馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

40年以上前 私の身近にいた女性4人 その後。

2020-01-19 00:13:54 | 日記

ノートパソコン 不調で書き込みがままならない。

なもんで、下記ブログの少しばかり具体的内容が

2017年10月10日にブログ載せたので再掲です。

 

男の恋の履歴書 女の恋の履歴書。

 

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/ed397e222c12c63d1a2a87d1c6beae1 Paul Simon BBC TV (Still Crazy After All These Years) 6e

 

再掲

2017年10月10日 ブログ

10月8日(土)10時、

高瀬海岸は、釣り人もなく、貨物船が

エンジン音が鳴り響き

時折、護岸の巨大運送基地から

エンジン音を一気に吹かし大型宅配便が通過する。

高瀬海岸1

東京湾の海原を吸い込んだ風は

ジャージの隙間を冷たく通過する。

海風は刻一刻、秋到来告げる。

 

高瀬海岸2

空と海は、水をたっぷり吸いこんだ灰色の水墨画の如く

静かさだ。

 

秋だから、もの思いに耽るのではない。

 

先日、柳橋事務所でサラリーマン時代の同僚と飲んだ。

 

その中の一人

私を虚偽の噂で窮地の貶めた男の発した言葉だった。

 

 

 

突然

「10年前、S子の写真を見た」

「S子と仲良かった女から見せてもらった」

「老けていたね」

「俺は言ったんだ」

「俺と結婚すれば、君を絶対幸せにする」

と言ったんだが

「S子 まだ独身だった」

 

私は、黙って聞いた。

問いかけもしなかった。

 

心中の動揺を抑えた。

それっきり、その話は途絶えた。

 

 

その会話から、一週間が過ぎた。

 

ずっと想い出すこともなかったのだ。

 

44年前にプレイバックしたのだ。

 

当時 誰も知らないことだった。

私は中途入社であった。

配属先に、30代前半の男性上司一人

女性が3人いた。

その一人

私より三つ年下の女性がはす向かいの席にいた。

秋田県出身

秋田美人の言葉は知っていたが

現実の秋田美人を見たことはなかった。

 

秋田出身女優佐々木希というより

先日 亡くなれた歌手三条正人さんの夫人

香山美子似であった。

 

顔もキツイが性格はキツイのも

仕事しだして直ぐに分かった。

私の言葉使い電話対応に、一々口を挟んだ。

仕事上は先輩であるので、黙って受け入れた。

私的会話は殆どしなかった。

仕事も分かるようになり、自分のペースで進められるようになった。

金曜日

S子がミスで慌てていた。

状況は分からなかった。

下請け業者のオジサンがやって来て

S子と話していた。

概要は、明日土曜日9時までに宮城県石巻に届けなければならい。

当時は、宅配便など無く

東北には、早くて2日間を要した。

東北縦貫道も開通せず

片道400キロの行程。

下請けの50代の小柄なオジサンは、

一人で納品に行くと言っていた。

言い残すと帰って行った。

 

既に夕刻7時を回っていた。

 

その後、オジサンの自宅兼事務所に電話を架け

同行することを伝えた。

午後10時 準備して浅草を出発。

私が運転を続けた。

唯ひたすら、でこぼこ道をトラックの間に挟まれながら

翌朝、8時20分に着いた。

午前10時出発 ハワイツアー団体客への旅行鞄等納品だった。

そのまま、寝ずにトンボ帰り

上野に夜8時着。

 

下請けのオジサンには、この事は口止めにさせた。

上司、S子にも黙っていた。

 

翌週、数日何事もなかった。

突然、上司が怒鳴った。

許可も得ずにした行為。

次にしたら、首だ。

S子は下を向いて沈黙。

 

下請けの奥さんが、S子に喋ってしまったのだ。

S子は上司に告げ口したのだ。

職場は大手町にあった。

その夕方、東京駅北口にS子に来るように電話した。

北口ドーム下にS子は颯爽とやって来た。

真向いあうと、私はS子の右頬を平手打ちにして

無言で湘南電車に乗車した。

S子は、翌日2日間体調不良との連絡で休んだ。

S子が出社した朝。

彼女の顔を見て驚いた。

上司が言った。

「何だ その厚化粧は」?

美貌が、化粧を塗りたくり

般若のようだ。

それからは、無言の冷戦が何日も続いた。

 

素直になれなくて  [日本語訳付き]  シカゴ

社内の宴席があり

私とS子は、二人で手伝することになった。

 

宴席が終わり、皆は先に帰った。

S子は、私の顔を見ずに呟いた。

「私が心配して上司に言ったのに

そんな馬鹿な人と仕事なんかしてられない」

私の脳は一瞬秒針が止まった。

 

その直後、私達は

FALL IN LOVEと化した。

恋におちて -Fall in love- 小林明子

 

社内には知られずに

私達は、銀座で食事

互いに、相手に自分達が見立てたブラウス

セーターを給料日に買って交換したのだ。

日比谷で映画を見た。

横浜、湘南海岸をドライブ。

現在のようなスマートおしゃれなデートではなかった。

 

秘めた過行く日々の中で

彼女の生い立ちを垣間見たのだ。

秋田から高校卒業して集団就職により上京。

下町の中堅規模の衣料品販売店に就職。

その後、転職して現在の会社に勤めた。

貧しい出自と学歴コンプレックスが

彼女の負けまいとする気持ちが

仕事に現れていたのだ。

新入社員も入ってきた。

職場の人数も多くなった。

それから一年が過ぎようとしていた。

 

私は上司の不正に巻き込まれていた。

悩んで悩んだ末に部長に事実関係を報告した。

部長は言った。

「管理不届きで処罰されるより、成績不振で処罰されるほうがましだ」

翌週、部長より、新橋勤務を命ぜられた・

軽食喫茶で皿洗いすることになった。

部長も不正にグルだったのを後に知るのだ。

 

部長は、私が退社するのを願っていたのだ。

ギブアップする訳にはいかない。

そうして、前の職場と一切のシラガミを断った。

S子から電話があった。

生返事した。

彼女の仲良し女性を通じて連絡もあった。

断ち切った。

失意の日々であったが

山岳部先輩の紹介で女性を紹介された。

暫くしてその女性と結婚した。

上司の不正が社内に噂となり

役員が調べに私をホテルに呼び出した。

その後、まもなく、銀座4丁目ビルの営業部に復帰した。

一切、大手町の元の職場に顔を出すことはなかった。

S子は、仲良し女性から私の結婚を伝え聞き

「目が赤く充血していたわよ」

彼女はまもなく退社した。

 

その間、後輩の社員二人は

彼女争奪戦を繰り広げていた。

互いに想いは叶わなかった。

銀座営業部で、二人の会話を耳にしたことがあった。

「お互い頑張ったが駄目だったな」

複雑だった。

彼女の対象相手でなかった。

見た目だとか、学歴を鼻にかけるのを嫌悪していたのだ。

又、私が付き合っていたのも知らなかった。

 

先日 柳橋で話した男は

ドン・キホーテの如く独りよがりで妄想と思い込みが強く

体形は、怪傑ゾロの敵役 ガルシア軍曹に似ていた。

本当に愛していたのら、彼女が57歳独身でいることを

心配して上げなければならない。

自分は結婚もして子供、孫もいる身分でありながら

「俺と結婚しないから不幸だ」などと非難するのは

恥知らずの愚か者だ。

奥さんへの背信だ。

 

人生の出会いは、思い通りにはならない。

待つということで成就する恋愛もあれば

 

 

山岳部同期のように、想い叶わぬまま

24歳で黄泉の国に逝ってしまったのもある。

 

同期が柳橋に集まり、彼を忍んでいるのだ。

 

ガルシア男には、その優しさ、敬いがなく

一方的な自我欲求しかない。

 

当時は、男女雇用機会均等法施行前であり

男女も妥協しながら婚姻した。

 

現在の多様な男女間生き方。

同性婚も認知されようとしている。

結婚を臨まない女

結婚ができない男

結婚が面倒な男

事実婚という同棲

あの時代適齢期で

すれ違い、タイミングを逸した男女。

今では、加齢の未婚男女は増加中。

 

今持って独り身の知り合い女性3人がいる。

 

 

彼女達は、容姿も良く、頭も優秀だが

共通するのは、男に媚びない。

男勝りの女性達だ。

 

1月に再会した女友達は、言った。

「大手企業の部長だからといって

それが何なの」?

 

 

彼女達が結婚を否定している訳ではない。

むしろ、心奥底に強い結婚願望があるのだ。

 

秋風の護岸をヨタヨタ歩きながら

過ぎ去った恩讐を想った。

 

追憶 [日本語訳付き]   バーブラ・ストライサンド

私には妻 子供二人 孫もいる。

 

S子の心に去来する混然とした苦悩悲しみに想い馳せる。

美貌に翻弄された女。

美貌に惑わされた男。

 

今では、70歳の小便垂れ流し爺さんになった。

S子に幸あれ

願わずにいられない。

 

護岸から、ちょろちょろと放尿した。

高瀬海岸3

 

尚、不正の上司は夜逃げ

部長は定年前に癌で亡くなった。

 

わかれ (別離)/岸洋子(本人歌唱ステージ) Yoko Kishi

追記

S子は、妻と、どことなく容姿に面影はあるが

性格は穏やかで貧乏にも耐える。

振り向かないで

クリック

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/e087a398d74a1744bc4a1bc07907af0e

 

 


足腰鍛える 階段登り.

2020-01-18 13:12:29 | 日記

昨日から自宅ノートパソコン WI-FIが繋がらない。

ランケーブル使用。

スマホもネットが繋がらい。

IT音痴の爺さんは自己流で操作すればするほど

混乱が生じる。

ブログ更新どころではない。

18日(土)

暖かい冬だが、やっと降雪。

コミュニティ棟では、中学生が受験勉強。

日本は冬季受験なので、不測の交通網の混乱で

受援生は受験会場に遅れ焦る。

私も受験では風邪で高熱発し鼻水たらたら

言い訳したくないが駄目だった。

幼児の頃から、鼻水垂れ流し、小学校、中学校、高校時代

電車に乗って耳鼻科に通った。

以上 インチキ 修正画像

73才なるのに治らず

鼻の奥が変形しているそうだ。

耳も遠い。

頭も鈍く悪い。

手術すると、ハンサム?な顔立変形するので

母親はさせなかったと言うが

本当だろうか?

貧乏なので当時としては、馬鹿息子に金出せなかったのだろう。

手術して頭良くなるなら誰でもする。

雪降る窓辺 ボランティアオジサンが受験指導

 

1月16日(木)

住まいマンションの電気系統のメンテナンスの為

「10時より11時まで停電します」の連絡が入る。

20階建て2棟

15階建て1棟

コミュニティ4階建て1棟

非常階段を除いて全て停電。

 

昨日 足腰筋力を維持に

20階建て2棟

15階建て1棟

上り下りした。

 

今日は、必然的に階段使用。

 

20階目指して、ゆっくり上がる。

13階まで上がると

上から下りて来る足音。

老婦人が下りてきた。

「大変ですね」

上品な笑顔で挨拶。

 

20階に到達して非常扉を開く

海側ではない茨木方面が見える。

筑波山が霞んでる。

 

久しぶりの眺め。

 

高所は目が回る。

プリズム20階からの眺望

 

 

 

昨年2月の階段登り 雪降りだった。

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/b5a29fd4aee6935a343881d8ab54c2a0

 

 


今は昔 応援団無骨男子、今は可憐女子。

2020-01-16 07:54:59 | 日記

 

先日 50年前の応援団 団長からのラインメールを記したが

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5873cc96c814dca7e6a801bcf73d745b

 

 

1月13日 八芳園で応援団創部70周年記念パーティーの写真が

送られてきた。

 

今は昔、キャンパスを詰襟高く、だぶだぶ学ランで闊歩した応援団部員。

 

殆どの大学で消滅してしまった。

野球部のリーグ戦優勝試合には、体育会所属部員は

強制的にチャーターしたバスに詰め込まれ

神宮球場で学生服姿で応援した。

 

私が所属した山岳部も 冬季知床半島縦走

ヒマラヤヌン初登頂、

厳冬期北アルプス立山~槍ヶ岳縦走

輝かしい山歴を経て、生死の危険を覚悟する山登りは

部員が集まらず10年以上前 創部80年の活動に幕を閉じた。

 

部室には、7人の遭難死部員の写真が掲げられれば

恐れをなして入部しない。

 

今では ワンダーフォーゲル部、

ハイキング同好会に部員は100人以上入部するらしい。

大半 女性部員だそうだ。

 

応援団もしかり。

 

無骨な男子部員より、アメリカの大学のように

女子学生がミニスカートで躍動して

競技場を華やかに盛り上げてくれる。

 

送られてきた写真には

応援団 女子団長が羽織袴で

可憐なスマイルにて、OB爺さん達を歓待。

羨ましい。

 

今は昔

冬山出発する上野駅 夜行列車 黒部のホームに

応援団部員が、エールと太鼓で壮行するのを

恥ずかしくも受けた。

 

山岳部なんて、元々女子部員は入部させなかった。

 

50年前の郷愁です。

 

 


男の恋の履歴書 女の恋の履歴書。

2020-01-14 07:48:59 | 日記

1月12日 時計の針は午前0時を近づく

1月13日に日付は変わる。

ベッドに潜り込み、壁のカレンダーを眺めた。

1月12日の日付は 胸の奥深くピンセットで

留めたまま40年の月日が過ぎては繰り返す。

 

彼女は67才になったのだ。

深いため息と共に明かりを消した。

 

男は過去の添い遂げられなかった恋をいつまでも

維持維持と引き摺る。

 

しかし 女は終わった恋はすっかり掃き捨てる。

 

男は想い出箱に忘れずに別の名前で保存する。

 

女は想い出箱に上書き保存する。

 

男女の性差は人類が生存するための必要性があるのだろう。

 

弊社にいるデザイナー女性は40才を過ぎて独身を継続中。

 

年齢を重ねても美しく気品が漂う。

 

何かの会話中に彼女が言った言葉がある。

 

「昔 付き合ってた人など想い出しもしない、道端の石のようなもの」

 

だけれども 全ての女性がそうとも思えない。

様々に生きてきた環境により

男女の恋は、誰もが同一ではないし、解析などできない。

 

 

 

再掲ブログ

 

  

2011年430日(土)柳橋事務所に書類を取りに早めの昼飯食べて出た。

11時半船橋駅に着いたが総武快速線が15分後に着くので

黄色の総武線が先に来たので乗車、車内は空いていたので座る。

昼飯食べると必ず昼寝習慣があるので、市川駅過ぎあたりで寝入ってしまった。

目覚めると四谷駅だ。慌てて下りた。

浅草橋へ折り返し戻ろうとしたが、何となく四谷駅改札を出てしまった。

久しぶりで懐かしい街並みだ。

四谷3丁目に向かって歩いた。

途中、イタリア自動車雑貨店というイタリア自動車のアクセサリーを

販売している店を覘いた。

 

イタリアの名車のキーホルダー、フラッグ等が

置いてある。デザインの参考にしたい。

四谷はサラリーマン時代、組合活動の拠点とした社員クラブがあり会合、宿泊をした。

当時はこの近辺で飲んでいた。懐かしい。

あまり大きな声で言えないがロマンスの場所でもあった。

迎賓館前を散策した。人も少なく静かだ。

迎賓館前の公園ベンチに座り、樹間を抜ける心地良い風の騒めきの中

ふと思い出す、「彼女は未だ独身なのだな」

上司の理不尽な人事異動命令により、新橋の軽食喫茶で皿洗いすることに

なってから私達は疎遠になった。

あれから30年以上の歳月が流れた。彼女は未だ独身だ。

人伝に聞いた、「あの人は、昔激しい恋愛をしてその人が忘れられない」

15時、柳橋事務所に着き、書類を鞄に入れる。

月曜に出社前に船橋の銀行から為替送金をしなければならない。

帰りは両国橋から錦糸町まで歩き総武快速線で帰った。

明日は娘のアイリッシュダンスを見に行く。

 

 

 

 

瀬戸内海に漂流郵便局があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%82%E6%B5%81%E9%83%B5%E4%BE%BF%E5%B1%80

 

 

瀬戸内海の栗島にある漂流郵便局は、返事は来ないとわかっていても、誰かに聞いてほしい、誰かに伝えたい思いなど、

宛先のないお便りをお預かりする郵便局です。

その手紙の一部を紹介します。

 

大好きだったあなた様

 あなたと別れて、もうすぐ2年が経とうとしています。

今でも、あなたの事を忘れようとしても忘れることができません。

あなたが乗っていた車を見ると、街中であなたに似た人を見かけると、

あなたと出かけた場所へ行くと、胸がドキドキして、

その後キューっと胸が苦しくなります。

私がこんな気持ちでいる事をあなたは、これぽっちも知る事なく

今を生きて、過ごしているのでしょうね。

周りの人には、早く忘れろと言われるのですが、

私は一生忘れる事なんて、できないです。

人を愛する楽しさ、喜び、幸せ、辛さ、悲しさを

教えてくれたあなた。

これからも、笑顔で幸せである事を願っています。

 

「67歳になった今も、昔好きだった男性を想い続ける女性もいます」。

 

 読んでもらえない手紙を書きました。

私も67歳になり貴方の気持ちは長年たって理解できます。

悲しくて悲しくて自分ではどうにも出来ません。

悲しみは今でも続いています。

ただ死ぬまで一度だけ私の気持ちを分かってください。

私も昔みたいにやさしくありません。

性格も強くなってしまったのでかわいくないです。

私はこの年になっても貴方が大好きでした。

 いつか会いたいです。私も今も元気です。

貴方が生きているかどうかわからないですけど

お空で読んでくださいね。

追憶 [日本語訳付き]   バーブラ・ストライサンド

 


ラーメン店の栄枯盛衰。

2020-01-13 07:35:12 | 日記

 

ショッピングセンター 道路真向いにあるラーメン店

幸楽苑閉店 取壊しの看板。

幸楽苑 閉店

 

ラーメン店舗の栄枯盛衰は、1年間も持たず廃業。

近辺には  有名 人気店 富田 青葉 蒙古タンメン中本。

土日、祝日は行列。

 

若い頃、脱サラして飲食業したいと結構本気になったが

不器用で味覚音痴はなので、無理だと諦めた。

 

次の栄枯盛衰は

回転鮨

 

周囲には、銚子丸、スシロー、くら寿司 はま寿司が競い合う。

 

この地に住んで40年

 

10年前のブログを読み返すと、商売の変化が

濁流に流され、ボコボコにされながら

河口に辿り着くと、身ぐるみ剥がれ浮いている。

 

トヨタ自動車が 社長自らCMに登場。

車の宣伝はなく、将来展望への企業経営を語る。

 

愚人には、IT社会には追い付いていけない。

老人達は 世間の邪魔者として排斥され朽ち果てるのを待っている。

 

栄枯盛衰 ブログ

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/44f7dca6a079047bca108eaf07eabe23