佐渡先生の講義の実況中継中ですが、
ここで、名人戦第5局、
採点 実感 名人 対 挑戦者 法務 博士 八段
の中継のお時間です。
解説は、ツツミ九段とキムラ八段です。
ツ「いやあ、難しい手が出ました。
はい。先ほどの名人の一手。
▲原告の主張を展開すべき場面で,違憲審査基準に言及する答案が多数あった。
ですね。」
キ「はい。いやあ、すごい手です。今期名人戦の中でも、もっともスゴい手と言えるでしょう。
法務博士八段、違憲審査基準に言及しないでどうやって書くんだ、
と、長考に沈み、ようやくひねり出した手が、
△あのお、いったい何をおっしゃっているんですか?
です。はい。相手が何をやっているか分からないときの手渡しです。」
ツ「しかし、さらに名人のたたみかけです。
▲違憲審査基準の実際の機能を理解していないことがうかがえるとともに,
事案を自分なりに分析して当該事案に即した解答をしようとするよりも,
問題となる人権の確定,それによる違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,
という事前に用意したステレオタイプ的な思考に,
事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答姿勢を感じた。
ふーむ。何をいっているんでしょう?」
キ「どうも、いわゆるステレオタイプ答案を批判しているようですが、
これは、違憲審査基準論(芦部憲法)をとっぱらって、
三段階審査でいけ、ということでしょうか?」
ツ「いや、違うと思いますよ。三段階審査でも正当化の枠組みで
統制密度と言う話になるので、問題となる人権の画定、
統制密度設定、事案の判断という流れは変わりません。」
キ「ははあ。いったいどういうことでしょう?」
ツ「挑戦者長考中なので、ちょっと、盤面を進めて見ましょうか。
ええと、問題を、名人がお怒りの方向で解いていくとどうなるでしょう?」
キ「はい。そうですねえ、法は
『個人に関する情報が公にされることによる被害』の防止を目的としていて、
『被害』を受けた者からの申し立てによって、国が措置を命じれると
まあ、こういうことです。」
ツ「本当に漫然と、ということになりますと、
①原告側の行為は、なんとなく表現っぽいですから、表現の自由が制約されている。
②これは自己実現・自己統治のための重要な権利だ。
③本件は流す情報の内容に着目した規制なので、規制態様も厳しい。
④目的がやむにやまれぬ政府利益で、手段は必要最小限度でなくてはならない。
⑤個人情報が公にされる被害なるものは、やむにやまれぬものとはいえない。
こんな感じですか?」
キ「いやあ、きれいに決まったように見えるんですが。
これがステレオタイプ答案なのでしょうか?
おや、挑戦者指しました。
△①から⑤で何が悪いんですか?
お、我々の読み筋(予想回答)通りですよ。」
ツ「いやあ、はたでみてるだけの人の手が当たり始めると
危ないんです。おや、名人、いとも簡単に切り返してますよ。」
▲そのようなタイプの答案は,本件事例の具体的事情を考慮することなく,
抽象的・一般的なレベルでのみ思考して結論を出しており,
具体的事件を当該事件の具体的事情に応じて解決するという法律実務家としての
能力の基礎的な部分に問題を感じざるを得ない。
キ「わはは。我々やっちゃいましたか?」
ツ「はい。やっちゃいました。名人がお怒りの答案って、①から⑤じゃないですか。
わはは。」
アナウンサー「あのう。
キムラ八段、ツツミ九段、なにがやっちゃったのか、ちゃんと説明して下さい。」
キ「あ、すいません。
あのですね、①から⑤の論証って、この事案の特有の事情って
ほとんど何も出てないじゃないですか。
この事案だと、例えば、①のところで、
インターネットに写真を掲載する、っていう行為が
いったいいかなる行為か、従来『表現』に包摂されてきた行為と
同性質のものといえるか、って議論しなきゃいけないんですよ。」
ツ「はい。こういうのって、もう、単純に違憲審査基準めがけてつっぱしっているだけで、
『原告の』特有の事情を踏まえた『主張』を書かなきゃいけないところで、
いきなり『違憲審査基準』だけ書いてるように見えるわけです。」
アナ「これの、どこが違憲審査基準の機能を理解していない
ってことになるんですか?」
キ「はい。違憲審査基準の機能というのは、
厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
クリアしなければならない要素を明確にする、っていう要素があるわけで、
そういう機能を発揮させていいのは、
厳格に審査すべき理由がちゃんと説明できた事案だけなのですよ。」
ツ「②や③だけだと、抽象的で、その具体的事案が、
そういうケースにあたる、って論証にぜんぜんならないわけです。
名人の指す手に、意味がないわけないじゃないですか。」
キ「あとですね、この問題で、違憲審査基準にこだわりすぎますと、
⑤のいわゆるあてはめ段階でも、問題が起きるわけです。
この事案特有の問題として、このシステムだと、
ものすごくいろんな種類の情報が写りこみますよね。
どうでもいい情報から、重大事件の現場まで。」
ツ「これに対して、保護法益の側もほんとにいろいろなんですよ。
この事案で、プライバシー侵害が生じるわけですが、
家の外観が公開された、庭の様子が公開された、
家の中の様子が公開された、家の中でだらしない格好してる姿が公開された
とまあ、プライバシーといってもいろいろあるわけです。」
アナ「私のようなアマチュアには、ちょっとイメージしにくいのですが。
具体的に言いますと?」
キ「そうですね、たとえば、、、、
まず、被侵害利益が『重大な利益』だから、重大目的でないと制約できない
と硬直的な基準を立てると、どうでもいい写真の公開についても
そういう硬直的基準になっちゃうわけです。」
ツ「保護法益側もそうで、プライバシーって括ってしまうと
重要な利益からそうでもないものまでいろいろ含まれてしまいますなあ。
なので、目的手段審査の目的審査を
『その情報を流通させる利益よりも、
その被害を防止するという目的が重要であること』という
細かい形で厳密に書かないと、非常に大雑把な答案になってしまうわけです。」
キ「ですから、名人のあの一手は、
ちょっと我々の意表を突くものではありましたが、
過去の棋譜を検討する限り、
違憲審査基準を書くな、という意味ではないように思います。」
ツ「はい。違憲審査基準以外のとこが何も書いていないステレオタイプの批判なわけですが、
あたかも違憲審査基準論の全てが悪いように見える、陽動的な一手です。」
アナ「やはり、伝統的最高峰、名人戦。奥が深いですね。
名人の読みは、挑戦者を上回るクリアさだったということでしょうか。
本日は、ツツミ九段、木村八段、解説ありがとうございました。」
ここで、名人戦第5局、
採点 実感 名人 対 挑戦者 法務 博士 八段
の中継のお時間です。
解説は、ツツミ九段とキムラ八段です。
ツ「いやあ、難しい手が出ました。
はい。先ほどの名人の一手。
▲原告の主張を展開すべき場面で,違憲審査基準に言及する答案が多数あった。
ですね。」
キ「はい。いやあ、すごい手です。今期名人戦の中でも、もっともスゴい手と言えるでしょう。
法務博士八段、違憲審査基準に言及しないでどうやって書くんだ、
と、長考に沈み、ようやくひねり出した手が、
△あのお、いったい何をおっしゃっているんですか?
です。はい。相手が何をやっているか分からないときの手渡しです。」
ツ「しかし、さらに名人のたたみかけです。
▲違憲審査基準の実際の機能を理解していないことがうかがえるとともに,
事案を自分なりに分析して当該事案に即した解答をしようとするよりも,
問題となる人権の確定,それによる違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,
という事前に用意したステレオタイプ的な思考に,
事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答姿勢を感じた。
ふーむ。何をいっているんでしょう?」
キ「どうも、いわゆるステレオタイプ答案を批判しているようですが、
これは、違憲審査基準論(芦部憲法)をとっぱらって、
三段階審査でいけ、ということでしょうか?」
ツ「いや、違うと思いますよ。三段階審査でも正当化の枠組みで
統制密度と言う話になるので、問題となる人権の画定、
統制密度設定、事案の判断という流れは変わりません。」
キ「ははあ。いったいどういうことでしょう?」
ツ「挑戦者長考中なので、ちょっと、盤面を進めて見ましょうか。
ええと、問題を、名人がお怒りの方向で解いていくとどうなるでしょう?」
キ「はい。そうですねえ、法は
『個人に関する情報が公にされることによる被害』の防止を目的としていて、
『被害』を受けた者からの申し立てによって、国が措置を命じれると
まあ、こういうことです。」
ツ「本当に漫然と、ということになりますと、
①原告側の行為は、なんとなく表現っぽいですから、表現の自由が制約されている。
②これは自己実現・自己統治のための重要な権利だ。
③本件は流す情報の内容に着目した規制なので、規制態様も厳しい。
④目的がやむにやまれぬ政府利益で、手段は必要最小限度でなくてはならない。
⑤個人情報が公にされる被害なるものは、やむにやまれぬものとはいえない。
こんな感じですか?」
キ「いやあ、きれいに決まったように見えるんですが。
これがステレオタイプ答案なのでしょうか?
おや、挑戦者指しました。
△①から⑤で何が悪いんですか?
お、我々の読み筋(予想回答)通りですよ。」
ツ「いやあ、はたでみてるだけの人の手が当たり始めると
危ないんです。おや、名人、いとも簡単に切り返してますよ。」
▲そのようなタイプの答案は,本件事例の具体的事情を考慮することなく,
抽象的・一般的なレベルでのみ思考して結論を出しており,
具体的事件を当該事件の具体的事情に応じて解決するという法律実務家としての
能力の基礎的な部分に問題を感じざるを得ない。
キ「わはは。我々やっちゃいましたか?」
ツ「はい。やっちゃいました。名人がお怒りの答案って、①から⑤じゃないですか。
わはは。」
アナウンサー「あのう。
キムラ八段、ツツミ九段、なにがやっちゃったのか、ちゃんと説明して下さい。」
キ「あ、すいません。
あのですね、①から⑤の論証って、この事案の特有の事情って
ほとんど何も出てないじゃないですか。
この事案だと、例えば、①のところで、
インターネットに写真を掲載する、っていう行為が
いったいいかなる行為か、従来『表現』に包摂されてきた行為と
同性質のものといえるか、って議論しなきゃいけないんですよ。」
ツ「はい。こういうのって、もう、単純に違憲審査基準めがけてつっぱしっているだけで、
『原告の』特有の事情を踏まえた『主張』を書かなきゃいけないところで、
いきなり『違憲審査基準』だけ書いてるように見えるわけです。」
アナ「これの、どこが違憲審査基準の機能を理解していない
ってことになるんですか?」
キ「はい。違憲審査基準の機能というのは、
厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
クリアしなければならない要素を明確にする、っていう要素があるわけで、
そういう機能を発揮させていいのは、
厳格に審査すべき理由がちゃんと説明できた事案だけなのですよ。」
ツ「②や③だけだと、抽象的で、その具体的事案が、
そういうケースにあたる、って論証にぜんぜんならないわけです。
名人の指す手に、意味がないわけないじゃないですか。」
キ「あとですね、この問題で、違憲審査基準にこだわりすぎますと、
⑤のいわゆるあてはめ段階でも、問題が起きるわけです。
この事案特有の問題として、このシステムだと、
ものすごくいろんな種類の情報が写りこみますよね。
どうでもいい情報から、重大事件の現場まで。」
ツ「これに対して、保護法益の側もほんとにいろいろなんですよ。
この事案で、プライバシー侵害が生じるわけですが、
家の外観が公開された、庭の様子が公開された、
家の中の様子が公開された、家の中でだらしない格好してる姿が公開された
とまあ、プライバシーといってもいろいろあるわけです。」
アナ「私のようなアマチュアには、ちょっとイメージしにくいのですが。
具体的に言いますと?」
キ「そうですね、たとえば、、、、
まず、被侵害利益が『重大な利益』だから、重大目的でないと制約できない
と硬直的な基準を立てると、どうでもいい写真の公開についても
そういう硬直的基準になっちゃうわけです。」
ツ「保護法益側もそうで、プライバシーって括ってしまうと
重要な利益からそうでもないものまでいろいろ含まれてしまいますなあ。
なので、目的手段審査の目的審査を
『その情報を流通させる利益よりも、
その被害を防止するという目的が重要であること』という
細かい形で厳密に書かないと、非常に大雑把な答案になってしまうわけです。」
キ「ですから、名人のあの一手は、
ちょっと我々の意表を突くものではありましたが、
過去の棋譜を検討する限り、
違憲審査基準を書くな、という意味ではないように思います。」
ツ「はい。違憲審査基準以外のとこが何も書いていないステレオタイプの批判なわけですが、
あたかも違憲審査基準論の全てが悪いように見える、陽動的な一手です。」
アナ「やはり、伝統的最高峰、名人戦。奥が深いですね。
名人の読みは、挑戦者を上回るクリアさだったということでしょうか。
本日は、ツツミ九段、木村八段、解説ありがとうございました。」
ソクラテスメソッドです。文科省もこのブログをモデルにしてほしいものです。わはは。
さて、少し真面目に解答いたしますと、
よしのさんは違憲審査基準を比較考量を精密化・明確化するためのものとしますが
(私もそう理解してます)、
そうだとすると、実は、比較考量の方が違憲審査基準よりも優れている
とは、いえなくなるはずです。
というわけで、①の部分は、よしのさんの最後のご指摘の通り、
違憲審査基準を使うにしても、
本件では、表現の価値とプライバシーを比較考量する場所(おっしゃる通り目的審査)を
手厚く書かないと減点ですよ、
という趣旨として理解せざるを得ないですよね。
このあたり詳細は、本日はじまる記事で取り扱う予定です。
どうもありがとうございました。
誘導に従い「不法行為のような国民VS国民」の定義を『原告と被告が国民の場合』…などと考えているうちに、
④は私人間効力の場面を想定してしまっていると気付きました。
私人間で違憲審査基準の機能を発揮する必要性はありませんから、定義もそれを反映したものとなり、
不法行為の判例の存在と比較衡量の優位は無関係ですね。
先生の誘導に沿って考えているうちに自己解決の方向に向かっているのですが、いかがでしょうか。
あとはなぜ①で「比較衡量」という言葉を使ったのかという疑問だけが残っています。
もう少しお答えください。
まず、「不法行為のような国民VS国民」とは
どういう意味でしょう?
ビラ配りの規制なども、
街の美観の維持も美観を維持してほしい国民
あるいは電柱の財産を持つ国民
対
ビラはりや立て看板で表現したい国民
という図式ですよね。
もう少し精密な定義をお願いします
あと、よしのさんの議論は
「本件で比較考量で処理してもよい理由」にはなっても、
「本件で比較考量をすべき理由」にはなりませんよね?
本件で、違憲審査基準ではなく、比較考量を優先させた方がいい理由
(あるいは、採点実感先生が比較考量を優先させるべきとした理由)って何ですか?
ここをしっかり書いて下さると、
しっかりお答えできると思います。
私が最初の質問で用いた目的審査における「比較衡量と、今使った違憲審査論と同じ意味の「比較衡量」は自分で使っていて矛盾が起きてしまっていますね。
後者の比較衡量は総合考慮に近いもので、それに含まれるものとして、前者の比較衡量という言葉を無意識的に使っておりました。
補足して訂正致します。
おかげさまで憲法を引き続き楽しく勉強しております。
ご質問頂いた内容、ただの合格経験者の私にとっては大変厳しいもので、回答するのもお恥ずかし限りですが、
皆さんの参考になるかもしれないという言葉を信じ、述べさせて頂きます。
結論から申し上げますと、
違憲審査基準論は、比較衡量において審査すべき要素やその順序を明確化したものと考えておりますので(正確な定義をする実力がなく申し訳ありません)、
事案を比較衡量で処理する場合と違憲審査基準で処理する場合とでは、憲法判断の結論は、理論的には異ならないと考えています。
しかし、実務においては異なることもありうるというのが芦部先生の危惧だと勉強した記憶があります。
つまり、国家VS国民という構図においては、裁判所は国家よりの判断をするおそれがあるため、
考慮要素を明確化することには裁判官の思考過程を拘束して不当な判決を防ぐ狙いがある、ということです。
それ故、不法行為のような国民VS国民という構図においては、比較衡量で事案を処理しても良いということではなかったでしょうか。
したがいまして、先生のおっしゃるように、
「比較考量でも審査基準論でもどっちでもいい、ちゃんと具体的考慮をしろ」には同意致しますが、
「ただし、『判例・学説をちゃんと勉強した結果、本件では比較衡量を使うべき』とあえて書いてくれた人には、審査基準論を使った人よりいっぱい点数あげるよ」
という示唆があるのではないかと疑問を抱き、質問した次第です。
憲法の実力乏しい私としてはそれが判断しかねるため(④について自信がないのはその現れです)、ぜひお力を貸して頂けませんでしょうか。
宜しくお願い致します。
さて、私は、
「比較考量でも審査基準論でもどっちでもいいが、ちゃんと具体的考慮をしろ」と書いてあるように読みます。
①③④のご指摘はごもっともですが、
②の事案は、本件とまったく異なる事案なので
本件の分析に参考にならないでしょう。
というわけで、ご質問の内容を明確にするために二点、ソクラテスメソッド的に伺います。
質問一
「違憲審査基準」とは何ですか?定義を示してください。
質問二
事案を「比較考量」で処理する場合と
「違憲審査基準」で処理する場合とで、
憲法判断の結論は異なるのですか?
異なるとしたら、どういう場合に
なぜ違いがでるのか、もご説明ください。
よしのさんのご質問およびお答えは
他の方にも参考になるかと思いますので
ぜひお答え頂ければと思います。
この採点実感の言及につきまして、私は
「本件の法律の合憲性の判断枠組みは、審査基準ではなく、比較衡量を用いるべきである」
と読めてなりません。
その理由は以下の3つ(+おまけ1つ)です。
①
出題の趣旨にある「営業の自由とプライバシーの権利との比較衡量において、前者が優位することを説得力を持って論証することは、容易ではない」との記述を反対解釈すると、
本件では表現の自由とプライバシーを比較衡量において前者が優位することを説得力を持って論証せよ、と読めるのではないか
②
平成22年度の採点実感にも「どのようなものでも審査基準論を示せばいいというものではない」として、審査基準論のみを判断枠組みとして用いることに警鐘を鳴らした上で、
生活保護法の適用について「文言の解釈適用(運用)」で憲法論を展開することを期待しており、
平成23年度もそうした教育的意図の下で、審査基準論を用いないで合憲性を検討べき事例を出題したのではないか
③
木村先生も目的審査において比較衡量の判断枠組みで合憲性を判断されているようにお見受けしたこと
④
(※これは論拠に乏しい、おまけの理由ですが)
不法行為の判例において、裁判所が表現の自由とプライバシーを仲裁的に調整する場面で比較衡量が使われていることを思い起こせば、
本件の法令も、被害者の申立てをきっかけに中止命令をすることとなっており、A大臣が申立人とZ機能提供者の利益を仲裁的に調整する仕組みを採用しているとも読めなくはないこと
憲法的な論拠に乏しい質問で非常に恐縮ですが、先生はどのようにお考えでしょうか?
宜しくお願い致します。
しかし、確かにフジイ君の発言、脳みそがあるのかどうか心配になります。
システム開発者の藤井君とはエラい違いです。はい。
フジイくんを善導するという重要な目的のために,LRAは存在しないと言わざるを得ません.
以上,残念なことにシステムの使い手ではなかったフジイくんですが,私は結構好きです.
次回の活躍を期待しております(一人佐渡先生のOHに向かう勇姿までは不要ですが).
そして、それがほとんど伝わらないことが
残念です。
やはり、司法試験には藤井システムを必修にしましょう。
こちらが藤井システム(特定地図検索システム)を採用しているのに、
一目散に穴熊(表現の自由)にする答案である。
最終的に穴熊(表現の自由)にするにしても、
通常のケースとは違うことを意識した上で穴熊(表現の自由)にしなければならない。
私は、問題作成にあたり、
弁護人が『四間飛車の急所』を理解していることを想定している。」
(採点実感名人)
そんなこと言われたら、素人さん
美濃や矢倉、指せないじゃないですか!
そしたら、どうせ名人は
「基本がなってない」とかおっしゃるんでしょう。
わはは。
しかし、この会話の面白さが、全国の読者の方のうち
恐らく十名程度にしか伝わらないのが残念です。
抽象的・観念的ではない、具体的事案に即した答案だ。
私は、あのような答案を期待している。
玉は、8八ないし2八に置くと当然に考えている答案は、思考がなく有害である。
まして、かならず穴熊にするという考えも有害である。」
(採点実感名人)
はい。記事にしてみました。
>地方受験生さま
コメント、ありがとうございます。
記事にもしましたので、そちらをご参照ください。
はい。ご指摘の点、なかなか難しいと思います。
両方の見解を示すといのは、本当に難しいのですが、
これは王道はなく、
著名な判例で、争点についてどのような議論がされたか
を注意深く読んでいくしかないと思います。
頑張ってください。
>海楼卆さま
どうもありがとうございます。
実は、難問がもう一つ残っておりますので
(法令審査と処分審査の正しい理解とはなんぞや?)
頑張りたいと思います。
>noshi×2さま
ふふふ。分かってくれる人がいてくれて、うれしいです。
>シュナサンさま
名人戦は2時間×科目数なので、もう少し持ち時間が長いです。
ただ、考えなきゃいけない局面が多いのですよ。
法令審査処分審査目的手段審査についての解読は
現在作業中です。
しばし、お待ちください。
>「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、クリアしなければならない要素を明確にする」機能と、「抽象的な危険しかなくとも規制してよいか」をみる機能というのは、矛盾抵触するものではなく、両立するのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。
そうですね,両立すると思います。より端的に示すと,後者ではないかという指摘にすぎません。
>ちなみに、平成19年出題趣旨は、「まず設問1においては、‥直ちに審査基準論を展開するというのでは、不十分である。まず、どのような抵触や侵害が生じているのかを」、B教団の立場から具体的に論じることが必要である。」としているので、原告の主張(設問1)のところで違憲審査基準を定立すること自体は、試験委員の先生も、否定はしていないと思っています(今年の採点実感から見解を変えたということだと困りますが)。
平成19年は肯定もしていません。それゆえ,当該部分は根拠としては無価値です。
>「原告の特有の事情を『踏まえた』主張」とありますので、原告固有の事情を、法令違憲のところで論じるべきという趣旨ではないように思いました。付随的審査制なので、原告の救済に必要な範囲で、権利一般について論じるという意味だと読んだのですが、違いますでしょうか。
おそらく真意はそこにあるのでしょうが,性格には「本件法律で問題となる権利の特徴を踏まえた主張」でしょう。
原告固有のという表現では誤読の恐れがあります。その旨の指摘です。
たけるんさんの異論について、
①について
「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、クリアしなければならない要素を明確にする」機能と、「抽象的な危険しかなくとも規制してよいか」をみる機能というのは、矛盾抵触するものではなく、両立するのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。
ちなみに、平成19年出題趣旨は、「まず設問1においては、‥直ちに審査基準論を展開するというのでは、不十分である。まず、どのような抵触や侵害が生じているのかを」、B教団の立場から具体的に論じることが必要である。」としているので、原告の主張(設問1)のところで違憲審査基準を定立すること自体は、試験委員の先生も、否定はしていないと思っています(今年の採点実感から見解を変えたということだと困りますが)。
②について
「原告の特有の事情を『踏まえた』主張」とありますので、原告固有の事情を、法令違憲のところで論じるべきという趣旨ではないように思いました。付随的審査制なので、原告の救済に必要な範囲で、権利一般について論じるという意味だと読んだのですが、違いますでしょうか。
要するに、木村先生は、①違憲審査基準の機能は「厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、クリアしなければならない要素を明確にする」ことにあるから、厳格に審査すべき理由を論じるべきである。その場合、②「『原告の』特有の事情を踏まえた『主張』を書かなきゃいけない」。とお考えであるということでしょうか。
そうすると異論があります。
①平成19年出題趣旨は、違憲審査基準の機能に関して「本問で前提となっているのは、教団の「危険性」への懸念にも一定の理由があるが、その有無・程度等には不確実な面もあるといった状況である。この文脈で、審査基準論が意味を持つ」としています。
この部分を素直に読むと、違憲審査基準の機能とは、抽象的な危険しかなくとも規制してよいかという部分にある、とも読めます。要するに、審査基準の機能とは、最後の最後で、裁判所がどっちにするかの問題と考えているのではないでしょうか。そうすると、原告が言及する必要は必ずしもない、ということになります。
また、②法令違憲では、「原告の特有の主張」ではなく、当該法令で問題となる権利一般について論じるべきでしょう。原告固有の事情は、処分違憲のところではないでしょうか(平成23年採点実感4頁5参照)。
付言すると、試験委員のいう適用違憲は、木村先生と違う言葉のように読めます。
平成23年採点実感4頁、5のタイトルは「法令違憲と処分(適用)違憲」となっています。これは、平成20年採点実感2頁、3(1)のタイトルが「法令違憲、適用(処分)違憲」としているのと比べると、試験委員のいう適用違憲とは、端的に処分違憲=芦部類型2・3を意味しているのではないでしょうか。
木村先生のお考えは、おそらく平成20年採点実感4頁「当該処分の違憲性から過度の広汎性等の理由で法令自体の違憲性へと進むアプローチ」に近いように思います。
上記3点につきご意見をいただければ幸甚です。
名人戦は厳しいなぁと感じました。持ち時間2時間しかないですし(9時間ぐらいあれば・・・)
過去の棋譜からも、先生のように読むのが妥当なのでしょうね(そうじゃないと、過去の棋譜と整合しない)。ただ陽動的すぎる一手ですね。名人には小細工はしてほしくないですけど・・。
結局、目的手段審査が悪いわけではなく、それにいきつくプロセス無視がよくないということと、目的手段審査をするなら、本件における画像付地図情報の提供という表現と、本件の画像付地図情報の提供によるプライバシー侵害の程度・保護の必要性を、問題文にある立法事実を踏まえたうえで、利益衡量し、目的審査をしてくれないと、答えはでるはずないよ、ということなのでしょうね。
それと、本問の場合は、報道の自由とプライバシー権の対立という同じ程度に重要な人権を調整する場合と類似するので、審査基準論としての比較考量論も可能かなぁとも思いました(芦部憲法4版P100)
結局、目的手段審査の中でするか、比較考量論の中でするかの違いで、やることはことはおなじで、審査基準論で、差がつく問題ではないということを言いたかったのかなあと思っております。
だからといって、目的手段審査が不要とか、間違っているということにはならないと思いますけど・・
忙しい中、大変だと思いますが、引き続き楽しみにしております。
疑問が氷解しました、ありがとうございます。
それにしても、今年の憲法の採点実感は例年以上に難解でした。これからもよろしくお願いします。
先生の指摘により、意味不明だとおもった採点実感7部分につき、腑に落ちました。
それと共に受験生にとって、一抹の不安が生じました。
以下が、ロースクールからの帰り道に友達と交わした会話です。これが疑問点です。
「原告の所でそんなに論じたら、自身の見解で書くことがなくならないか?」
「原告の所で表現の自由に含まれるって事案に即して精密に論じたら、これに対する反論が『自己統治の価値なく保障されない』程度では的外れすぎて反論にならず、被告の反論でもそれなりに説得的に展開しないといけなくなり、そうするとますます自身の見解では書くことがなくならないか?まさに431答案ができあがっちゃうんじゃないかU+2049」という趣旨の会話が繰り広げられました…
学問的な内容ではなく、ただただ恐縮するばかりなのですが、アドバイスいただければ、幸いです。