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木喰上人の笑い



1800年、木喰上人83歳の作「聖徳太子像」。

去年、阿蘇坂梨を通り過ぎるとき見つけた「二神社」に寄ったとき、その境内の粗末なお堂に木喰上人作「子安観音像」が安置されていることを知りました。そして私が20代のときに買った「別冊太陽 木喰の微笑仏 信仰と漂泊のかたち」を見つけて、宮崎にも上人の作が残っていることを知りました。それらも阿蘇坂梨の仏同様、彼の70代の作でした。絶版になっているこの本から80代、90歳の作をスキャンさせていただきました。

坂梨の二神社で木喰仏があるという案内を見たとき、あの木喰とこんなところで出会えるのかと胸躍りました。けれど坂梨の木喰仏はまだこの聖徳太子像のような木喰仏らしい親しみやすいイキイキとした表情がでていませんでした。

坂梨の木喰仏を見たとき、上人76歳の作品と知って、老いて衰えたので、あの表情がだせなくなったのだろうと思ったんです。ところが違っていた。まだ木喰仏完成の境地に至っていなかったんです。

昨日も書きましたが、精進することによって80歳を超えて花開いていくことができる・・・それに感銘します。木喰は無学のひとで、元京都芸術大学学長の梅原猛先生が「あて字、誤字の天才」と表現されているほどです。けれど彼は、高度高齢化社会をむかえた地球の先進国の人々にとって偉大な教師となっていると思います。



木喰上人90歳の自刻像。ご自分のお姿。

いきなりに ころり丸まる そのよさは 
寒さ忘るる 茶わん酒かな


ええっ? 木喰上人は生涯“木喰戒”を守ったことになっていたはず、五穀を食らわず、木の根を食べるような厳しい修行をされてきたはず。お酒の原料はお米、お米を断っても、お酒をいただくのは破戒ではないかと思いますが、日本の神様にはお酒をお供えします。ご神事にはお酒は不可欠(私も集落の神社総代を務めました)。梅原先生は「木喰はお酒好きだったらしい」と書かれています。つまり高邁な厳格な修行者ではなく、くだけた庶民的なひとであったのでしょう。

ともかく何も持たない全国行脚の乞食僧の境遇で、90歳のこの笑顔はすごいと思います。ただ梅原先生はこう書かれています。

彼はよほど悪いことをしてきた人であるような気がする。悪いこととは、いいすぎかもしれぬ。人間の地獄を見てきた人というべきかもしれない。彼の笑いの奥に、このような地獄があることに注意する必要がある。

そうそうその梅原先生も今年3月で89歳になられる。もう私の手元にはありませんが、先生の若いときの著作に「地獄の思想」があります。それを読んだ川端康成が梅原先生に会いたいと言われたそうですが、そういう出会いがあったのかどうかは知りません・・・
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