馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

晩夏海辺の想い出! サンチョパンサは何を見たか?

2020-09-01 22:02:10 | 日記

再掲

湘南サウンド想い出の渚 俺の暗い想い出の渚。

2015年4月28日

4月28日(火)

ザ ワイルドワンズのリーダー 加瀬邦彦さんが亡くなった。

自ら命を絶った。

ずっとずっと昔。

湘南サウンド 想い出の渚がヒット。

 

あの時代、

17歳 青臭い独りよがりの悩みと憔悴に無頼の日々を過ごしていた。

江の島近くの高校を一年遅れで卒業した。

 

 19歳 予備校に行かず逆方向に乗って湘南海岸に下りた。

あの頃の砂浜は重油が砂浜に押し寄せて汚かった。

江の島に太陽が沈みかけるまで、砂浜に寝そべり何にも考えなかった

  

 その頃にデビューしたのが ワイルドワンズだ。

湘南海岸をイメージした想い出の渚が大ヒット。

毎夜 歌番組に流れた。

 

思い出の渚 ザ・ワイルドワンズ

私は暗かった

世の中を拗ねていた。

激情が空回りして

湘南道路を無免許でバイク走行した。

可愛がってくれた担当教師が

夜回り指導と称して、学生服姿の僕を赤提灯に連れて酒を飲ましてくれた。

バイト先の証券会社社員と、海辺の町のBAR、クラブに学生服で通った。

 

証券会社の知的な綺麗な24歳の女性が

弟のように案じて心配で勉強させようと

藤沢の図書館に連れて行った。

あの人は、生きていれば80歳?

まだ海辺の町で暮らしているだろうか?

江の島で女教師とデートした。

 

20歳 5年間過ごした湘南の町にお別れして

東京方面行き湘南電車乗って大学生になった。

そして、恋をしたがあっさり振られた

想い出の渚の曲に、俺の苦く、暗く、身勝手な想い出の渚が蘇ってきた。

 

既に想い出の渚ではなくて

昔々の化石になった渚だ。

 

担当教師の死去は知ったが

あの頃の女性達はどうしているのか?

通りすがっても分からない。

 

既に50年が過ぎた。

 

 

 


                         

 

サンチョパンサは何を見たか?

マサチューセッツ~悲しき雨音

日記

2020-09-01 13:41:43

1963~カスケーズ『悲しき雨音』、1967年~マサチューセッツを聴く。

 「悲しき雨音 En ecoutant la pluie」 シルヴィ・バルタン Sylvie Vartan up

徳永英明の『壊れかけのラジオ』で歌われた世界。ラジオの深夜放送が斬新な文化を山里まで運び来て少年少女達の想像が遥か遠くの異国へ旅した時代だった。

 Bee Gees - Massachusetts (One For All Tour Live In Australia 1989)  

、素直なノスタルジーを述べる歌詞……何故か今になって頭に浮かんだ二曲。

 

自分のブログにも体現される『毒の世界』、皮肉を越える皮肉を弄ぶラップ。コロナを巡る恐怖、閉塞感と苛立ち……。



こき下ろしてた安倍が辞めるとなれば……急にその心痛をオモンバカル優しい人達が数多く湧き出して来て……新しいプチ正義を語り出す。



もうちょっと……そういうの勘弁ね……。

そんな心持ちだったのかも。



マサチューセッツは華やかな都会サンフランシスコを目指した若者が……強い郷愁を以て故郷、残してきた彼女を思う。当時の東京に暮らした若者共通の夢と不安が体現されていた。



経済30年説が二周りして、都会で食い潰す人達が

経済を理由に故郷を目指す動きがチラホラ。

何が変わったのか?と言えば『夢も自己責任で描いてね!』という……皆の夢を『時代が保証してくれた』状態が失われた事か?……。



グルメなんて言葉は無かったけれど喫茶店のナポリタンがどうしてあんなに旨かったのか?そんな事をボンヤリと考えた……。

 

 坂本冬美 悲しき雨音 2015 / Rhythm Of The Rain

 

 

 


悪徳悪質芝信用金庫へ最高裁判決。(129)サンチョパンサは何を見たか?

2020-09-01 05:49:38 | 日記

芝信用金庫理事長の嘘の釈明文(128)続きです。

 

ブラック職場の定義は何だろう?

一般的には以下の三つに集約される。

  • 長時間労働・ハラスメントが常態化している
  • 残業代や手当の未払いなどの違法労働が行われている
  • 採用・離職が繰り返され社員が「使い捨て」状態になっている

娘は夏休みを取って九州まで出かけた。

8月末日曜日遅くに帰宅。

月曜日は、在宅テレワーク勤務の予定であった。

翌早朝、身支度をしている。

夜半に連絡があり職場に向かうことになった。

朝焼けの光を浴びて駆け足で駅に向かう。

入れ代わりに大分関から冷凍の魚類が届いた。

娘の職場はブラック職場なのか?

 

 

私が芝信用金庫に横領されて騙されていた時期

新聞に芝信用金庫のブラック企業判決が下された。

芝信用金庫が体質的にコンプライアンス放棄

腐敗企業であったことが判明した。


 

再掲

悪徳悪質芝信用金庫へ最高裁判決。

2019年6月29日

しばさんへ。

 

 

馬鹿も一心 編集画面を開くと

様々な情報と検索履歴が表示されます。

 

先頃 興味深いのは

芝信用金庫不祥事 のキーワードで検索された方がいました。

そこで、表示されたのが以下の書面です。

 

女性職員の男女賃金差別訴訟。

最高裁まで争い、

 

 

 

芝信用金庫事件と男女差別による昇格差別: 知ってると役立つ労働基準法は重要判例から学んだ

 

 

労働基準判例検索-全情報

 

 

男女の昇進差別【芝信用金庫事件】-なるほど労働基準法

 

 

判決の頃、私への芝信用金庫多田政則による横領事件が発覚しました。

新聞紙上に掲載されたのを読んで、あからさまな男女差別しているのに驚きました。

既に男女雇用機会均等法が施行されて長い年月が経過しています。

社会的責任が使命の金融機関の無知に呆れました。

 

 

最高裁判決 芝信敗訴

 

<ご参考> 『男女昇格差別訴訟』芝信用金庫と原告女性が和解
芝信用金庫(東京)の「男女昇格差別訴訟」は10月24日、信金側が原告女性の昇格を認めて
解決金を負担することなどで双方が合意し、87年の提訴から15年を経て、最高裁第2小法廷
(梶谷玄裁判長)で和解が成立した。職場での男女差別を問う他の訴訟にも、影響を与えそうだ。
和解条項は(1)現職6人を10月24日、課長職に昇格させる
        (2)退職した6人は退職時に課長職に昇格したと認める
        (3)信金は約2億2300万円を解決金とする
        (4)1、2審で請求が退けられた1人は昇格試験を受ける
――などの内容で、女性側の主張がほぼ認められた。
2審の東京高裁は00年、8人の課長職への昇格を認め、12人については慰謝料も含め約1億
8400万円の賠償を命じた。
信金側が上告したが、裁判長期化を避けたい原告側と、「東調布信金」(東京)との合併を控えて
早期の紛争解決を望んだ芝信金の思惑が一致し、和解協議が進んでいた。
和解成立後、会見した原告団長の笹本美園さん(60)は「あまりに長い裁判だったが、昇格を
勝ち取ることができ、本当によかった。男女差別の解消に向けて闘っている全国の多くの仲間に
とっても、大きい意味がある。素晴らしい勝利。あすから課長として、ますます頑張って仕事ができる」
と喜びを語り笑顔を見せた。一方、芝信金の石原哲夫理事長も会見し「来年7月の合併前に紛争が
解決できて喜んでいる。差別があったとは考えていないが、今後、健全な労使関係を構築したい」と話した。
労働問題に詳しい中野麻美弁護士の話 他の企業で争われている男女差別訴訟では、差額賃金
や慰謝料の支払いを命じる例が増えているが、昇格まで認められたことはなく、和解で実際に昇格が
実現した意義は大きい。「仕事やポストで女性には期待しない」という取り扱いは、まだまだ日本企業を
支配しているが、今回の和解は、そうした体質の改善を促すものといえる。(毎日新聞)

 

 

この判決文を読んで、当時の支店長 副支店長が

私を騙しているのは,核心を持っていました。

しかし、利は時にあらず。

時間経過しない限り実相は浮かび上がらないと我慢しました。

長い間待ちました。

 

 

次回に続く

私が労組書記長の時

腐敗癒着した労使関係の戦いを記します。


サンチョパンサは何を見たか?

失敗は失敗のままでも人を励まし安心させる

 
思考の仕方そのものを根本から見直し組み直さなければならない時期が凡そ十年位で周期的にやって来る。

かなり前に、いささか遅きに失した感は否めないけれど……自分の本意とか本心を抑えて全体的な収まりを考え過ぎた?と気付いた……。
考え方の根本に自分を置かないと有効な思考が出来ないのだとやっと理解できたのだった。

自分を抑えて捻り出す手法は結局の所、無理が生じる。
それは根本に『嘘がある』からだ……。
人生も後半戦に入れば、望むモノをキチンと望まないと無理となって問題が表出してくるのである。

自分を犠牲にと言えば聞こえは良いけれど何故そんな薄っぺらい美談に流れたかと言えば『楽だったから』だと今なら分かる。アイツの為にとか皆の為にとか思えば辛い事も何故か楽だったのだ……。

そういう構図が、仕事にも対人関係にもすべてに組み込まれていた。
自分は神でも仏でもない、煩悩溢れる生身の人間だった。遅まきながらその『当たり前』に立って組み直そうと反省したのだった。

自分が欲しいモノを欲しいと望むことの難しさである。その上での譲るべきを譲る妥協なら支障はない。しかし、根本に妥協がありそこから始めるから必ず……無理となってしまったのだと今、反省しきりである……。

肝心なのは、その妥協……活きて作用したか?と言えばNOだった。相手はその妥協に乗っかりチャッカリなんて事の連続で……無理が出ればハイ、さいならで終了……。

自分は志願して奴隷になった様な妙な被害者意識まで囲うというおバカ加減だった……。結局誰の為にもならなかったのである……。

自分に妥協は……生きる横着だった?と今更ながら……。
 
ある方のブログは……僕を安心させてくれた。
その方の『人知れず泣いた思い』は『お前はそれで良いんだよ!』と語りかけて来てくれた。
 
少しばかり苦難らしいモノを味わってる人間には……人の誇らしい成功話なんぞ何の役にも立たないのである。
 
『こうやってホウホウの体で這いつくばりながら生き長らえたのです……嗚呼カッコ悪い』なんて話されると理屈抜きに尊敬の念が湧いて来る……。
 
じゃ 僕も続いて演って見ます!ってな気持ちも甦り……元気は自分が出さなきゃ仕方ないけれど人生の先輩の失敗、苦難の話は人生の後輩に取ってとても『安心出来た』のだった。
 
その方の年齢迄に……自分も若く不器用な人間達に大いなる失敗談を語り……安心させられる人間になりたい!と思った
のでした。