まーどんなぶろぐ

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■カササギ

2008年03月08日 | 私のこだわり・音楽編

今日はカササギのはなし。

藤原歌劇団がロッシーニの 『どろぼうかささぎ』 日本初演をおこなうというので、昨日の初日公演を観に行ってきました。

ドラムロールの出だしが印象的な序曲だけだったら何度も聴いたことがありますが、 正直言ってどんな内容のオペラなのかさえ知りませんでした。 

タイトルからしてカササギが何かを盗んじゃうんでしょ…、 
そのとおり。

何か冗談みたい、 ロッシーニお得意の喜劇かしら…、
いえいえ、 オペラ・ブッファではなく、 セミ・セリア(半ばシリアス)。

セミ・セリアについての解説が公演プログラムに詳しく書かれていましたが、要約すると、
時代背景は封建時代、貴族や代官などによって一般市民である農民やその娘などが迫害を受けるとか、権力者が娘を誘惑するもうまくいかず、口実をつけて投獄してしまう。

悪者役はバッソ・ブッフォの歌手が受持ちコミカルな面も出す。

冤罪がはれ、フィナーレは必ずハッピー・エンド。
『どろぼうかささぎ』 はまさにこの典型。 本当はカササギの仕業なのに、可哀想にも盗みの濡れ衣を着せられたヒロインは、死刑宣告され銃殺寸前…。

こんな一大事をドタバタ芝居に陥らず、 かといって暗く陰気な芝居にもさせないのがロッシーニのすごいところ。

多分意識的にだと思うのですが、 アリアよりも二重唱、三重唱・・・六重唱とアンサンブルの妙に重きを置いた作りになっていて、 音楽に深みを感じさせてくれます。

楽曲の多用、借用で知られるロッシーニのこと、 他のオペラで聴き覚えがあるようなパッセージがいくつも出てくるのですが、 アンサンブルの中にうまく溶け込ませているところなど、 まさに天才技です。

それぞれの歌い手さんについては特に書きませんが、よく新国立劇場のオペラで渋い役を聴かせてくれる妻屋さん(Bs)の悪代官、これまでとは違ったキャラを見たようようで個人的に新発見。


 写真は 
  カササギが音符や休符を盗むわ…、
  五線は切るわ…、 
  序曲の譜面を引っ掻き回しているアート作品



■ブルックナー と ワーグナー

2007年10月18日 | 私のこだわり・音楽編
先週から今週にかけてじっくり(!?)味わった二つの演奏会、ともにドイツからの来日公演です。

まずは ヴッパータール交響楽団の 『ブルックナー交響曲第7番』 (前プロは R・シュトラウス 「ドン・ファン」) 。  このオケの音楽監督を務める日本人指揮者の上岡敏之さんという方の凱旋公演的意味合いもあるようです。

因みにヴッパータールという街はデュッセルドルフから東に小1時間行った丘陵地帯 (タールは谷という意味) にあるこじんまりとした所ですが、 古くから懸垂式モノレールが街の中を走っているちょっと奇妙な街、という記憶があります。

来日に合わせて先月録音したばかりのブルックナー7番のCDが発売されていたそうですが、予備知識無しに演奏会に行ってビックリ。 プログラムに演奏時間 〈約90分〉 と書いてあるではりませんか。

”ブル7” は気分の高揚感が実感でき、私の好きな曲ですが、 さすがに90分かかる演奏というのは聴いたことがありません。 まっ、ここは音楽評論の場ではありませんから、 演奏がどうのこうの…、は止めておきます。 (上手くなかったと言っているのではありません)

いつもは (聴き慣れたパターンでは) 冒頭の明るい感じのホ長調の上昇音形に乗って天にも昇る心地にさせてくれるのですが、 今回はスローすぎて上昇気流に乗れずじまい、 そのあとは90分間 未知との遭遇というか、黄泉の国に行ったような体験でした。 でも、あながち悪い気分ではありませんでした。 

その仮想黄泉の国の中でチラッとワーグナーの影が見え隠れしたような…、 気のせいでしょうか… 。 でも、アンコールはワーグナー (ローエングリン第一幕前奏曲 )でした。 確かにこの指揮者はワーグナーを意識しながら ブル7を振っていたに違いない。。。



そして昨日は、 バレンボエム率いる ベルリン・シュターツ・オパー来日公演の中のワーグナー 『トリスタン と イゾルデ』 、 各40分の休憩2回をははさみ、 所要時間5時間半近くという長丁場の鑑賞。

ベルリンのトリスタンは新しい演出もあるようですが、 今回はどなたのご意見か知りませんが、あえて古いほうのハリー・クプファーの (天使の残骸のような物体が真ん中にでーんと置いてある) を持ってきました。 こういうのって結構日本人好みかも…。

日本の聴衆は耳が肥えていらっしゃる方が多いからなのか、 幕間もあちこちで 今日は○○○の声が通っていないね…とか、 ○○○は××のところで間違えたね…とか、 評論談義が行われていました。

歌手だってオケだって日によってコンディションの良し悪しがあって当たりまえ。 不調の時でもある一定以上のパフォーマンスを見せてくれればそれでいいわ…、 という見方をすれば昨日のトリスタンは上出来だったと思います。 少なくとも国内の歌劇場では味わえない感動を得ることができました。 

それにしても会場だったNHKホールの盛況振り、 平素、ヨーロッパと比べて時間の流れが速いというか、皆があくせくしている感じのする日本にこんな多くのワグネリアンがいるとは。。。

参考までに主だった出演者
 トリスタン   クリスティアン・フランツ
 マルケ王    ルネ・パーペ
 イゾルデ    ワルトラウト・マイヤー
 ブランゲーネ  ミシェル・デ・ヤング
 クルヴェナル  ロマン・トレケル
 メロート    ライナー・ゴールドベルク

 指揮      ダニエル・バレンボエム
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■ヴィオレッタ と マリー ・ テレーズ

2007年09月09日 | 私のこだわり・音楽編
今週 (先週と言ったほうがいいのかな?) は、オーチャード・ホールへ2度足を運び、 チューリッヒ歌劇場の来日公演、 『椿姫』 と 『ばらの騎士』 を鑑賞。 ヨーロッパの数ある歌劇場に中でも比較的こじんまりとした規模なのでしょうが、内容はとても充実していて良質の舞台を楽しめました。 大好きなレオ・ヌッチの温かみのある歌、 来日のたびにスケールが大きくなるヴィッセリーナ・カサロヴァなどなど期待を裏切らない歌手にも大満足。

わたしの独断的な考えですが、 『椿姫』はヒロイン ヴィオレッタが無償の愛に耐える、 そして 『ばらの騎士』では元帥夫人マリー ・ テレーズが老いに耐える(三十路半ばなんですけどね) 、 双方とも ”耐える女性”がテーマのように思えるのです。

『椿姫』では、役どころをキッチリ捉えたエヴァ・メイがドラスティックになり過ぎない、程好く心情を吐露するヴィオレッタで好演でした。 

一方の元帥夫人は ニーナ・シュテンメは存在感のある歌唱で舞台を引き締めているのですが、自分の苦悩を何度となく表に出してしまう演出が、私はちょっと引っかかりました。 従兄弟にあたるオックス男爵の胸を叩きつけるようなしぐさ、 そして、幕切れで舞台から引っ込む際、失神したように倒れこみオクタヴィアンとゾフィーに抱え揚げられるところ… などなど。

人によって見方はいろいろでしょうが、 私の理想とする元帥夫人は、何があっても人前では取り乱さない、毅然としたものを持ち合わせてほしいのです。 一端の女性なら 若いつばめとの火遊びごときで動揺するものではない…と。。。

最後にひとつだけ、 公演最終日の8日に観た『ばらの騎士』でイタリア人歌手役だったピョートル・ベチャーラ (彼は椿姫のアルフレードとの掛け持ち出演)は、全身から滲み出るような感情込めたテノール・アリアを聴かせてくれました。 まるで天国のパバロッティに聴いてくれ!と言わんばかりに。

■バラ戦争 ですって・・・

2007年06月21日 | 私のこだわり・音楽編
国内のオペラ好きの間で、そうささやかれています。 今年は何故か R.シュトラウスの 『ばらの騎士』 の当たり年のようで、 今月の新国立劇場、 9月のチューリッヒ歌劇場、 そして11月のゼンパー(ドレスデン)と、 東京では三つもの歌劇場の公演が行われます。 (お財布の中身と相談し、チケットが最も高額のゼンパーは参戦を見送ることになりそう…)

昨日は初戦、 新国立劇場での ”ばら騎士” を観戦、 いや観劇。 

2006/2007シーズンの再演ものを除く最後のプロダクション、 しかも千秋楽の舞台とあって、 平日マチネにもかかわらず混みあっていました。

『ばらの騎士』 というタイトルから想像されるように、 どこか乙女ごころをくすぐるようなおとぎ話的な要素満載のオペラで、 素直に楽しめるところが気に入っているのですが、 今回のプロダクションは 評判どおり、 とても見応えのある公演でした。

なんといっても ”ばら騎士”は、 3人の女性歌手(1人は男役) の力量にかかっています。 とかく小粒になりがちな ゾフィー役のソプラノ歌手が声質、技巧ともにすばらしく、 3幕目の3重唱が大変聴き応えのあるものとなり、 思わず涙腺が緩んでしまいました (隣席の中年女性も、ハンカチを目元にあてていましたっけ…) 。

主役クラスの外人歌手だけでなく、邦人歌手陣もこのところ新国立の舞台では安定した歌唱を披露してくれるようになった感じがします。 これはウィーンから招いた芸術監督のトーマス・ノヴォラツスキー氏の功績によるところが大ではないか思うのですが、 残念なことにノヴォラツスキー氏は今期で任期満了。 昨日は指揮者のペーター・シュナイダーに呼び出されてカーテンコールに登場し、ひときわ大きな喝采をあびていました。

■進化するフローレス

2007年03月29日 | 私のこだわり・音楽編
1月にこのエントリーで書いたMETライブビューイング (オペラ公演を映画館で観る企画)シリーズ、 今回はロッシーニの 『セヴィリャの理髪師』 を鑑賞してきました。

歌手陣は、
ジョイス・ディドナート  (ロジーナ)
ファン・ディエゴ・フローレス  (アルマヴィーヴァ伯爵)
ペーター・マッテイ  (フィガロ)
ジョン・デル・カルロ  (バルバロ)
ジョン・レイリー  (ドン・バジリオ)
といった顔ぶれ。 中でも人気実力共にうなぎのぼりのフローレスに注目が集まっているように感じられました (私のひいき目ではないと思いますよ…)。

それで、そのフローレスの歌いっぷりはどうだったか…。
この人のアルマヴィーヴァは、出世作の '96 のペーザロ、 '02 のボーローニャ日本公演、 '05 のマドリード… と回を重ねるごとにアジリタの音符が増えて難しくアレンジし直していると思われるのです。 これからもまだまだ進化しそうなフローレス、ファンがさらに増えることでしょう。

今回の舞台ではオーケストラボックスの客席との間に設けられた銀橋 (宝塚の舞台のようなセット)を使い、 まるでミュージカルのようなオーバーアクションもある演出で、 カジュアル感覚で楽しめる公演でした。 もっともセヴィリャ… 自体、オペラ・ブッファですから、肩肘張って鑑賞するものではありませんね。  

今回の会場のライブビューイングは音響がもう少し良ければ文句なしなんですけど…、 それだけが残念でした。

■オペラを大スクリーンで

2007年01月12日 | 私のこだわり・音楽編
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場 (MET)の舞台を、日本の劇場の大スクリーンで観る、 という試みを松竹がやり始めちょっと話題になっています。

1作目として年末に歌舞伎座で 『魔笛』 が上映(!) されたそうです。 舞台間口がやたら広い歌舞伎座で、もしも端っこの方だったらスクリーンが観難いだろうに…、 それにMETの魔笛はあまり興味ないし… ということでこれはスルーしました。

でも年明けにあちらで始まったベッリーニの 『清教徒』 がなかなかの評判だと伝え聞き、 京橋の映画館で上映するライブビューイングを鑑賞してきました。 (2作目以降は歌舞伎座ではありません)

”I Puritani ”
指揮:P.サマーズ
演出:S.セキ
出演:A.ネトレプコ(エルヴィラ)、 E.カトラー(アルトゥーロ)、
    F.バッサルロ(リッカルド)、J.レイリー(ジョルジオ)

そう、ネトレプコがエルヴィラを歌うので観てみようと思ったわけです。 元気いっぱいでそつのない美声ですばらしいのですが、 テンションが高すぎという感じもしました (でもそうしないと、歌いきれないのかもしれませんが)。  全体的に出演者もオケも、やっぱりMETは水準が高いな~と感心しました。

松竹が上映している映像は、METが国内外のメディア向けに配信しているもので、開幕前、幕間にアナウンスや解説が付きます。  これがけっこう面白かったです。

というのは解説者が、往年の大スター・ソプラノ ビヴァリー・シルズ、 バックステージ・レポーターが何と当代の大スター・ソプラノ ルネ・フレミングだったんです。 フレミングがマイクを持って舞台裏で道具転換の様子を伝えたり、ネトレプコの楽屋へ突撃インタビューに行ったり…と盛りだくさんでした。

私はMETでの公演を現地で生で、あるいは映像でも観たことがありませんが、 ここの観客は、 総じて 名アリアの後の拍手がフライング気味なのではと思いました。 日本では最近、 歌が終わってもオケの後奏が終り指揮棒が止まってから拍手なりブラーボ、ブラーバ、の歓声をあげるエチケットが浸透してきています。 でもMETのお客さんは、歌が終わるとまだ音楽が鳴っていても平気で騒ぎ立てるんですね、 ちょっとビックリ。

METのライブビューイングは、この後 新作『始皇帝』、『エウゲニ・オネーゲン』、 『セビリャの理髪師』 などなど続くそうです。

詳細はこちら ⇒ http://www.shochiku.co.jp/met/index.html
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■魔法の棒

2006年10月20日 | 私のこだわり・音楽編
先週からサントリーの大ホール、小ホールで続いていた <ルツェルン・フェスティバル・イン・東京2006> 音楽祭のトリを飾る アバド指揮のオーケストラ・コンサートを聴きに行ってきました。

プログラムは巨匠マウリツィオ・ポリーニを迎えての ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調、 後半は ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」。

舞台中央に置かれた ”Fabbrini ” のロゴ入りシュタインウェイ、 ポリーニの個人楽器なのでしょう、 開演前に興味津々で近寄っている観客が大勢いました。 先週のマーラーの時よりチケット代が高かったのは、ポリーニの破格ギャラに加えて楽器の輸送コストも… なんてしみったれたことを考えるようではいけませんね。。。

私は子供の時分、ピアノの先生と折り合いが悪かったのがトラウマ (?)となって、いまだにピアノの演奏会に自分から進んで足を運ぶことは苦手としているので、 ポリーニの演奏についてあれこれ言えるほどピアノ曲に詳しくはありません。 強いて言うなら、生粋ミラネーゼの格調高いコンチェルトだったということくらいでしょうか。
 
私にとってのお目当ては、 やはりメイン曲のブルックナーです。 休憩後、ピアノという障害物がなくなりアバドの姿がよく見える~、 ミーハー気分で待っていたら、 出てきたアバドは手に何も持たずに指揮台で一礼し、燕尾服の袖口から手品のようにスルスルっと指揮棒を取り出しました、 いつもそうするものなのでしょうか… 今までは気づきませんでした。

前回同様、 弦楽器は定員オーバー(定員なんてありませんが) じゃないの…と思うほどの人数、 9-9-8-7-5プルト(多分) で、 私の席は舞台上手のビオラが正面に見える位置でしたので、 2楽章の哀愁に満ちたビオラの音が心に響きました。 これだけ大勢で弾いているのに音は完全にひとつにまとまっている…、プロ中のプロのなせる業です。

3楽章 スケルツォは ”せっかちアバド ”、 狩の音楽というよりは、ディープインパクト級の馬の大群が駆けてくるような迫力でした。

アバドの指揮振りを見ていつも思うのですが、 棒先の動きがとても複雑で予測不能とも見える動きをします。 新体操の選手が使うリボンというのでしょうか、 棒の先に長いリボンがついていて、螺旋状にクルクル回したりする演技…のような感で、これぞアバドの魔法の棒だと感心してみています。 昨日のブルックナーでも情緒豊かなパッセージになると指揮棒の先が踊り始め、 まさに”ロマンティック! ” 。  マエストロ・アバドには これからもまだまだいい演奏を聴かせて欲しいものです。


■ぎゅうぎゅう詰め

2006年10月14日 | 私のこだわり・音楽編
こんなに混み合ったステージを見たのは初めてでしょうか…。
サントリーホールでのマーラー交響曲第6番、ルツェルン祝祭管弦楽団の演奏、指揮はもちろん クラウディオ・アバド。 昨日ルツェルン・フェスティバル・イン・東京2006 のオーケストラ・コンサートⅠ を聴いてきました。

1stヴァイオリンが9プルト(それ以上だったかも?) 2ndヴァイオリンも9プルト、 ヴィオラ 8プル、 チェロ 7プル、 コンバス 5プル。  この編成からいかに迫力あるライブだったかご想像いただけることでしょう。 演奏会から数時間たった今でも、 頭の中でマラ6のメロディーが響いています。

マエストロ アバドは体調不良で今年6月のザルツブルクでの演奏会をキャンセルしていたので、 今回の来日公演も実際にマエストロの姿を見るまでは心配でなりませんでしたが、 まあ、なんと元気そうだこと!  (何を隠そう私は何十年来のアバドファンです。)

マーラーの6番は、2、3楽章の演奏順番をどうするかがよく問題となっていましたが、 アバドは今回アンダンテを先に、 3楽章にスケルツォを演奏していました。 そして4楽章のハンマーは… 2回だけ。 それでもP席でハンマーのすぐ後ろに座っているお客さんが、奏者がハンマーを持ち上げる度に耳をふさいでいました。。。

来週は オーケストラ・コンサートⅡ 、 ポリーニが弾くブラームスのピアノ・コンチェルト2番と ブルックナーの4番があります。

■今月はオペラ2作品

2006年09月22日 | 私のこだわり・音楽編
『フィガロの結婚』
9月の前半は独・仏を旅していていましたが、 日程の関係で音楽会はハンブルク州立歌劇場のモーツァルト・シリーズの中から 『フィガロの結婚』 だけ観てきました。 

鑑賞記を書くつもりはありませんが、 ひと言だけ。
初めて見た シモーネ・ヤング のオペラ指揮、 指揮棒を使わず手指で細かい指示を出し、ピットのオケと舞台の歌い手を完全に掌握。 チェンバロまで自分で弾いちゃって…、 いや~ ヤング女史のオーラ、お見それしました! 

『ドン・カルロ』
新国立劇場の今シーズン開幕一番手のプログラム、 ヴェルディ 『ドン・カルロ』 の最終日公演を昨日観てきました。 ちょうど朝日新聞の夕刊 文化欄に批評が掲載されていましたが、 その書き出し部分が実に的確、言いえて妙だったので引用させてもらいます。
ドイツ人がスペイン人を描いた原作に、フランスでの上演用にイタリア人が音楽をつけたオペラを、イタリア人抜きの歌い手たちが、スイス人の演出で、現代ドイツ語圏風のスマートな舞台にして東京で上演― 。 新国立劇場の「ドン・カルロ」 (イタリア語4幕版) は、この作品が今や、どこの国の専有物でもないことを宣言する絶好の例となった。
この新聞批評だけでなく他のあちこちの批評でも触れていましたが、 もっともロマンティックな第1幕をカットした4幕版上演だったこととも相まって、 私が期待していたヴェルディとはちょっと違っていました、まぁ これもアリかな… 。 音楽にメリハリが感じられなかったのは 指揮者のオーラの無さゆえかしら、 もしかして指揮者がスペイン人だったのでマチネ公演はシエスタ・モードだったということでしょうか。。。

■ルードヴィッヒ気分

2006年06月19日 | 私のこだわり・音楽編
世の中 W杯サッカーで盛り上がる6月、私にとってはオペラ月間となっています。 昨日は メトロポリタン・オペラ 日本公演 、 ワーグナー 『ワルキューレ』 を観劇。 会場には満員の聴衆がいるものの、ルードヴィッヒ2世になった気分で、 ジークムントもブリュンヒルデも私に歌いかけている… とばかりに舞台を見つめていました。

もう見納めになるかもしれない ドミンゴ (ジークムント)、 そして今この人を措いてワルキューレになりきれる歌手はいないと思う ポラスキ (ブリュンヒルデ)・・・、  とにかく役者がそろっています。

今回はレバインが怪我で来日できなくなり気がかりでしたが、 代わりに棒を振った エッシェンバッハは私の期待以上の音を作り上げてくれました。 METクラスになると、 オケが勝手に動いてくれるんですね。。。

まあ、30分休憩 2回はさみ 5時間以上の長丁場、 途中 お疲れが出て(?) 膝に乗せているプログラムをバサッと落とす音がけっこう聞こえました。 居眠りしそうな方は、 膝の上に何も置かずに観て頂きたいものです。。。
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■お見それしました

2006年06月16日 | 私のこだわり・音楽編
『連隊の娘』 『イル・トロヴァトーレ』 と続いた ボローニャ歌劇場 日本公演、 シメは ジョルダーノの 『アンドレア・シェニエ』です。

半年前の新国立劇場の公演であまりパッとしない舞台を観て、帝国劇場のミュージカル 『レ・ミゼラブル』 とどこが違うの? などと酷評を書きましたが、  ヤァ~ 昨日ボローニャの舞台を観て思い直しました。  クーラとグレギーナが歌うなら… と奮発してチケットを取った甲斐があったというものです。

日本では馴染み薄の ウンベルト・ジョルダーノ(1867ー1948) は、 プッチーニとほぼ同時期のイタリアの作曲家です。  イタリア以外の作曲家でいうと…、 リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)と同世代。 

新国立の時には気づかなかったのですが、 『アンドレア・シェニエ』の楽曲は オーケストラ・パートが歌の伴奏といったものではなく、 それ自体 細部にまでこだわった甘美な音楽に仕上がっています。  シュトラウスの音楽から肩肘張った強靭さを取り除き、チャイコフスキー音楽の緻密さ、美しさを加えたような感じがします (意味通じるかしら…?)。

オーケストラだけを聴いていると 「これってイタリア音楽かしら ?」 と一瞬考えてしまいましたが、 歌を聴くと正真正銘 イタリア物、 カンツォーネの世界です。  ホセ・クーラ (テノール)、 マリア・グレギーナ (ソプラノ) という超一流どころが舞台をぐいぐい引っぱっていたので、 オケもとてもよく鳴っていました、 相乗効果とでもいうのでしょうか。

まあ とにかく聴き惚れるるばかりで、 ボローニャの公演の ”とり” を飾るにふさわしい舞台でした。

■アンヴィル・コーラス

2006年06月12日 | 私のこだわり・音楽編
といえば、ヴェルディの 『イル・トロヴァトーレ』。 
第二幕でジプシーたちが歌う鍛冶屋の仕事歌、 金床をトンテンカンと叩く音が強烈ですね。 anvil なんていう英語で言わないで、 鍛冶屋コーラス、 金床叩きコーラスのほうが分かりやすいでしょうに…。

よくTVのサッカー番組で「アイーダ」の“凱旋 行進曲” が流されますが、 あれは名前の通り、勝って帰っていた時の行進曲。  今日W杯初戦を迎える日本代表の選手諸君には、 この ”アンヴィル・コーラス” を聴かせてあげたいものです、 仕事しろ! って。

前置きが長くなりましたが、 昨日はボローニャ歌劇場日本公演 、 第二弾の ヴェルディの 『イル・トロヴァトーレ』 を観劇。  第一弾の連隊の娘はテノールでもった舞台 と書きましたが、  昨日の 『イル・トロヴァトーレ』 は、メゾソプラノとソプラノの女性歌手が引っぱっていた舞台のように感じました。

レオノーラ役のダニエラ・デッシーと アズチェーナ役のマリアンネ・コルネッティが、 マンリーコ役のロベルト・アラーニャと ルーナ伯爵役の アルベルト・ガザーレを完全に圧倒していました (見た目の体格で…ではありませんよ、 声でです)。

デッシーは1週間前は体調が万全ではないとアナウンスされていたそうで、この日もまだ本調子ではなかったのかもしれませんが、そこはリリコ・スピントのソプラノ歌手としての技術、経験がものをいうのでしょう。 その時々のコンディションにあわせて可能な限り良い舞台を演じることができるオペラ歌手だと思いました。

コルネッティは見た目とは違ってとても繊細な声質のメゾソプラノで、 声を張上げるだけでなく弱音での表現が上手だなと感じました。

アラーニャの舞台は何度も観ていますが、この人はいつも可も無く不可も無くそつなくこなす歌い手さんだな…、 ただそれだけです。 

ガザーレは… いっぱいいっぱい、 まあこんなもんでしょう。

『イル・トロヴァトーレ』は聴いていて心地よい しかし難易度の高い カヴァティーナ(カヴァレッタ) 、カヴァレッタ(テンポが速くなる部分) が数多くあり、 全員が満点というのを期待すること自体無理があるわけで、 それを考えれば昨日の舞台はそれなりに楽しめたので満足しています。

■ハイ C

2006年06月07日 | 私のこだわり・音楽編
ビタミンC の栄養剤の話ではありません。  テノール歌手が出す高音域のツェー音(ドの音) のことです。 この高い音が出てくる歌をきれいに歌えるテノール歌手は喝采をあびるものです。

昨日は来日公演中の ボローニャ歌劇場、 ドニゼッティ 『連隊の娘』 を観てきました。  今回の公演三作品 (連帯の娘、 イル・トロヴァトーレ、 アンドレア・シェニエ) では、フローレス、 アラーニャ、 クーラ という3人の人気テノール歌手が出演するということが最大のウリ、 『連隊の娘』 ではまず ファン・ディエゴ・フローレス が登場しました。

この歌劇、私は映像では何度か観たことがありますがライブは初めて、 ドニゼッティというと 「愛の妙薬」 「ランメルモールのルチア」などがよく知られていて、 『連隊の娘』 は どうやら国内で本格的に上演されるのは初めてのことだそうです。 

さっすが~、 1幕目でトニオ役のフローレスが歌うハイCが立て続けに出てくるカヴァレッタでは拍手が鳴り止みませんでした。 多くの観客はここで拍手をたくさんすれば、 フローレスがアンコールに応えて もう一度カヴァレッタを歌ってくれるということをきちんと予習してきていたんですね。。。

まあ、でも高音域が上手にこなせるというのは、単にこの人の声のレンジが高いからで、 逆に低音域が多く出てくる歌は、レパートリーにはあまり入れていません。  それよりも、2幕目で切々と歌うアリアの方が感動的でした。 リピートで声量を抑えてピアノ(小さく)で歌うさまは、 まさに ブラーボ!! 

これだけすばらしいテノールを聴いてしまうと、 連隊の娘 マリー役 を歌うステファニア・ボンファデッリが美人なだけの普通のソプラノ歌手で終わってしまった気がしました。

『連隊の娘』はイタリア人作曲家の作品でありながら、当時流行したフランスのオペラ・コミック形式、つまり仏語で作られています。 それまでのイタリア・オペラのレチタティーヴォのように、伴奏にあわせてセリフを歌うのではなく、完全に仏語のセリフとしてコミカルさを出すわけです。簡単に言えばオペレッタのようなものでしょうか。 ですから観る側も肩肘はらさずに楽しむことができ、 昨日の公演でも、所々笑いをとるような演出がなされていました。  

今回の日本公演は始めにも書きましたが、 『イル・トロヴァトーレ』、 『アンドレア・シェニエ』 と続きます。

■使いまわし

2006年04月23日 | 私のこだわり・音楽編
昨夜はNHKでロッシーニの 『ラ・ガッゼッタ』 というオペラ (昨夏のバルセロナ・リセウ劇場の公演) を放送していました。  ロッシーニ作品は数が多い割に、 ごく一部オペラ以外は上演頻度が少ないですよね。 (生地ペーザロのフェスティバルにでも行かないと見られないような 埋もれた作品の方が多いのではないかと思うほどです。)  ましてやテレビで放送されるというめったに無い機会を逃しては…、 と眠い目をこすりながら見ていました (勿論 録画もしましたが) 。

先週はこの時間帯 『チェネレントラ』(昨夏 グラインドボーン音楽祭歌劇場) を放送していました。 

この2作品には共通するところがあるんですよね… 。  ラ・ガッゼッタ (”新聞”という意味)をナポリで発表したのが1816年、 その翌年にローマのヴァッレ歌劇場の依頼で チェネレントラを作曲した際、 ロッシーニは ラ・ガッゼッタの序曲をそっくりそのまま転用したのです。 つまり、先週の番組で聴いた序曲と昨晩聴いた序曲とは同じものということになります。  

序曲だけではなく、ラ・ガッゼッタの劇中で使われたメロディのいくつかを、翌年チェネレントラでもうまく使いまわしています。  この頃のロッシーニは売れっ子作曲家で、 年に3本、4本のオペラを手掛けていたそうですから、 そうせざるを得なかったのかもしれません。  

今の世と違って、 当時は録音、録画媒体もありませんから、 ナポリでオペラを観、 翌年ローマでチェネレントラを観た客がいたとしても、取り立てて問題にはならなかったのでしょう。 ロッシーニさんも、200年近くたって 遠く離れた日本のリビングで、 1週間あけて 『チェネレントラ』 と 『ラ・ガッゼッタ』 と立て続けに観ている人がいるなんてゆめゆめ思ってもみなかったことでしょう。

■運命の力

2006年03月30日 | 私のこだわり・音楽編
新国立劇場、 ヴェルディ歌劇 『運命の力』 楽日のマチネを観劇。 
原作の主旨をそのままに、舞台を20世紀に移した 今回のエミリオ・サージ氏の演出は、 特に違和感無く観る者をスペインセビリャ地方にいざなってくれました。 

簡素でわかりやすい舞台セットも悪くはないのですが、 箱型の建造物セットは スカラ座の 『マクベス』 (’97のグレアム・ヴィック演出)の舞台が強烈な記憶として残っているので、 また箱型か…、真似っこか…、 安直な… と感じてしまいます。

実は今回のプロダクション、 劇場会員特典で ゲネラル・プローベ(総稽古)を見学したので観るのは二度目になります。  指揮は井上道義氏。 全体的にゆっくりしたテンポで親切丁寧、わかりやすい指揮をされていて好印象。 

第二幕フィナーレの ピアニッシモでかつ高音域のヴァイオリン due soli (2人でsoloパートを弾くこと)、 ゲネプロではズレが気にりましたが、今日は無難に。 只ここは無理して2人で弾かずにコンサート・マスター1人で十分ではないか…、 と思いました。

第三幕イントロ部分でクラリネットの50小節に及ぶ長いソロがあるのですが、 何ともいえなく枯れたいい音を出していました。 お見事!

ヴェルディ歌劇の中でもひと際 聴かせどころ満載な 「運力」ですが、主要3役、 A.シャファジンスカヤ (レオノーラ)、 R.D.スミス (ドン・アルヴァーロ)、 C.ロバートソン (ドン・カルロ) らがそれぞれの役どころをガッチリ固めて観客を魅了していたようです。 

欲を言えば、ドラマティック・ソプラノのレオノーラ役は、 ヒステリックに歌いまくるばがりではなく、 感情を押し殺してピアニッシモで切々と歌う力量を示してほしかったです・・・。 (それが適う歌い手は世界でも指折り数えるほどしかいないでしょうが)



例えば、第四幕の最後の場面でのレオノーラ、今回の歌手の性質なのか、 ピアニッシモのところでは音程が不鮮明になりがちなのが気になりました。

もうひとつ、 この暗~い物語の中で、異質な存在として光るはずのプレツィオジッラ (ジプシー女)役ののメッゾ・ソプラノは、主役に匹敵するだけの歌い手を持ってきて欲しかった気がします。(これもなかなかいないかな?)  第三幕の ”ラタプラン” の合唱では立ち位置を舞台の最前端にして (照明が当たらないくらい前なので、スポットライトをここだけ当てていました)、 合唱の声量に負けないように頑張っていましたが、 個人的にこの部分が好きなだけにちょっと残念。

最後にひとつ 感じたことを・・・
初演では原作通りに 過って人を殺めてしまったアルヴァーロ、 父親に呪われたレオノーラ、 仇討ちをするカルロ、 みんな死んでしまうのですが、 ヴェルディは初演後に 「死体が多すぎる」ということで改訂し、アルバーロは死なずに生きて運命に翻弄され続けます。  指揮者の井上氏が「 『運命の力』 は全編通して ”レクイエム” だといえる。」 と話したいたのがうなずけます。

日本でも昔からこの手の物語がいくつもあります。 《武士が過って朋輩を切ってしまい恋人と連れ立って心中の道行・・・》 歌舞伎でよくあるお定まりのパターンです。  日本の芝居では自ら命をたつのが潔いとされ、その過程をことさらに美化した演出が好まれてきました。 

鳥辺山心中などが代表的な例ですね。 武士としてのメンツを捨てず、しかも相対死(要は心中)を美しいものと考える… 、 西洋思想にはそういった様式美がないからか、 『運命の力』 はこれでもかというほど悲痛な嘆きの中で幕を閉じます。 そのあたりの西洋と日本との感覚の違いを改めて感じました。
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