どんな病気も早く見つけて治すのがいいと分かっていても、家族に認知症の疑いがある場合事情はかなり違ってきます。
本人が病院へ行くのを嫌がるケースや、根本的な治療法がないなかで病気の告知をどうするかという難しい問題もあるようです。
私の母は70代後半で認知症となりましたが、正確には診断してもらいませんでしたので、アルツハイマー型か他の認知症かは分かりませんでした。もともと喘息の持病があり、骨粗しょう症やひどい肩こりなど病院には行っていましたが、認知症の治療は私が断りました。
20年以上前の話ですので、当然有効な治療薬などはなく、進行を止めるといっても効果は怪しいものでした。高齢者に多くの薬を飲ませること自体、副作用を出すだけのような気がして、認知症の治療は行いませんでした。
ただ母の場合はそれほどひどい症状が出るわけではなく、物忘れがひどいといった程度でしたので大きな問題はありませんでした。認知症はある程度波があり、良くなったり悪くなったりを繰り返したり、外から刺激があるとほぼ正常になるという事がありました。
私がいない時電話がかかると、たぶん正常に受け答えができるようですが、電話があったことを忘れてしまうため、若干トラブルが出たりしましたが、電話に出ないように言ってもすぐに忘れてしまうのでこれはあきらめていました。
認知症サイトを見ると、家族の悩みがいろいろ出ていますが、やはり多いのは「認知症を認めたがらない親に診断を受けてもらうにはどうすれはよいか」といった問いかけが多いようです。
医師はかかりつけの医者にまず相談するとか、認知症サポート医を探してみてもらうのが良いとか答えています。このように認知症の人を受診させて正確な診断を受ける必要がどこにあるのか疑問です。
現状のように簡単に言えば治療法がほとんど有りませんので、病院に連れていき診断してもらうというのは、単に家族の安心感や自己満足のためにやっているようなものです。
認知症かなという疑いが出たら、そっと見守っているだけと、病院に無理に連れて行って診断を受けることに差が出るとは思えません。むしろ何もしない方が、本人の苦痛も少ないような気がします。
ただし公的な介護サービスを受けるためには、認知症という診断が必要になります。本人への認知症の告知が難しいという問題もあるようですが、その必要性は無いような気がします。
自分が認知症とわかり、そのために何か注意したりするということができないのが認知症ですので、本人告知には何の意味がないと思います。
家族が認知症ではないかと気づいても、変わらない態度で接するというのが認知症の本質のような気がします。
本人が病院へ行くのを嫌がるケースや、根本的な治療法がないなかで病気の告知をどうするかという難しい問題もあるようです。
私の母は70代後半で認知症となりましたが、正確には診断してもらいませんでしたので、アルツハイマー型か他の認知症かは分かりませんでした。もともと喘息の持病があり、骨粗しょう症やひどい肩こりなど病院には行っていましたが、認知症の治療は私が断りました。
20年以上前の話ですので、当然有効な治療薬などはなく、進行を止めるといっても効果は怪しいものでした。高齢者に多くの薬を飲ませること自体、副作用を出すだけのような気がして、認知症の治療は行いませんでした。
ただ母の場合はそれほどひどい症状が出るわけではなく、物忘れがひどいといった程度でしたので大きな問題はありませんでした。認知症はある程度波があり、良くなったり悪くなったりを繰り返したり、外から刺激があるとほぼ正常になるという事がありました。
私がいない時電話がかかると、たぶん正常に受け答えができるようですが、電話があったことを忘れてしまうため、若干トラブルが出たりしましたが、電話に出ないように言ってもすぐに忘れてしまうのでこれはあきらめていました。
認知症サイトを見ると、家族の悩みがいろいろ出ていますが、やはり多いのは「認知症を認めたがらない親に診断を受けてもらうにはどうすれはよいか」といった問いかけが多いようです。
医師はかかりつけの医者にまず相談するとか、認知症サポート医を探してみてもらうのが良いとか答えています。このように認知症の人を受診させて正確な診断を受ける必要がどこにあるのか疑問です。
現状のように簡単に言えば治療法がほとんど有りませんので、病院に連れていき診断してもらうというのは、単に家族の安心感や自己満足のためにやっているようなものです。
認知症かなという疑いが出たら、そっと見守っているだけと、病院に無理に連れて行って診断を受けることに差が出るとは思えません。むしろ何もしない方が、本人の苦痛も少ないような気がします。
ただし公的な介護サービスを受けるためには、認知症という診断が必要になります。本人への認知症の告知が難しいという問題もあるようですが、その必要性は無いような気がします。
自分が認知症とわかり、そのために何か注意したりするということができないのが認知症ですので、本人告知には何の意味がないと思います。
家族が認知症ではないかと気づいても、変わらない態度で接するというのが認知症の本質のような気がします。