このブログをはじめまして、多くのご質問をいただいてきました。
どうもありがとうございます。
私自身も、大変勉強になりました。
ところで、ご質問をいただいていて、最近、少し気になったことがありますので、
それを少し書き連ねてみます。
しばしば、
「キムラの見解は、A先生のこの論文と違っているようだが、
どういうことなのか?」
「キムラの言葉の使い方は、A先生のこの論文と違うが、
どういうことか?」
という趣旨のご質問をいただきます。
もちろん、
「A先生のこの論文の記述は、キムラはこれをどう評価するのか?」
「A先生の論文は、お前の議論をこう批判しているが、
それについてどうこたえるのか?」
という質問は、いろいろ答えようがあります。
しかし、上の質問は、こういう質問とはニュアンスが違っていて、
お前の見解を、A先生の見解に整合するように説明しろ、
と言われているような気がするわけです。
私が論文や著作を公表する場合、
私なりに、これが最も理論的に優れている、
最も優れた解釈論である、あるいは
最も優れた言葉の定義と使い方である、と思って提示しているわけで、
他方、A先生も、そう思って学説や議論を提示し、言葉を使っているわけです。
この場合、私もA先生も主観的には自分が真理だと思っていますが、
どちらが客観的に「正しい」のかは、読者のみなさんが判断するより他ないのです。
それぞれの論証を読み、どちらが正しいかを判断し、
自らの支持する立場を固める。
これは、法律家にとって必須の能力です。
このあたりを、もう少し意識してほしいなあ、と思う今日この頃です。
そうそう、ちなみに、何が「試験委員の理解」として「正しい」のかも、
認識しようがありません。
試験委員をされている学者の先生に限っても、
考え方はそれぞれ違うところがあり、
特定の先生の考えが「試験的正解だ」というみなしは、かえって危険です。
「理論的に正しければ、試験委員の見解と違っていても、評価してくれるはずである。
だから、徹底的に理論的な正しさを追求した議論をすべきだ。」
という態度であるべきだし、実際、そういう態度で合格していけるように思います。
もちろん、自分で「理論的に正しい」ものを選ぶ能力がない、自信がない、という方もいるでしょう。
そういう方は、まず、その能力を身につけることから試験勉強をはじめられるとよろしいと思います。