Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

日本、韓国、台湾

2008年01月26日 19時18分27秒 | Weblog
久しぶりのオクシデンタリズムさんの記事の更新。日本、台湾、韓国の印象を比較したフォーラム記事を紹介している。
大方日本は好印象。
ところが、なぜか、有道氏コメント欄では日本に対する憎悪に満ちたコメント満載。で、なぜか、オリンピック開催阻止を執拗にコメントするものがいる。オリンピックやりたーいと思っている日本人は多分少ないが、日本にやらせたくない、と思っている国ってどこだ?
 いずれにせよ、先のニュージーランド人の女性とは正反対の効果を発揮するだろうブログではある。

ニュージーランド女性が夕張氏を励ます。

2008年01月26日 18時39分48秒 | Weblog
NZ女性が夕張再生の本 手紙形式で「変化」提言
2008.1.26 09:05 「せっかくの倒産なんだから観光をテーマにして人を呼び込んでみては?」。札幌市在住のニュージーランド人、ナタリア・ロシナさん(36)が、財政再建団体となった北海道夕張市の再生に向けたアイデアの数々をつづった「夕張への手紙」(日経BP社)を出版した。

 「ヒマワリを植えてバイオ燃料に」「飲食店は(特産の)夕張メロンを使ったメニューを」

 夕張の人々にあてたアドバイスはそれぞれ具体的で、自然食品販売会社を経営する経験も生かし「転んでもただで起きない夕張」を提言。岩手県立大の経営学の講座では「自治体だけでなく企業経営にも参考になる」と、四月から教材に使われることが決まっている。

 昨年四月に初めて夕張に足を踏み入れた際、道路脇の「ようこそ夕張へ」と書かれた看板が、赤黒くさびているのに気付いた。

 「さびた看板でウエルカムはやめよう」と呼び掛けると、間もなく“変化”が起きた。市民の有志で看板を塗り替えることになり、ロシナさんも駆け付けたという朝日

同じ北海道にいてもこうもちがうものか?
こうした活動こそ日本人と非日本人の交流や理解が深めていくだろう。

TPR ガレット氏対Aki氏

2008年01月26日 17時48分56秒 | Weblog
Comment by Garrett
2008-01-18 22:49:54
.....The acid they threw was foul-smelling, not highly corrosive. Think stinking, not burning.

Comment by Aki
2008-01-18 22:56:08

FYI, MSDS for butyric acid says the followings.

Harmful if swallowed or inhaled. Corrosive. Extremely unpleasant smell may cause nausea. Liquid may burn skin and eyes. Readily absorbed through the skin. Severe skin, eye and respiratory irritant.

Comment by Aki
2008-01-26 00:38:10

Further information on butyric acid.

MSDS (Material Safety Data Sheet) for butyric acid also says “Acute dermal toxicity (LD50): 530 mg/kg [Rabbit]”, which roughly means you can kill a rabbit that weigh 1kg by administrating 530 mg of butyric acid onto skin. It is apparent that the amount of the acid thrown onto the vessel is enough to kill more than several people.

Butylic acid is readily absorbed through skin and degraded into other substances. MSDS says “Toxicity of the Products of Biodegradation: The products of degradation are more toxic.”

CERCLA (the Comprehensive Environmental Response, Compensation, and Liability Act) classifies butyric acid in the category of “Hazardous substances”.

Australian government must know the hazardous nature of butyric acid since the MSDS is available to anyone. I cannot understand why Australian government did not detain the Sea Shepherd members.Japan probe

要するに、ガレット氏が反捕鯨団体のまいた液体は、んな危険性のない液体や、と言うのに対してAki氏が数人を致死に至らしめるほどの危険な液体である、と科学的な証拠をつきつけている、という場面。
冷静な対応だ。

本 自由をいかに守るか

2008年01月26日 17時35分36秒 | Weblog
自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す (PHP新書 492) (新書)
渡部 昇一

この前の「東京裁判」といっしょに買った本。経済が苦手なおれでもこれならいけそうかな、と思った。それにもらった図書券もあったし。
個性的な渡部氏の解説とあって、多少警戒して読む。なお、原書の短縮版として、#
# The Road to Serfdom (condensed version)
また、解説ビデオなどがネット上にあった。読むと、渡部氏の原書の解説が短縮版からはみ出た部分が多くあり、これが渡部氏本人の見解、解釈なのか、原書に忠実な解説なのかちょっとわからない。ま、原書を読まないのがわるいのだが・・・
 で、おもしろいか、っていうと面白い。
 全体主義、共産主義はいうに及ばず、民主主義における統制的立法も個人の自由を奪うものであるとして排する。ほんじゃ、福祉とか、保障とか、不平等とかはどうなっちゃうのよというと、
自由主義は「個人の報酬は少なくともある部分は当人の能力と企業家精神によって、またある部分は予測できない諸般の条件によって決まるような体制」である。それが立脚するのは「私有財産」と「相続財産」だとハイエクはいいます。したがって、・・・・チャンスは不平等だとしています。確かに無一文からスタートした人と、大金持ちの遺産を相続したひとでは、富豪になる可能性が大きく違います。しかし、貧乏な人が富豪になる可能性がまったくないわけでなく、社会主義の社会で「最も多くの物質的安楽を意のままにしているよりは自由」だとハイエクはいいます。・・・・・ナチスで商売をやっている人、あるいは、高給をとっているソ連の人たちは独立の自由がないし、乞食になる自由もなければ言論の自由もない。168

これはちょっと行きすぎじゃないか、飢える自由があってもしょうがないじゃないか、というと、限定的な保障の限度で保障はすべきだというのである。
限定的保障は「深刻な物質的貧窮に対する保障」絶対的保障は「特定の生活水準の安定に対する保障」とハイエクは定義しています。
 簡単に言えば、セーフティーネットとして自由競争に負けてしまった人に「飢えず、凍えず、雨露がかからず、病気の時は少なくとも痛みは取れる医療」という生活をあたえるのが限定的保障で・・・・絶対的な保障は自分の商売で収入が減っては困るという人に対する保障です。これがしばしば・・・・問題を起こす188」

で、限定的保障まではいいが、絶対的保障となると弊害のほうが多いという論述が続く。
 まあ、ノージックなどにつながるリバタリアニンということでしょう。
 もっとも、ノージックより議論が明解なところがよい。社会正義論というのは、非常に複雑で、抽象的、あるいは、難しい面もたくさんあるのだが、解説が具体的なだけ、思考を刺激する。
 自由な社会での格差というのは、この限定的保障ということさえあればおれはあまり気にしない。おれは貧乏であるが、いくら大金持ちの人がいてもいい。人に干渉されず質素に読書などして暮らしていければいい。おれの感覚だと、雨露しのげておまんま食べれれば、中国でも日本でも格差社会そのものが問題ではない。むしろ、「ここにいろ、あれせよ」という一部の計画立案者による命令的社会のほうが問題で、未だ共産党が支配的である中国などは格差云々よりもやはり、この点が致命的なのではないか、と思う。
 もっとも、政府の役割をどこまで切り詰めるか、具体的には、非常に難しい問題ではある。

偏向したフェミニストさん曰く「多分最終回」

2008年01月26日 17時33分16秒 | Weblog
関連エントリー
慰安婦問題を通じてーーーーある種のフェミニストの女性に対する残酷な偏向さーー
http://blog.goo.ne.jp/kentanakachan/e/bd47407039c99b9fcec6a426890a136c
慰安婦問題における偏向したフェミニストさんーーー誤解だ!!
偏向したフェミニストさんーーーまたまた誤解だ!!
偏向したフェミニストさんーーーほんとに誤解だってば!!

更新 論者の本名は、小山えみ、Emi Koyama というらしい。論者の他の論攷ついて興味のある方は、ググって調べてみるのもいいかもしれない。

 不整合性を指摘されたことがよっぽどくやしかったのか、「議論には応じません。!」「ばかばかしい」と言いながら、また同じ論題で投稿している。で、おれもこういのわりに好きな方だから、また、書いたりして (^_-)
 で、今回はというと、
 空(これ「そら」だと思っていたんだけど、よく考えたら「から」なんだろうね)の人とのお話、多分最終回

うまいこと言う。たしかに、「言ってないってばああ」の連続では、議論の中身は空だ。もっとも自尊心を傷つけられたせいか、空っぽ、という属性を私に帰属させて、卑しめたつもりになっているところが切ない。だが、言おう、空はそら、であり、くう、で、あり、から、ということだ。それ故、おれの頭が空っぽでもなんでもよろし。どうも、コメント欄の論者側の「見かねたので」さんといい、議論の内容より、、対論者の頭の具合を罵倒する(「論理的思考力、および理解力の欠如を、いささか過小評価」)ことが議論の妥当性を左右するとでも思っている人がいるらしい。
(それとも単純に感情的になっているだけか?)問題はしかし、議論の内容である。
さて次、
 いやさ、だから本当に言ってないでしょ。

どうだろうか?
「韓国米国を糾弾することはできない」といつ言ったの?

というのが言ってない、という内容。

で、夢氏の提案というのは、日本のフェミニスト・人々が、欧米のが日本非難決議をだしたのテコとして、日本および韓国米国などの責任を追及し、また呼びかけるというものであった。
 当然そのなかには日本人が韓国米国を(日本と同時に)追求していくことも含まれる。
 が、論者によれば、そうした追求や呼びかけは
に、日本のフェミニストが「日本の犯罪についても、韓国の犯罪についても、ともに協力して追求しましょう」なんて言っても、拒絶されるからです

、政府を通して適切に対処が取れていない」側の人間が言うのは非常に問題であると考えるのです。

あなたの言う「協力」がポジショナリティを踏まえない無責任なものであり、到底他国の人たちから認めてもらえない非現実的

あなたの呼びかけ自体が無責任かつ失礼であり、その当たり前の帰結としてあなたの呼びかけは拒絶される

 このように夢氏の提案の一部である、加害国に帰属する日本人が韓国米国の責任追及することで、救済の協力をし、また、他国のフェミニストに協力を呼びかけることは、「問題があり、認められず、失礼かつ、無責任で、拒絶される」と論者はいっておりながら、論者自身がそうしたことをするつもり、あるいはできる、と言っているとどこから読み取ればよいのだろうか?

さて、次。
別に心変わりなんてしてなくて、夢さんの「呼びかけ」は有効ではないとわたしは思っているけれども、わたしの判断が常に完璧なわけではないから、わたしが「有効ではない、駄目な提案だ」と思っていた路線が案外成功するという可能性だってないわけじゃないでしょ。わたしは夢さんの路線を批判するけれども、同時に自分とは違った意見や路線を掲げる運動がいろいろあってもいいという考えなので、夢さんがそんなに強く自説を主張するなら、どうぞご自由にその路線を突き進んでください

また、蒸し返しか。これについては、ここここそして、ここの該当箇所に書いたが(とくに、「自分は自分の信条によりできないが、夢氏には勝手にすすめてほしい、・・・」と「この有効ってefficientってことか・・・」以下を読んでいただきたい」)論者は疑問・批判に対して自説を展開することなく、論述をただ、蒸し返し、あるいは、「いってないの!」を繰り返すのである。これではやはり、議論が空にならざるえない。
論者が自説を展開もしないし、内容のある応答もしないので、しかたない、論者の発言から解釈を試みようか。

A 夢氏の提案 →日本人が日本、及び韓国米国の責任を追及する。
B 論者の主張1→夢氏の提案は駄目、認められない。拒絶される。有効でない、
        無責任、失礼。
C 論者の主張2→日本人が韓国および米国を責任を追及できないとは言っていない。
⇔日本人が韓国および米国の責任を追及できる。

解釈1
 [日本人が韓国米国の責任追及する]=(A)のは[認められない・・・]=(B)なら、責任追及はできない、と言っているに等しい。しかし、これは(C)に矛盾する。

解釈2
 自分は自分の信条のために責任追及はできないが、この日本人が韓国米国の責任を追及するという失礼で、無責任で拒絶されるような行為も、不成功だとは限らないから、やりたければ勝手にやりなさい。
つまり、
 夢氏のような無責任で失礼なことを平気でするような人はできる。
 私=macskaにはできない。私はしない。私は放っておくしかない。

解釈3
 私=macskaもA=[韓国・米国の責任追及をする]ことができる。
つまり、私=macskaも失礼で、無責任で、拒絶されるような韓国米国の責任追及をすることができる。

どの解釈にせよ、奇妙な結論にならざる得ない。


個別の責任を個別に問うことで、国際的な基準を有機的に作って行くべきである、と言っていますね。日本の責任を問うのもその一部となるはず。

有機的ってどこでいっていたのか知らんが、「国際的に共通の基準というのは、最初からこうだと決めて各国に当てはめて行くようなものではなく、そうした個別の責任追及の中から生み出されてくるものだとわたしは考えている。」とある。
そしてそれについては、すでにここの「個別でやるべきだという、その個別性がどれくらい個別的なのかは定かではない。」以下に応答を書いた。それに対して、「その前段階としてこれまでの無茶苦茶な曲解をなんとかしてください。わたしの主張が何であるかを理解しないうちに、その主張が正しいか正しくないかという議論をしても意味ないでしょうし」リンクといって、「キョッカイダアア!!」とまた繰り返し、議論を進めようともしないで、、今回もまたまた蒸し返しなのである。これではやはり議論が空にならざるえない。

 しかたがない、あらためて、問題点を指摘しよう。

 論者は、「個別の行為について個別の責任を個別の位置関係から問うべきだと繰り返し主張している」というのであるが、欧米で責任追及の動きがない以上、議論の煮詰まっている日本側、また、非難をされた日本がこの作業を着手するしかない。しかし、論者によれば、日本人が日本の責任追及とともに、他国の責任追及し、他国の被害者を救おうとする行為は、「無責任であり」「失礼であり」・・・というのである。また、かといって、それを他国の人々と連帯してやろうとすればーーーそれは夢氏の提案であるがーーそうした連帯は拒絶される、というのである。

 夢氏の提案は欧米が日本に突きつけた基準をそのまま、欧米に突き返し、責任回避しようとする政府や人々の性向に対して論理的に突き詰めることがでるという利点がある。欧米が非難をつきつけてきたからこそできるのである。これを無視して個別に責任追及しようというのは、いままでの経緯ーー欧米では、責任追及がないこと、欧米がしかし、自国のことはさておき日本にさらなる責任追及の非難決議をしたことーーを無視した観点と言わざる得ない。

 夢氏の提案はこうした事情を有機的に結びつけた提案である。
 
(1) このように欧米に責任追及の動きがない現状で、かりに日本人が論者の言うように、個別に、すなわち、日本の責任追及とは別個に、欧米の責任だけを追求しようとすれば、そちらの方がまさに、論者がいうような拒絶にあう蓋然性は高かろう。

 では、(2)日本に対する責任追求を先行させ、 政府に相応の行為を取らせた後、それを前提として、欧米の追求をし、「有機的に」共通基準を作成すべきだ、というのか?このさらなる日本に対する責任追及して得られた基準をいままで何もしてこなかった欧米に「有機的に」適用させるとでもいうのだろうか?

 しかし、それはいままでの経緯を無視し、現実的ではない。

 夢氏の提案の背景には、日本側としても批判はあるものの一応は謝罪、補償をしたのであり、自分たちはさておきさらなる謝罪を求めるのは不公平だという感情がある。こうした状況のなかで、日本へのさらなる追求は従前からの反対と相まって、困難なものにならざるえない。 そして、そもそも今まで反省もなく責任追及も怠っている韓国や米国の責任追及はかなり困難なものとならざるえない。日本を非難したその基準を無視しして、個別に責任追及するとなればなおさらである。その間、第2次大戦後になされた韓国軍、米軍のもとの性的奴隷たちは泣き寝入りすることになる。救済の必要性から言えば、一部すでにヒロインになった日本軍の元慰安婦、あるいは、謝罪補償金を受け取った元慰安婦より、よほど救済の必要があるのである。現実のところそんなことをしていては、これらの被害者の大半は亡くなっているかもしれないし、そうなれば必要性も薄れ、事実上、欧米の責任追及はしない、換言すれば、その犠牲者は救済しない、言っているに等しい。

 そもそも、この日本先行論では、なぜ、そこまでして、一応の謝罪や補償の提供をし、ある程度の救済がすんでいる被害者のさらなる救済を先行させ、より、救済の必要性が高い犠牲者のいる欧米の責任追求、すなわち必要性のより高い犠牲者の救済を遅延させなければならないのかという論理が明らかではないのである。単なる日本叩きだけが目的の反日的策動ではないか、と一部論者から揶揄される所以である。
(1)にせよ、(2)にせよ、現実的でも、論理的でもない。



一度退場して、まともに議論する気になったら出てきてください。

おヒースとも受け取られかねない発言であるが、感情的な発言には反応しまい。

なお、論者のコメント欄にコメントがついているようなので応答しておこう。
連帯する範囲が「フェミニスト」になっているところが不思議です

私の以前の文章をみればフェミニスト・人々となっており、フェミニストとだけ書いた部分もあるがそれは議論の本質的なことではない。
、「連帯」に応じなければ「冷酷」である
・フェミニストではない人に関しては、考慮の対象外なので、「連帯」に応じなくても「冷酷」ではない

という使われ方をされてます。これは一般にいう「冷酷」と違うので、「空冷酷」とか新しい名前をつけて区別してくれないもんかと思います。

冷酷
名・形動]思いやりがなくむごいこと。また、そのさま。
救済の必要性が高い犠牲者を知りながら、放置あるいは後回しにする、というのは思いやりがなく、むごい、すなわち冷酷である。
 論者を必死に擁護し、その言い分を好意的にまとめようとした投稿者である、このflekram氏もおおざっぱなまとめさえできないというーーー論者の説はきわめて難解なものなのかもしれない。
 しかし、「言ってない、曲解だ」と自己弁護に拘泥しなければ、問いは至極、簡単なのである。

 論者の否定する夢氏の提案とは別に、
 
 論者自身が韓国米国軍による元性的奴隷救済に対して、これまでの経緯を考慮し、具体的に何をするつもりがあるのか、現実的などんな提言を行っていこうとしているのか、

ということーーーこれである。
 

国籍取得法と外国人参政権

2008年01月26日 03時55分11秒 | Weblog
国籍取得法に関する有道氏のところの日本語の記事。で、これが英語の記事。わかるように、彼、日本語の方にはコメントをつけない。要するに英語しゃべる人オンリーになっている。
 まあ、それは、いいとして、国籍取得の手続きの簡易化に関してはおれは賛成だ。特別永住者のみならず、他の永住者にも対象を広げてよいと思う。問題は、朝日の記事にあるように、
党内に「特例法ができれば参政権法案は必要ない」といった意見が出たことなどから、公明党内から「参政権法案が棚上げされては困る」との懸念

ということである。手続きを簡易化すれば、地方参政権まで必要ないだろう。おれは、福田のとっつぁんにはとうの昔に絶望していたが、あれがのんべんだらりと狸やっている間に、外国人参政権も同時進行とはいかがものか?
 重国籍に関することではあるが、人民党の一部が正しく認識しているように、外国の軍務的役務に服するものに、地方参政権を付与する必要があろうか?
地方の権限というのは、原子力発電所や軍事基地の設置運用のような中央の政策まで左右する。外国の義務に法的に服する者、つまりは、外国の利益のために法的な義務に服する者、極端な場合、スパイ活動も法的にせざる得ないような者に地方参政権を与える必要はないばかりか、危険でさえある。
 
 因みに、有道氏のコメント欄では重国籍の利点として祖国のアイデンティティの確保があげられている。また、在日韓国人はその確保のために帰化しないのだという。
 国籍の剥奪ということはその国民に付与されていた権利義務能力の剥奪ということであって、アイデンティティーといった文化的、精神的なこととは無関係である。
 おれは、むしろアメリカのように、アメリカ国籍をもっても、たんにアメリカ人ではなく、日系アメリカ人とか韓国系アメリカ人と呼ばれ続けるのは可哀想だと思う。不思議なことにドイツ系アメリカ人、イギリス系アメリカ人というのはあまり聞かない。
 中華街多いに結構。中華料理に太極拳多いに結構。しかし、国籍の問題とは関係ない。
 最近では朝鮮の若者が通名をすて朝鮮名を通用させている。結構な話だ。しかし、それも国籍の有無とは関係のない話である。