Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

教室風景

2008年09月16日 16時02分40秒 | Weblog
Black Tokyoさんが日本の中学校の授業風景について、述べている。
 まあ、おれもむかーし、塾なんかで中学生教えたことあったが、特に中学2年生というのは、よく言えば、自由奔放、悪く言えば、放縦といった感じで手がつけられんやんちゃが多かった。
 学級崩壊などの社会問題化されているから、実際ひどいのであろう。

 何度か、同じ題名で、投稿しているが、なぜか、記事とはほとんど関係なく、ミニスカの中学生やら、女子学生のおっぱい半だしのフィギュアなどの写真が掲載されている。こうしたのが趣味なのだろうか? まあ、おれもむかし、アメリカにいったとき、まっさきにぼかしなしのエロ雑誌に目がいったから、気持がわからないでもないが、アメリカ女性やアメリカ人を論じる文脈であえてぼかしなしの雑誌を関係なく掲載したら悪趣味だろう。

Even in the much talked about US innercity schools, the students can refuse to follow the teachers’ instructions, but the teacher then reserves the right to have that student leave the class so as not to hamperリンク

 アメリカと比較されて、アメリカなら、教師が生徒に出て行け、という権利がある、というが、これなんかみると、にわかに信じがたい。

 生徒の悪態ぶり、それに対する、教師の無能さを、一部、日本社会や日本人に反映していると、評価しているが、それは安易であろう。日本人でも外国にいくとやりやすい、安易な分析である。

 日本人の英語教師の聞き取り能力や発音が悪いのは、十年以上日本にいて、日本語ができない、発音がわるい、日本語で議論できない外国人と同じくらい、恥ずかしい。

 まあ、おれは、中学生などの英語の授業に外国人教師を使って英語教育することは無駄だと思っている。国際化ということなら、日本語がしゃべれる様々な人種の外人と学校で一緒に遊ばせるのがよい。その人たちに外国の話や日本での苦労話を日本語で話してもらうのもいい。
 
 因みに英会話教室も無駄だな。

 ついでに、文章の中に、ignantとある。〈米・黒人俗〉=ignorantということらしい。
ここで、その単語使った意図は不明である。

魚拓 part 3
魚拓 part 2

金髪くん、いい加減に・・・・・なさいまし。

2008年09月16日 14時04分27秒 | Weblog
1. Kimpatsu Says:
September 16th, 2008 at 9:56 am

Note the bloody useless British embassy in this issue. “Here’s a list of alternative interpreters; now bugger off and leave us alone.”
I don’t know whether the fault is McCarry’s or his editor’s, but once again I find this article mealy-mouthed. Nowhere does it mention the real reason why the Japanese courts ALWAYS award custody to the Japanese parent: racism. These are the same courts that rule that black people can’t be trusted, and can’t speak Japanese, remember? When is the international fourth estate going to start writing about that?

–Give us some links to sources (I know what cases you’re talking about, but other readers might not) to make the second paragraph of your comment better grounded.

debito.org/?p=1904#comment-168206


 当ブログでも何度も、取り上げてきた。
 海外で国際結婚した日本人配偶者が子供を連れ帰り、日本の裁判所では、日本人に親権を与えると、人種差別ダああでもって、日本の裁判所は黒人は信頼できず、黒人は、日本語がしゃべれない、と判決していると、金髪くん。
で、有道先生はどの件についてしゃべっているか、知っているが、ソースを出せ、と。
 ソースはそれは有道先生なんじゃないの?黒人は信頼できない、という判断を下したと誤って読者を誘導したんじゃなかったけ?
 英語で考えるヒント

 黒人が日本語しゃべれないってのは、たしか、黒人の夫が店に入ろうとして、拒否された、という裁判で、判決にいたる過程のなかで、その人が日本語に堪能でなかった、という判断を下したケースのことだろう。

てか、おまいらの人種差別意識投影してんじゃねえの?

人種差別ってこんな気軽に使える言葉なんですね。それじゃあ、有道先生のブログも人種差別ブログだって、ていう言い回しもOKなんでしょうね??


いやあ、これからは、これからは「人種差別だああ!!」合戦で、世の中賑やかになりますね。

 

War & Ethics a new just war theory

2008年09月16日 10時59分24秒 | Weblog
War and Ethics: A New Just War Theory
例の如く、紀伊国屋につんであった。サラッと読む。まあ、おもしろい。そして、わかりやすい。要約がネットにあった。Fotion, Nicholas (2007). War & Ethics: A New Just War Theory.
Continuum International:(PDF)


 平和主義者は、西欧圏ではまれだといわれる。
Pacifism, whether adopted in a broad or narrow sense, is a relatively rare position. Although people may object to violence and war in specific circumstances, most are quite willing to allow or even to actively support its use in a wide variety of other situations. As a result, those who object to war and violence in principle and in general are regarded as highly unusual, if not highly suspect. Ethics FAQ: War and Morality


 日本ではいかなる形態の戦争にも反対の平和主義者が多い。右翼の街宣車の報道はあっても、こうしたことは英語圏であまり報道されない。
 憲法9条改正や、自衛隊の平和維持部隊への反対が非常に困難であるのもこの手の、知識人から草の根、あるいは、政治に無関心な一般人までの平和主義者の根強い存在があるからである。

 日本での議論でよくあるのは、自衛隊に関して、例えば、
1)他国やテロなどの日本への侵略はない
2)あっても警察力で防御する。
というものだが、しかし、1)は現実的でないばかりでなく、無責任である。
2)警察力がそうした目的を達成するのに合理的・相当か疑わしい。

 一般に平和主義者に対して以下のような批判がされている。Pacifism(wiki)参考
○ 大量虐殺が行われているのに、防御しない、助けに行かないのは非現実的であるばかりでなく、無責任である。
○ 平和主義者は逆説的である。
人には防御する権利がある、から、他の人はその人を攻撃しない責任がある。
平和主義者は防御する権利を放棄。したがって、他の人はその人を攻撃しない責任はないって????。

 日本の場合、なんやかやいってアメリカの軍事力の傘のもと、また、自衛隊の防衛力のおかげで、まがりなりにも平和を保ってきた、世界平和をうたいながら、殺戮は見殺しにして、お弁当と絆創膏を配給すればいい、という無責任が許容されてきたことが、日本的なこうした平和主義者が生き残れた理由の一つではなかろうか?

 で、この正義の戦争の理論は古い伝統のあるものだが、最近はちょっと廃れてきた、という評価もあるらしい。
 著者のいう伝統的な理論によれば、

1大義
 自己防衛 
  あ)攻撃された
  い)攻撃されている
  う)攻撃されそう
 他者防衛
  あ)攻撃された
  い)攻撃されている
  う)大量虐殺されている、大混乱にある。

2最終手段
3利益衡量
ーー勝ったとして、味方だけでなく、敵、第3者などのすべての損害も考慮
4勝ち目
5善意
6指導者の正統性

戦争中
1 比例原則
 必要で相当な損害を与えるのみ
2 非戦闘員との区別


 この理論は戦争の事前・事後の評価に使われる。過去の戦争に当てはめて評価してているのだが、これがまあ、面白い。第2次大戦の日本の評価などもしているが、いろいろ照らして、正義の戦争とは程遠い。もっとも著者、連合軍の無差別爆撃など、多くの論者は不当と評価をしている、と紹介している。アメリカ人らしく祖国の同情的な評価をしつつも、正義であったかどうか、疑わしいとする。*1

 で、理論にいろんな問題をはらむものの、戦争に懐疑的な人々、あるいは、特定の戦争を批難する人々もわりにこの枠組みを使っている、と。要件を広くあるいは狭くとることによって、評価が分かれることもあるが、しかし、それは理論として、どんな理論にもつきまとう宿命である。

 
 もっとも、現代になって従来の通りの国家と国家の戦争ではなくなってきた。また、内乱などにもこの理論はうまく適用できない。そこで、国家間の戦争ではなく、いわゆる紛争に対しても適応できるように理論修正しいく。

 日本の場合、理論的に漠然とした武力反対論だけが跋扈・先行し、その陰で、リアリスト的な倫理を無視した発想が潜伏する。そのギャップを埋めるのにもうすこし紹介されてよい理論ではないか、と思う。

参考記事

その他、有益なリンク
Ethics FAQ: War and Morality
Just War