私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

写真クラブで、板取川の岩つつじを撮ってきました。

2013年06月26日 | 撮影会

 

梅雨の晴れ間の日曜日、青春時代にキャンプに行った

板取川へ新緑の写真を撮りに行きました。

杉の子キャンプ場には、岩つつじが満開で

三脚を持ったカメラマンも、多数撮影に来ていました。

2日前に降った雨の影響も無く、

つつじが綺麗な清流に映えていました。

上流の21世紀の森では紫陽花が咲いていました。

公園を徒歩で登ると株杉が、何本もあり、

樹齢400年を超える老木に10本を超える

若杉を天に伸ばしている姿は奇形でした。

更に、その上流は川浦渓谷の新緑です。

20メートルもある谷底を流れるコバルト色の水、

谷を包む爽やかな新緑の輝きに心を奪われた1日でした。

蘇生

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。