仲良し家族のスポーツ日記

我が家は4人家族。皆がスポーツ大好きで、特にアメフトを愛し、アサヒ飲料クラブチャレンジャーズを応援しています。

人生いろいろ②

2013-09-13 06:45:29 | 思い出
今日は休みをもらって、山梨の入院中の叔母をお見舞いに行くポッキーですもちらん父親も一緒にいきます。明後日帰って来る予定です。

先日、就職初日のエピソードを紹介しましたが、今日は少し子供の頃のことと、大学受験のことを思い出したいと思います。

七代目で初めての男子として誕生した私は、祖父母と父母の5人家族のなかで育ちました。母も祖母も一人っ子で、ずっと養子を迎えてきた家です。

小学校の低学年で読んだ「野口英世物語」が今でもとても印象に残っており、その頃は将来は医者になって、人の役にたちたいと考えていたように思います。

地元の小中学校を卒業し、第一志望の高等学校に入学し多くのとても優秀な同級生に囲まれながら、自分なりには勉学に励みましたが、徐々に理数系が苦手になり、学力的にも医学部は諦め、3年生で文系クラスに進みました。

親に経済的な負担はできるだけかけたくないとの思いから、国公立大学への自宅通学を
目標とし、受験校を考えるなかで、京都の公立社会福祉学科を第一志望とすることにしました。

その他は、私立で学費が一番安い学校の法学部と、共通一次試験が始まる前年でしたので、二期校は国立の教育学部を受験することにしました。学部がバラバラというのも私らしいと思いますが、何よりも第一志望である社会福祉学科への進学を望んでいました。

そして、お陰様で私立には合格しましたが、公立は不合格という人生で初めて大きな挫折を味わいました。それで元気がなくなり、私立の法学部に進学することを決め、教育学部は受験しませんでした。

私立に前期の授業料も収めて準備をしていた3月末に、公立から「補欠合格となりましたので、入学されるのであれば至急に手続きをしてくだい。」との連絡がありました。
すでに支払ってもらった授業料のこともあり、どうしたものかと父親に相談したところ、「自分の一番進みたい学校に行けばいい」と言ってくれましたので、そうさせてもらうことにしました。

そして今があります。補欠合格がなかったら、まったく違う人生を歩んでいたかもしれません。こうした人生の重要ポイントでどちらに転ぶのかは、まさに神のみが知ることではありますが、これからも自分らしく、誠実に、前向きに、一生懸命歩んでいきたいと思います。

では、山梨に行ってきます。

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