また、
記事に対してさっそく
反応があった。簡単に済まそう。
わたしの主張がそういうものであることは、はじめからはっきりと説明しているんだけど、何度説明しても分からない人も中にはいるようで
で、論者のいう「説明」というのは先に念のために確認しておいた、、
この記事の「以上がポイントであるが、念のため、論者の関連発言を拾ってコメントしておこう。」以下の部分である。読者の皆様が必要ならばリンク元にいくなりして、判断してください。いずれにせよ、この部分に関する論者の「自説」とやらへの批判に対して展開する気はないらしい。
だから、「韓国米国を糾弾することはできない」といつ言ったの? 言ってもいないことばかりでっちあげて「偏向だ」と繰り返すのは迷惑なんですが。
また、始まった。「いってないいいいい!!!いってないよおおお、いってないってばあああ!!」
だからさー、他国の戦時強制性労働の被害者の救済に「協力できない」と、わたしが一度でも言った? 夢さんの「呼びかけ」は駄目だから賛同しないと言っているけど、他国の被害者救済に賛同しないとは一度も言っていないでしょ
あら?「そういう路線があっても
悪くはないので、夢さんはご自由にどうぞそういう路線を推進してください、とも
言っています。」と言っていたのは論者であるが、またまた心変わりであろうか?
また、夢氏の提案は要するに、論者がここでは反対していない、自国他国の戦時性性的奴隷救済に日本人が推進協力する、ってのも含まれているのだが対論者のいっていることは理解するつもりはないのであろうか?
面白いのは、他の観点からであるが、論者のコメント欄に
結果的には、旧日本軍の被害者しか救済される可能性はない、という未来に与していることになりはしないか、と。
まさにこの点である。論者は、自説は語ったというが、夢氏と異なり語っていない点がある。
それは、韓国軍米軍の被害にあった性的奴隷の方々に対して、韓国米国でなんの動きもない現状で、論者が、いかにその救済に努めていこうとするのか、というビジョン、態度表明ないし、理論である。
夢氏の説によれば、自国日本の責任明確化と同時に、論者のいうように韓国、米軍の被害者について追求していくことも「協力」の一部であり、それに関して韓国や米国のフェミニスト・人々に協力を呼びかけていくというものであり、後者の点で、韓国米国からの日本のフェミニストに対する呼びかけは是で、日本から韓国米国のフェミニストへの呼びかけが非なのか、まったく明らかではない。その点について自説を展開する気持ちもないらしい。
因みに前者について、論者はそんなことをすれば、「日本が自国の犯罪行為にきちんと責任を取る前に、日本のフェミニストが「日本の犯罪についても、韓国の犯罪についても、ともに協力して追求しましょう」なんて言っても、拒絶されるからです」というが、夢氏は日本の責任も明確化するという条件をつけているのであって、論者は対論者が言っていないことを前提にだだをこねているようにみえる。
夢さんの提案がなぜ優れているのかの議論に話題が移っているけれども、相手の主張をねじ曲げたり言ってもいないことを「言った」と決めつけて「偏向」「冷酷」などと批判するような人との議論には応じません。、
そもそも論者は議論をしていない。自説を展開せず、(論者が”言った”ということに関しては上記参照)「言ってない」「曲解だ」だの連続である。議論の吟味ということに集中すれば対論というのは面白い作業なのであるが、自説の矛盾や動揺があらわになり、奇妙な自己防衛にだけまわってしまっては、さぞかし議論も苦痛だったかもしれない。もっともこうした態度こそ、世間からのbacklash があるものなのだが・・・
「はじめから議論をやり直すというなら議論に応じます」
お嬢さん、I don't give a damn.