ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

アレルギー性鼻炎の舌下免疫療法

2022-03-26 10:25:36 | 健康・医療
少し前にこのブログでもアレルギー性鼻炎を取り上げましたが、家のかみさんもアレルギー性鼻炎が続いています。

かみさんの鼻炎はハウスダストが原因と分かっていますが、これは1年中ありますので、毎晩薬を飲んでいるようです。

この治療法も進歩しており、舌下免疫療法も根治的治療法となってきています。現在では数年間治療を継続すると、終了後も効果が持続し、長期寛解・治癒を誘導できるといわれています。

従来の皮下注射法はアナフラキシーショックなど副作用の危険性があり、十分普及しませんでしたが2014年以後、舌下免疫療法が重要な治療のオプションのひとつになってきました。

薬物療法は対症療法であり、治療継続中は効果があってもやめればまたすぐ症状が発現してしまいます。手術療法は治療効果が長く続くことは薬物療法と異なりますが、アレルギー病態に何らかの影響を与えて効果を出しているわけではないので、対症療法の位置付けとなります。

鼻アレルギー診療ガイドライン2020年版では、アレルゲン免疫療法について次のように記述しています。「アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎の治療であり、一部の気管支喘息にも効果が認められている、治療には専門的な知識と技能が必要であり、3〜5年の治療が推奨されている。」

このアレルゲン免疫療法は、2014年スギ舌下免疫療法の実用化によって身近な治療法のひとつになってきました。アレルギーの自然経過を修飾することなど、対症療法では得られない有益な効果が期待できます。

皮下から舌下に転換されたことにより、安全性も向上しました。舌下免疫療法は舌下錠の登場によって年齢制限がなく、子供から成人まで治療可能になり、スギとダニのアレルギー性鼻炎に適用があります。

スギ舌下錠は、治療終了後にも効果が持続することが国内の治験で確かめられています。スギは花粉飛散の季節には治療開始ができませんが、ダニは1年を通じて治療を開始することができます。

実際の臨床では既往歴や合併症などの医学的な条件よりも、数年間にわたって毎日自己管理で舌下錠を投与できるかどうかが、この治療を受けられるかどうかの最初のハードルのようです。

舌下錠による副反応は開始後1か月以内がほとんどで、軽微な局所反応が大部分となっており、この点でも皮下免疫療法に比べて全身性の副反応は極めて少なくなっています。

また別の免疫療法として抗IgE抗体療法もあり、気管支ぜんそくや突発性慢性蕁麻疹に適用されていましたが、2019年に重症のスギ花粉症に対しても使用できるようになりました。

このようにアレルギー性鼻炎の治療は進歩していますが、舌下免疫療法のように数年間も毎日治療するというのはややハードルが高いのかもしれません。

強い酒をお湯や水で割って飲む文化は焼酎から

2022-03-25 10:25:45 | グルメ
私が勤務していた会社は飲料用アルコールの大手製造を行っていましたので、日本酒は作っていませんでしたが焼酎の製造販売を行っていました。

しかし残念ながらこの焼酎はあまりうまくなく、ほとんど飲んだことはありません。私が退職する少し前に当社はこの酒類事業から撤退し、ヒトも含めて大手酒造会社に売却してしまいました。

それでも当時の焼酎の銘柄名はそのまま残っており、スーパーなどでこの名前を見ると懐かしい感じがします。

さて現在の強い酒などをお湯や水で割って飲む文化は、この焼酎が起源となっているようです。かつて焼酎は「強い酒」と思われてきましたが、この常識が覆ったのは昭和50年代初頭からのお湯割りの飲みかたが広まってからのことです。

これを歴史的に見ると、明治時代の製法では芋焼酎はアルコール度が低い焼酎しか作れず、米焼酎や泡盛が35度ぐらいなのに20度ぐらいのものでした。

これはストレートで飲んでも米焼酎よりずっと低いのですが、芋焼酎を作っていた薩摩の人たちはこれくらいの濃度の焼酎を飲みなれていたのです。これが大正から昭和の時代になると、芋焼酎の醸造法が大きく変わり、高濃度の芋焼酎が作れるようになりました。

そこで低濃度の芋焼酎になれていた薩摩では、芋焼酎がお湯割りで飲まれるようになりました。この時水割りではなくお湯割りだったのは、水を加えることによるアルコール濃度の低下や温度の低下によって、芋焼酎に含まれる不飽和脂肪酸のエステルが溶けきれなくなって白濁し、べたつき感が感じられたためとされています。

現在は過剰量の白濁成分をろ過により除去して商品化しているため、水割りでも美味しく飲むことができるようになっています。これが広がり現在では芋焼酎に限らず、水割りやお湯割りで飲むことが一般的になり、この「割って飲む」文化が焼酎らしさの原点をなしていると考えられるようです。

焼酎の飲みかたでは「ロクヨン(焼酎6にお湯4)」という言葉が聞かれますが、25度焼酎のロクヨンのアルコール度数は15%です。焼酎は蒸留酒でありながら、清酒やワインと同じかそれより低いアルコール度で飲まれています。

この低濃度であることが繊細な和食の風味を損なわず、脂っこい料理にもよく合う食中酒としての万能性を備えているとしています。また焼酎の酔い覚めの良さも、蒸留酒であることと低アルコールで飲まれることに由来しています。

焼酎の良さとしては、糖質やプリン体が少ないなどいろいろ宣伝されており、健康にも役立つという報告もあるようです。私は風呂上りにウイスキーや焼酎、近頃は自家製梅酒の水割りを飲んでいますが、確かに文化といってよいほどに定着しています。

別に焼酎にこだわっていませんが、割って飲むという習慣は飲み過ぎという点でもよい効果を出しているのかもしれません。

尿トラブルの原因「過活動膀胱」のはなし

2022-03-24 10:26:10 | 健康・医療
歳をとってくると、尿にまつわるトラブルがいろいろ出てくるような気がします。

私の場合はやや頻尿の気があるようですが、今のところそれほど問題にはなっていません。ただそれほど頻度は高くないのですが、急激に尿意が高まることがあります。

通常は尿意を感じても30分ぐらいは別に苦も無く我慢できるのですが、とてもトイレに行きたくなる感じがどんどん強くなってしまうのです。かなり前ですが、30分ほど電車に乗ることがあり、その前に尿意などなかったのですが、15分後ぐらいに急激に襲ってきました。

あと10分ぐらいだからと我慢していましたが、身体が震えるぐらいの強い尿意になり本当につらい10分でした。それ以後電車に乗る前は必ずトイレによるようにしています。こういったことの原因が「過活動膀胱」といわれています。

日本排尿機能学会の調査によると、40歳以上の日本人で過活動膀胱の疑いのある人は1000万人を超えると推定されています。

過活動膀胱は膀胱に尿を十分貯められなくなる病気で、そのため急に強い尿意を感じたり(尿意切迫感)、トイレまで我慢できず尿が漏れてしまったり(切迫性尿失禁)、頻尿の症状が出たりするとされています。

膀胱は腎臓で作られた尿を一時的にためておくための器官です。腎臓で作られた尿は、尿管を通って膀胱へと送られ、膀胱内にある程度の尿が溜まると尿道を通って体外に排出されます。

通常は膀胱に尿が200〜300mLたまってくると、膀胱から脊髄の神経を通じて排尿の信号が送られ尿意が起こります。膀胱が健康な状態なら、尿は400mL程度まで貯めることができますが、過活動膀胱になるとそこまで尿が溜められず、200〜300mLで我慢できないくらいの最大尿意に達してしまいます。

過活動膀胱はその原因により大きく2つに分けられ、ひとつは神経の障害によって起こる「神経因性」と神経障害はなく起こる「非神経因性」です。

神経因性の場合は、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害、パーキンソン病などの脳障害、脊髄損傷や多発性硬化症などの脊髄障害の後遺症などが原因となるようです。非神経因性の場合は原因が明らかでないケースがほとんどで、要因は加齢が挙げられています。

男性の場合は「前立腺肥大」、女性の場合は「骨盤底筋群の衰え」が影響していることが多いようです。過活動膀胱で薬物療法を行う場合は、抗コリン薬やβ3アドレナリン受容体作動薬を処方されるのが一般的です。

抗コリン薬は排尿時の膀胱に関わるアセチルコリンの働きを抑制することで、膀胱の収縮を抑えて尿を貯められるようにします。

私の場合はこの尿意切迫感の頻度は低いし、日常生活に支障が出ることもありませんので、過活動膀胱になっていても薬など飲むつもりはありません。まあ加齢による若干の不調ということで無視しようと思っています。

現在でも残っているフリーターの推移と現状

2022-03-23 10:37:43 | 時事
フリーターという言葉を久しぶりに聞きましたが、もう消滅したものと思っていました。

この言葉は今から30年以上前のバルブの時期に生まれたもので、卒業後の若者の生き方を表すものでした。

この時期は割の良い労働はいくらでもあり、若者がパートやアルバイトで生計を立て、後は自由に生きるというライフスタイルで、時間を自由に取れる「フリー」でアルバイトをする人「アルバイター」から生まれた造語と理解していました。

当時は高給を稼ぎ自由な生活を営むとの観点から、自由な生き方として注目されていましたが、バブルの崩壊とともに消えたものと思っていました。

ところが総務省統計局の2021年度の労働力調査には若年層(15〜34歳)には「フリーター」の項目が残っていました。

その定義は男性は卒業者、女性は卒業で未婚のもので、パートアルバイトでとして雇用されている者、失業者で探している職種がパートかアルバイト、非労働人口で家事も通学もしていない人のうちで就職内定をしておらず希望する仕事の形式がパートかアルバイトのいずれかに該当する人となっていました。

つまりもともとの自由人という概念は全くなく、パート・アルバイトおよびその希望者になってしまっています。この定義のフリーターの推移を見ると、2003年の217万人をピークに若干の凸凹はありますが減少しており、2021年度は137万人で前年の1万人増となっていました。

この数がどの程度かというと同年代の18人に1人とかなりの比率を占めています。この背景はなかなか難しい点がありますが、例えば「派遣叩き」で非正規雇用者のうち、派遣社員の受け皿の減少が継続していたことなどが挙げられるようです。

企業側の対応の変化も影響しており、就労側も企業側も派遣社員の減少分の一部がパート・アルバイトにシフトしたことが挙げられます。特に昨年若干増えたのは、新型コロナの流行で景況感と雇用市場が悪化したためと考えられます。

また年齢では、2007年までは15〜24歳が多くを占めていましたが、この年から25〜34歳が増加し2021年では若年層が59万人に対し25歳以上が78万人を占めています。つまりフリーターの高齢化が指摘されていますが、今年の公開値でもそれが顕在化していることが確認できます。

この状況に変化が無ければ、今後さらに上の年齢層の「高齢フリーター」へシフトすることになりそうです(現在は35歳以上はフリーターに入っていません)。

フリーターの減少は悪い傾向ではないのですが、25〜34歳が引き続き高水準になり状況は、そのまま高齢フリーターの増加につながりそうで、十分な注意が必要となります。

当人たちがそのライフスタイルを望むのなら、他人の干渉を受けるものではありませんが、この様な若者の働き方がどこまで望んでいるのかというと大いに疑問が出てくる数値といえそうです。

細菌界のモンスター「緑膿菌」のはなし

2022-03-22 10:26:26 | 健康・医療
私は30年近く薬の研究をしていましたが、一番のターゲットにしていたのが抗生物質などの抗菌剤でした。

その目標である病原菌の中でも最も厄介だったのが「緑膿菌」です。正式名はシュードモナス・エルギノーサですが、緑色の膿の原因となる細菌です。

この仲間はほとんどの人の体内に住み着いていますが、普段は全く増殖することなく「日和見菌」と呼ばれています。つまり健康なときには全く繁殖しないのですが、例えば火傷をしたりウイルスで免疫が弱ったりしするとおもむろに増殖をはじめ、いろいろな悪さをするのです。

この緑膿菌用の抗菌剤を開発するのが難しいのは、主に2つの原因があります。これは抗菌剤のメカニズムに関わるのですが、抗菌剤は細菌がいれば中に入って殺してしまうというものではありません。

細菌が増殖するときに細胞分裂を起こしますが、その時に分裂を阻害し殺してしまうという薬物がほとんどです。ところが緑膿菌はこの分裂速度が遅く、なかなかそのタイミングで抗菌剤が入ることが難しいのです。

もうひとつが緑膿菌の外側の細胞壁で、通常の大腸菌に比べて密になっており、薬剤の透過性が悪くなかなか細胞内に入りにくいという性質があります。こういったことから緑膿菌感染症、多くは高齢者の尿路疾患などですが、抗菌剤の効きが悪くなかなか完治しない病気となってしまいます。

また緑膿菌の細胞壁を通過する薬剤はあるのですが、これは腸管吸収ができない、つまり飲み薬ではなく注射薬になってしまうという欠点もあります。

さて大部分の細菌は酸素を用いずに増殖できる嫌気性菌ですが、緑膿菌は酸素が無くても生きられますが基本的には好気性菌に含まれます。したがって腸内はほとんど酸素がありませんので、この中に緑膿菌が入ることはほとんどありません。

ですから通常の状態では緑膿菌に感染するということは少ないはずですが、体内の好気性環境部位にはひっそりと緑膿菌が存在しているようです。細菌性の喉頭炎などで抗生物質を使うと、原因菌は排除できますが緑膿菌が残ってしまうということになります。

すると一旦は良くなったのどの痛みがまたぶり返し、なかなか治らないという現象が起きるのです。つまり菌の交代が起き緑膿菌感染症となってしまうわけです。

これはなかなか治りませんが、緑膿菌はそれほど強い菌ではありませんので、免疫力が回復すれば(若ければ)自然に治ってくることが多いようです。私はこの緑膿菌に飲んで効く抗菌剤の研究をかなりやったのですが、残念ながらそういった薬剤を見つけることはできませんでした。

残念ながら現在でもそういった薬は出ておらず、緑膿菌は細菌界のモンスターとしてひっそりと出番を待っていることには変わりがないようです。