さて、あからまさにありえないものを
開き直って、どうだ、と言われると、
うーんそうかもしれない、とリアルに感じてしまう
という話の続きである。
ここまでの話の流れからすると、
ジョバンニがネコであるのは、
みんなが思い入れをもって
それぞれ強いイメージを形成してしまうような
魅力あるキャラクターだからこそ、
誰もが、そうじゃないだろう、という描写が逆に成立する
ということを主張することになるようにも思われる。
しかし、ここには一つ落とし穴がある。
例えば、ドラゴンボールやワンピースを実写映画化するとして、
ゴクウやルフィの役を田中邦衛氏が演じる
ということになったらどうだろうか?
恐らく、ゴクウ役、ルフィ役として
田中邦衛氏を考える人はいないのではないだろうか?
(ちなみに田中邦衛氏は、
実写版ルパン三世において、次元大助役を
演じておられる。
それが次元役として正解なのか、いや
そもそもルパン三世を実写版にすることが
正解なのか、ということを含め
議論の余地があるが、
田中邦衛氏が
「おっす、おらゴクウ」とか、
「海賊玉に俺はなる」とか演じて下さるのは
全くの夢物語ではないのである。)
(但し、その夢物語を私以外の誰が見に行くのか、
というのは一つの問題である。)
さて、そういうわけで、
あからさまにありえないキャラクター描写が成立するためには、
単に、それがあからさまにありえない、だけでは
明らかに足りないのである。
では、あからさまにありえない描写が成立するためには、
要件1 みんながそれぞれ強固な固有のイメージを形成してしまったキャラクターである
要件2 その描写があからさまにありえない
の二つの他にどのような条件が必要なのだろうか。
進み始めた銀河鉄道は、このような問題提起に行きあたるのである。
(だんだん書いていて、方向性も分からなくなってきた
私ではあるが)
開き直って、どうだ、と言われると、
うーんそうかもしれない、とリアルに感じてしまう
という話の続きである。
ここまでの話の流れからすると、
ジョバンニがネコであるのは、
みんなが思い入れをもって
それぞれ強いイメージを形成してしまうような
魅力あるキャラクターだからこそ、
誰もが、そうじゃないだろう、という描写が逆に成立する
ということを主張することになるようにも思われる。
しかし、ここには一つ落とし穴がある。
例えば、ドラゴンボールやワンピースを実写映画化するとして、
ゴクウやルフィの役を田中邦衛氏が演じる
ということになったらどうだろうか?
恐らく、ゴクウ役、ルフィ役として
田中邦衛氏を考える人はいないのではないだろうか?
(ちなみに田中邦衛氏は、
実写版ルパン三世において、次元大助役を
演じておられる。
それが次元役として正解なのか、いや
そもそもルパン三世を実写版にすることが
正解なのか、ということを含め
議論の余地があるが、
田中邦衛氏が
「おっす、おらゴクウ」とか、
「海賊玉に俺はなる」とか演じて下さるのは
全くの夢物語ではないのである。)
(但し、その夢物語を私以外の誰が見に行くのか、
というのは一つの問題である。)
さて、そういうわけで、
あからさまにありえないキャラクター描写が成立するためには、
単に、それがあからさまにありえない、だけでは
明らかに足りないのである。
では、あからさまにありえない描写が成立するためには、
要件1 みんながそれぞれ強固な固有のイメージを形成してしまったキャラクターである
要件2 その描写があからさまにありえない
の二つの他にどのような条件が必要なのだろうか。
進み始めた銀河鉄道は、このような問題提起に行きあたるのである。
(だんだん書いていて、方向性も分からなくなってきた
私ではあるが)
思わずふいてしまいました(笑)
どこへ向かうのかもひっくるめて
続き楽しみにしています^^
はい。行く先も決まりました。
コメントありがとうございます。