昨日、学食でカレーを食べていたら、ツツミ先生がやってきた。
彼の食事はから揚げカレー(M)+わかめサラダである。
そして、もちろん、みかん(Mサイズ)×2もついている。
ここで、えんえんと学食での様子を描写しても良いわけであるが、
ツツミ先生は、いきなり質問をしてきた。
ツ「あのさ。権利の第三者主張適格って何?」
私「ああ。『芦部先生以来、好んで論じられてきた論点』だろ。」
私は、兄弟子宍戸准教授の『憲法 解釈論の応用と展開』を引用した(143頁)。
以下、この本は<宍戸>と引用する。
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ツ「だからさ、これどんな論点なんだ?さっぱりわからん。
訴訟で、自分の権利じゃない主張をしても、意味ないだろ。
訴えの利益がプーって言われて却下されるのがオチだ。」
こういうと、ツツミ先生は、から揚げを食べた。
私「いや、まったくその通りだ。この第三者の主張適格ってのはだな、
次の論点に分解可能であることが知られている。
その1:規制されてもやむを得ない行為をした奴が
法文の過度広範故に無効を主張し、
法文違憲よって無罪という主張ができるか?
その2:国に対し(自分ではなく)第三者に対する
ある種の取り扱いを要求できる
憲法上の権利があるか?
その3:規制されてもやむを得ない行為をした奴Aがいて、
かつ、
その規制が第三者Bの憲法上の権利を侵害するものである場合、
Aとの関係でもその規制は違憲になるか?
その4:規制されてもやむを得ない行為をした奴Aが、
規制の根拠法が、第三者Bとの関係で違憲になることの確認を
裁判所に求めた場合、裁判所はそれに応答する義務があるか?
その5:規制されてもやむを得ない行為をした奴Aの訴訟で、
裁判所が、規制の根拠法について、
Aの権利侵害ではないが、
第三者Bとの関係で違憲になると判断した場合、
この部分は違憲です、と判決理由中で述べていいか?
結構複雑だろ。」
ツ「確かに複雑もいいところだ。ちょっと聞きたいんだが、
それぞれの論点の結論はどうなるんだ?」
私「結論から言うと、通説・判例・日本の訴訟システムを前提としたときに、
イエスなのが、その1・2・5
ノーなのが、 その3・4 ってことになるね。」
ツ「そりゃすごいな。しかも、3つがイエスで2つがノー!
確かに、第三者の権利主張適格の肯定説と否定説が入り乱れるわけだ。」
ツツミ先生は感慨深そうに頷き、わかめサラダを食べた。
栄養バランスは、意識的に回復しないとダメだ、というのが
ツツミ先生の学食における座右の銘である。
私「考えてみるとそうだな。すごい話だ。
肯定説と否定説で議論がかみ合わないことも多いんだが、
それは、学説が違うというよりも、扱っている論点が違う
ってことが多い。」
ツ「ふーん。そうなのか。にしても、<その3>がノーなのはわかりやすいな。
例えば、僕が君の名誉を棄損した場合、
君との関係では不法行為だが、だからと言って、
前田先生との関係で権利侵害になるわけじゃない。」
私「その通りなんだが、憲法の分野だとなかなかストンとこない人も多いみたいだな。
そういえば、最近、『客観法違反』が個人との関係でも違憲・違法だと
平気で主張する学生が多いんだが、
この辺りを曖昧にしておくと、この論点はさっぱりだろうね。
第三者の権利侵害は、その第三者との主観的法関係において違法、
その他の人との関係では違法ではなく、客観法違反があるにすぎない
って、難しく言うとこういうことだね。」
ツ「ああ。法学の基本中の基本だ。もっとも、誰がそれ教えるんだろ?
法学入門か、民法か、憲法か?」
私「そうねえ。古色蒼然とした科目で言うと『法学概論』ってやつだな。
でもいま、そんな科目おいてる大学も少ないだろ。」
ツ「そうだな。でも法学の基本文法だからなあ。どっかで教えなきゃダメだな。」
ツツミ先生は、少し面倒くさそうな顔になった。
確かに、法学部カリキュラム編成委員としては悩ましいところだろう。
ツ「ところで、その客観法云々の誤解はどこから生じたんだ?」
私「たぶん、この本・・・小山先生の『憲法上の権利の作法』(以下、作法)の
404節にさ、違憲な強制を受けないことの保障っていう客観法原則がある
て書いてあるだろ。
あそこ見て、客観法原則違反も、強制された個人との関係で違法になる
って思った人が多いんじゃないかな?」
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名著 小山剛・駒村圭吾編『論点探究 憲法』(弘文堂・2005年)
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ツ「確かに。そうも読めるな。」
私「あと、ほらここ。宍戸4頁に『平等原則は……権利の制約とは異なる
客観法違反という整理』をするってかいてる。
こういう箇所を読むと、髪型強制や平等原則違反のケースが、
客観法原則違反という点で、個人との関係でも違憲
みたいな処理をするように感じるかもしれない。」
ツ「ふーむ。本当に小山先生や宍戸さんは、そんなこと言っているのか?」
私「当然、言っていない。政教分離原則の最高裁での扱い方を見ればわかるように、
客観法違反は、個人との関係で違法を構成しない、
というのは、イロハのイだからね。
作法550節以下や、宍戸さんの本の105頁を見ればわかるように、
比例原則や平等原則には、『主観法』としての側面もあるから、
それらへの違反が個人との関係でも違法になるわけだ。」
ツ「明確性は?」
私「明確性の規範もよく客観法原則だと言われるが、
当然、主観法としての側面もあるから、
個人との関係で違憲な場合があるわけだよ。
明確性の原理としか呼ばれないからさあ、
本当な不明確な法文により処罰されない権利って
読んだ方がいいだろうね。」
ツ「ほほう。じゃあさ、論点<その1>から<その5>まで
分析してみようではないか。」
こういうとツツミ先生は、カレーを食べようとした。
そして、先ほどまであったはずのから揚げが消失していることに気付く。
どういうことだ?とあたりを見回しても、
14時15分というボケっとした時間に学食にいるのは、
ツツミ先生の50cmとなりに座っている憲法の神様だけである。
あなたでしょう?といおうかどうか、迷っていると
憲法の神様の方から話しかけてきた。
神「いや、実にウマいから揚げであったぞよ。
ところでじゃな、その論点、面白いから、ぜひ、読者の皆様に
『自分で考えてみろや。オイ!』と呼びかけてみるのをお勧めするぞ。」
というわけで、分析は、また次の機会になった。
考えてみて下さい。
<その4>と<その5>は、似ているようで全然違う論点です。
これができれば、相当の実力者ですな。