馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

べっらたら市でランチ。

2012-10-20 23:38:45 | 日記

10月19日(金)午前中は漁師の爺さんと噛みあわない会話したが

本日のランチは外だ。

 

12時事務所を出て人形町方向にぶらぶら歩く、堀留町までやってきた。

オフィス街の四方八方の道は人が溢れていた。

  

今日はべったら市が開かれている。

宝田神社の門前市なのだが、そこには行かず

日本橋椙森神社に行く。

12時半、弊社女性が馬喰横山駅からやってきた。

早速 門前横の屋台で牛筋煮込み、塩焼きソバを買う。

境内で立って、缶チュウーハイを飲みながら食べる。

 

15年以上、毎回同じ場所、同じ露店で食べる。

今までの経験から旨い屋台が分かった。

的屋の露店は食材が新鮮でなく油が古く不味い。

ボランティア団体の食べ物は学園祭の食べ物のようで不味くも旨くもない。

人形町界隈の老舗料理店が作る屋台の食べ物はおいしい。

食べているとメールが入り「まだいるか」と息子から。

仕事で他に立ち寄っていたが、まもなく現れた。

当人は屋台の食べ物は食べず近所にあるラーメン屋に行く。

店名「わかい」路地裏の見えない場所にあるが昼時は行列が出来る。

オーダーして出てくるまで5分以内早くて旨い。

  

私とデザイナーは近くのカフェテラスでコーヒーを飲みながら待つ。

食べ終わって満足げにカフェに入ってきた。

「民主党の馬鹿に腹立てて不愉快だったが、醤油ラーメン食べて気分良くなった」

その後、女性は魚久の粕漬けを買うため行列に並んだ。

私は夕方事務所にくる後輩と飲むつまみ類を名店屋台から買った。

毎年、秋を感じさせるべったら市だ。


新撰組 隊旗 ピンバッジと漁師の爺さん。

2012-10-20 17:40:07 | 日記

6月19日(金)午前9時 漁港の水門を抜け、京葉道路高架下にきた。

あの漁師が自転車で通りかかった。

私のこと「あんた太ってるな」と初対面でいきなり言われた

元漁師の爺さんだ。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/bf7bc96200382b4a43245418dc44456e

 

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/2c2bcf1fa1769904cc099d57debd3d44

 

一瞬、私の顔を思い出せずに目を細めた。

お!と言って自転車を止めた。

「物と金はどんどん使わなくてはだめだぞ」

「俺は81歳、本当は死んでなければならない」

元漁師は一方的にしゃべりだす。

前に会った時は82歳と言っていたが?

ふと、歯抜け爺さん私のジャケットのバッジを見る。

「おお!新撰組の旗じゃねーか」

「カッコイイ、バッジだ」

 

私は答える。「よく知ってるな」

「そうだろう、あんたが言う前に俺っちが言ったろう」

 

得意そうに「こういうバッジを男は着けなければだめだ」

私は「あんたにあげたいが、これは俺の商売で作って売っているんだ」

「他のボールペンのサンプルだったらあげれるのだが」

爺さんずっと見続ける。

私は提案した。

「そうだ!あんたは元漁師だ、魚一匹と交換しよう」

小さい声で「俺のとこ、もう魚は入らんのだよ」

元気なかった。

突然 「あんたは50歳にしか見えねー、てぃしたもんだ」

だめだよ、おせいじ言っても売り物を、ただにするわけにはいかねー」

 

今日も高架下で話し相手もなく日向ぼっこするのだそうだ。

歩きながら、ふと思った。

爺さん「物と金はどんどん使わなければだめだぞ」言ったが

物は使いたいが、金は使いたくないのだ。

その執念こそ長生きできるのだ。

先週の土曜日 漁港近くの家で通夜の提灯が灯った。

名前をみると知っていた。

15年以上前 漁港近くでスナックを経営していたマスターだ・

紹介されて何度か飲んだことがある。

太っていて温厚で歌が上手で料理も旨かった。

その後、スナックを閉じて、元々網元であった自宅で

予約を一件だけ受ける料亭のような店を始めた。

地元で獲れた新鮮魚介類の会席料理で隠れた人気があったらしい。

私よりずっと若かったはずだ。

この葬儀が営まれる漁港の対面のマンションに2010年6月25日に

食道癌で亡くなった友人が住んでいた。

 

およそこの世のもので、いつまでも破れず、変わらずにいるものは何もない。