Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

外国人登録制度の改正

2008年01月25日 18時16分23秒 | Weblog
2008.1.25 14:01

 法務、総務両省は25日、現行の外国人登録制度を廃止し、日本人の住民基本台帳と同様の在留管理制度を導入する方針を固めた。鳩山邦夫法相は同日の閣議後会見で、「(現行制度は)廃止の方向で決めつつあり、次期通常国会に(関連法案を)出したい」と表明した。

 現行制度では在留外国人は個人単位で登録され、世帯ごとの現況を反映していない。また、転出届の提出も義務化されておらず、就学手続きや健康保険加入などの基礎資料としては不備が多いと指摘されていた。

 新制度では外国人の在留管理について世帯単位で把握。外国人登録証明書は廃止し、新たに「在留カード」を発行する仕組みが検討されている。

 政府は昨年6月、平成21年の通常国会までに外国人登録制度を見直し、関連法案を提出する方針を閣議決定。法務、総務両省が制度設計について検討を続けていた。

 ■ 外国人登録制度 日本に在留する外国人の婚姻関係や住所などを明らかにするために、住んでいる市町村に届け出て登録する制度。登録すると市町村から外国人登録証明書が交付される。登録時の指紋押捺(おうなつ)に人権侵害との批判が強まり、平成5年から在日韓国・朝鮮人らの押捺を廃止。12年からすべての外国人の押捺が廃止された。産経

Japan probeなどでも紹介し、また一部で外国人にとって朗報という評価もあるが、在留カードの発行はするようであり、この点に関する法が変わらない限り、残念ながらカードの携帯義務づけはそのままではないか、と思うが・・・

本 東京裁判 日暮吉延

2008年01月25日 14時12分45秒 | Weblog
東京裁判 (講談社現代新書 1924) (新書)
日暮 吉延

池田信夫氏のブログで紹介されていたので読んでみた。おもしろい。
帯には、保阪正康氏の言が引用されている。「東京裁判から60年ようやく事実に基づく、冷静かつ実証的な研究がなされる時代がきたとの感に打たれた。歴史が待ち望んでいた書だ」と絶賛している。
で、著者のスタンスを「あとがき」から拾うと、
「・・・伝統的な「裁判肯定論」や「裁判否定論」のどちらでもない。・・・・「連合国側からみた場合」「日本側からみた場合」と目線を変えることが有用・・・・勝者の裁きだからいけないというわけではない・・・政治的な粗雑な「善悪史観」で敗者に戦争責任をおわせるのは行きすぎた正義であり、敗者に屈辱感や怨恨感情を残すと考えるからである。・・・日本人は「自身による責任追及」をさけて「勝者による責任追及」を容認した。・・・しかし・・・レーリングは・・・まったく起訴しないようりも「一方的な起訴のほがましだ」とのべた。こと日本の政治文化においては無視しがたい指摘ではあるまいか・・・・東京裁判の欠陥をあげつらったらそれこそ、きりがいない。しかし、欠陥を理由に裁判を否定したところで現在の日本の利益にならない・・・・それゆえ東京裁判で指導者を裁かれ、BC級裁判では、「四八五五名」が裁かれたという犠牲の事実を卑屈にならず、また自虐的になるのでもなく、ただ毅然と対外的に示すべきだと考える」

おれなんかが非常に同調できる主張である。

 文章は平易であり、わかりやすい。内容は非常にバランスがとれている。文明の裁き観でもなく、勝者の裁き観でもない。

 全体とすれば、東京裁判の経過が、各国の政治状況、国際政治を強く反映したものであること示唆している。A級戦犯が釈放された経緯なども述べられている。
 
おれがいうのもなんだが、東京裁判に関する標準的なテキストとなる良書だと思う。

偏向したフェミニストさんーーーほんとに誤解だってば!!

2008年01月25日 13時36分29秒 | Weblog
 また、記事に対してさっそく反応があった。簡単に済まそう。
わたしの主張がそういうものであることは、はじめからはっきりと説明しているんだけど、何度説明しても分からない人も中にはいるようで

で、論者のいう「説明」というのは先に念のために確認しておいた、、この記事の「以上がポイントであるが、念のため、論者の関連発言を拾ってコメントしておこう。」以下の部分である。読者の皆様が必要ならばリンク元にいくなりして、判断してください。いずれにせよ、この部分に関する論者の「自説」とやらへの批判に対して展開する気はないらしい。

 だから、「韓国米国を糾弾することはできない」といつ言ったの? 言ってもいないことばかりでっちあげて「偏向だ」と繰り返すのは迷惑なんですが。
また、始まった。「いってないいいいい!!!いってないよおおお、いってないってばあああ!!」
 だからさー、他国の戦時強制性労働の被害者の救済に「協力できない」と、わたしが一度でも言った? 夢さんの「呼びかけ」は駄目だから賛同しないと言っているけど、他国の被害者救済に賛同しないとは一度も言っていないでしょ

あら?「そういう路線があっても悪くはないので、夢さんはご自由にどうぞそういう路線を推進してください、とも言っています。」と言っていたのは論者であるが、またまた心変わりであろうか?
 また、夢氏の提案は要するに、論者がここでは反対していない、自国他国の戦時性性的奴隷救済に日本人が推進協力する、ってのも含まれているのだが対論者のいっていることは理解するつもりはないのであろうか?

 面白いのは、他の観点からであるが、論者のコメント欄に
結果的には、旧日本軍の被害者しか救済される可能性はない、という未来に与していることになりはしないか、と。

まさにこの点である。論者は、自説は語ったというが、夢氏と異なり語っていない点がある。
それは、韓国軍米軍の被害にあった性的奴隷の方々に対して、韓国米国でなんの動きもない現状で、論者が、いかにその救済に努めていこうとするのか、というビジョン、態度表明ないし、理論である。
 夢氏の説によれば、自国日本の責任明確化と同時に、論者のいうように韓国、米軍の被害者について追求していくことも「協力」の一部であり、それに関して韓国や米国のフェミニスト・人々に協力を呼びかけていくというものであり、後者の点で、韓国米国からの日本のフェミニストに対する呼びかけは是で、日本から韓国米国のフェミニストへの呼びかけが非なのか、まったく明らかではない。その点について自説を展開する気持ちもないらしい。
 因みに前者について、論者はそんなことをすれば、「日本が自国の犯罪行為にきちんと責任を取る前に、日本のフェミニストが「日本の犯罪についても、韓国の犯罪についても、ともに協力して追求しましょう」なんて言っても、拒絶されるからです」というが、夢氏は日本の責任も明確化するという条件をつけているのであって、論者は対論者が言っていないことを前提にだだをこねているようにみえる。


夢さんの提案がなぜ優れているのかの議論に話題が移っているけれども、相手の主張をねじ曲げたり言ってもいないことを「言った」と決めつけて「偏向」「冷酷」などと批判するような人との議論には応じません。、

そもそも論者は議論をしていない。自説を展開せず、(論者が”言った”ということに関しては上記参照)「言ってない」「曲解だ」だの連続である。議論の吟味ということに集中すれば対論というのは面白い作業なのであるが、自説の矛盾や動揺があらわになり、奇妙な自己防衛にだけまわってしまっては、さぞかし議論も苦痛だったかもしれない。もっともこうした態度こそ、世間からのbacklash があるものなのだが・・・
「はじめから議論をやり直すというなら議論に応じます」

お嬢さん、I don't give a damn.


人口減少でも繁栄?ーーまじ?

2008年01月25日 03時02分37秒 | Weblog
「人口減少」で日本は繁栄する―22世紀へつなぐ国家の道 (単行本)
日下 公人

読んでないからわからんが、レビューをみるとそうなのか、とも思うし、どうなのかな、とも思う。で、読んでみてもいいけど、読んでもその印象は変わらないように思う。、通説とか有力説とか、ここらへんしっているひとがあれば教えてくり。m(_ _)m