありがとうございました。
あとう
ええ、はい。
「当該プライバシーの要保護性の低さを前提として―金銭賠償および謝罪文の掲載でも十分にプライバシーの回復が可能である」
というケースは、
結局、金銭賠償というLRAがある、ないし、
事前差し止めにより失われる利益(規制目的)が
その表現の価値を上回るほどに重要でない、
ということになり、
目的審査か、必要性審査をクリアできない
ということになるですじゃ。
どうじゃろ?うい。
本記事のお2人の会話により,
明確性の話(憲法の神様のお題)と手段の必要性審査について頭の整理ができました。
もっとも,ツツミ先生のご質問でありましたLRAと必要最小限度との関係に関連してひとつ質問があります。
それは,必要性や明確性と同様に,関連性も存否概念なのかという点です。
不法行為法において学説上強い関連共同性・弱い関連共同性の区別がされていますが,
このように関連性が程度問題であるならば,「LRAがない」けれども「必要最小限度とはいえない」ケースが想定しうるような気がするのです。
つまり,LRAも厳格審査も―関連性審査は必要性審査に吸収される(「急所」16頁)が―関連性審査を行うとしても,
両者には,LRAの場合は他の「同程度に」役立つ手段の有無を厳しく審査するけれども,
厳格審査においては「同程度よりは落ちるが」役立つ手段,「質的に異なるので一概にどちらが役立つか判断しかねるが」役立つと思われる
手段があるならば必要最小限とはいえないということができるという差異を見出すことはできないでしょうか。
たとえば,プライバシー侵害を理由とする差止めを認める法文の違憲審査において,
LRAの基準であればプライバシーの事後回復困難性よりLRAがないと判断されましょうが,
厳格審査であれば―当該プライバシーの要保護性の低さを前提として―金銭賠償および謝罪文の掲載でも十分にプライバシーの回復が可能であるから違憲であると判断できるという寸法です。
実際に本試験で出たとしたら,
このようなことは考えずに「我慢の答案」に徹したいと思います。
あとう