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■ボヘミアン

2005年10月17日 | 私のこだわり・音楽編
ドヴォルザーク (1841~1904) 交響曲9番「新世界より」 といえば、 2楽章のコール・アングレ (オーボエの仲間) が奏でる 
 ♪ 遠き山に 陽はおちて・・・
と歌にもあるくらいポピュラーな曲ですが、 あまりにもよく耳にする有名な曲であるがゆえに、 あまのじゃくな私はこれまでこの交響曲に関して聴き比べをしたことがありませんでした。

その 「新世界より」 を所属するアマオケで演奏することになり、 食わず嫌いをなくそうとスコアを見ながらいろいろな音源を聴いてみることにしました。 古~い音源は別にして 最近のもので私が好きなのは、2002年のベルリンフィル ヨーロッパコンサートでの アバドの新世界 です。 大病をして痩せはしたものの顔の色艶がよく、信頼しきったオケに自由に唄わせているかのようなアバドの棒に応えて楽員が上品でかつ躍動感溢れる演奏をしていて お手本にしたい極上品だといえます。

この交響曲のタイトルにある ”新世界” とはもちろんアメリカのことで、 ドヴォルザークが 50代のときに数年間滞在していたアメリカでの体験をもとに彼の地で作曲されたものです。 よくこのドヴォ9は、アメリカの黒人や先住インディアンの民謡にインスパイヤーされた節回しが随所にみられる・・・ といわれています。 私は米国のこういった人達のスピリットがわからないので独断的な見かたかもしれませんが、 (かといってボヘミアを知り尽くしているわけでもありませんが…) 全楽章を通してドヴォルザークが故郷ボヘミアを思いながら作曲したノスタルジックな作品としか捉えられないのです。

そんなことを考えながら、 こてこてのボヘミアン(正統派ということ) チェコ・フィル演奏 クーベリックの新世界 を聴いてみました。 チェコ生れのラファエル・クーベリックは第二次大戦後 体制を嫌って西側に亡命し、80歳を過ぎて母国の民主化後の1991年に、プラハの舞台に立ちこのドヴォ9を振った歴史的名演です。 時代の変遷期でオケのほうは若干足並み揃わずといったところが見られますが、 クーベリックは 「これぞ私が求めていたドヴォルザークの音!」 と収録されているリハーサル場面で述べています。 具体的に語っているのは、 3楽章スケルツォの中間部、木管が奏でるフォークロアっぽい舞曲のはずみ方 ― 《ボヘミアの民の心》なのでしょう。

さらに4楽章についてクーべりクはこう語っています。
『ここ(4楽章冒頭のメロディ)は、 賛歌だと思っている、 行進曲ではないのだ。 無数の民のための、人々の喜びの歌である。 
これまで(1~3楽章まで)なにがあったか…、 ダンス、追憶、メランコリー・・・。 いろんなことがあったがこのフィナーレはこれらの精髄なのだ。』

まるでクーベリック自身にドヴォルザークが乗り移ったかのようです。 長年にわたり祖国を離れていたこの指揮者の心が伺えてちょっと感傷的な気分にさせられます。

私たちの某アマオケで棒を振るマエストロは、 どちらかというと今回はクーベリックのスタイルに近いかな…と感じています。 
ボヘミアンの気分になって  さぁ、 練習し~ようっと。

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