さくら日記でございます。

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★あなたには出来るでしょうか?幸せになる実践「執着の捨て方」

2019-07-12 06:25:19 | 「本」

お疲れ様です。
皆さまお元気ですか?
今日も本です。
幸せになるための真理と言ってもいいのでしょうか?
「アルボムッレ・スマナサーラ」さんの
「執着の捨て方」です。

「アルボムッレ・スマナサーラ」さんは
1945年生まれのスリランカ出身の
スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老
です。
13歳で出家。
国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭をとったのち
1980年に日本にこられました。
日本では駒沢大学大学院文化仏教学博士課程を経て
現在はテーラワーダ仏教協会で上座仏教の普及と
瞑想指導に従事しているそうです。

スマナサーラ長老の本は沢山読みました。
私的に言葉は軽いですが
最強の哲学と、いやいや心の科学
と言ってもいいと思います。
どの本でも良いと思います。興味があるかたは
一読されると、人生が変わる可能性大
そんなふうに感じています。

そうは言いますが
当の私、絶対に最強の教えだ!
と思うわりには実践は、からっきしって状況です。
だったら書くな!
って感じです。良いものには違いなので
ご紹介させて下さい。

それと、私たちは「幸せになりたい」
みんなそう思ってます。
だけど、そうならない。
「平和」もそうですよね
たぶん、みんなが「平和」を望んでいる
ですが、
現実はまったく逆と言ったほうが良いかもしれませんね
そんな疑問の答えも
内容を理解すると見えてくるかもしれません。

あと、テーラワーダ仏教の長老のお話
なので宗教の話か・・・
と思われると思いますが
本を読むときは宗教という考えは置いておいて
先程も書きましたが
「心の科学」と捉えると
メッセージがスムーズに受け取れると思います。

ということで、前置き長くてすいません。
中身を見てみましょう。

まずは、「はじめに」からです。

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「将来が不安だ」「上司とウマが合わない」
「介護がつらい」「子どもがいうことを聞かない」
などなど、悩み事は次から次へと湧いてきて
心を暗く支配します。
そんな悩みごとは全部、手放してしまえばいいのに
なぜ、私たちは手放せないのでしょうか?

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こんな問いに対しての答えを
心の科学として研究していきます。
ですが、答えは案外シンプル

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悩みごとというのは、
すべて「執着」から生まれているからです。
心の中にどうしても手放したくない「欲」があるから
執着が生まれていしまっているのです。

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そんなことは、わかっている!
それが出来たら苦労はしない!
と叱れれるかもしれません。
ですが、答えは間違ってないですよね
私はそのように思います。

ですが、これで分かったとは言えませんよね
さらに掘り下げていきます。
では、手放したくない「欲」ってなんですか
まずは、このあたりをクリアにする必要があります。
ちょっと続きをみてみましょう。

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執着には四つの種類があります。
①欲(五欲)への執着
②見解への執着
③儀式・儀礼への執着
④我論への執着

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なんか難しくなってきました。
悩みごとはその原因、「欲」を手放す必要がある
ということですね。
ですが、ただ単に「欲」と言ってもいろいろあります。
なので、そこを明確に調べて
それぞれについて、どのように手放すか
掘り下げていきます。

どうも上の①から④
数字が大きなるほど手放すのが
難しくなるようです。
とりあえず、一番簡単と言われる①を見てみましょう。

への執着というのは物に対する執着なんだそうです。

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心の中で、欲はどのように生まれるのかを見てみましょう
人間には視(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)
身(しん)
という感覚器官があります。
そして、生きている限り、この感覚器官には
色(しき)、声(しょう)、香(こう)、味(み)
触(そく)
という情報が触れ続けます。
私たちは生きている限り、何かを見なければいけないし、
聞かなければいけなし、嗅がなくてはなりません。
何も見ず、聞かず、嗅がずに生きていくことはできません。
したがって
生きるということは、これらの器官とその対象物に
すでに依存している
ということになるのです。
これが仏教でいう「物に対する依存」です。

生きるということはすなわち、物に依存し、
欲を持ち、執着を持っているということです。

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なんかいきなり強烈なところにきました。
ということは欲を手放すと
生きていけないのか?
だったら意味がないのでは?
???が並んでしまいます。

本では、さらに掘り下げて
執着が発生するメカニズムを説明しています。
興味があるかたは
本で詳細を確認下さい。

 

要点を再度まとめると

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「視、耳、鼻、舌、身、意」
 「色、声、香、味、触、法」が触れる
れたら感じる
感じたことに対して、渇愛が生じる
渇愛が生じると執着が起こる

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ちょっと説明してない言葉をいろいろと
書いてしまいましたが
こんな感じになります。

用語的に補足すると
渇愛は満たしても、満たしても満足しないという
「心の渇き」のことです。

この言葉も重要になりますので
チェックしてください。

では、さらに先を見てみましょう。

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人間には目があり、耳があり、鼻があるので、
何かを見ないでいたり、聞かないでいたり
することはできません。
そして、情報に触れれば、否応なしに
「好き」とか「きれい」といった感情が湧いてきます。
これは誰にもストップできません。
しかし、感情から
渇愛を生まないようにすることはできます。

そのためには、
それなりの訓練、理解能力、智慧が必要ですが、
渇愛はストップできるのです。

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渇愛をストップすること
ひとつの課題が見えてきました。
これが出来れば可能性があるということですね
さらに続きを見てましょう。

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渇愛を制御するためにはどうしたらいいかというと、
その一つの方法が「放っておく」ということです。
「この世に存在しているものは、
ただそこに存在しているだけ」と受け止めます。
この世にある美しいものが、欲(=執着)
そのものではないからです。

人間の思考(=概念)が欲なのです。
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めっちゃ簡単な言葉で返してきましね
「放っておく」
そんなことができれば苦労しない
また、そんな想いが湧いてきます。

ん、いま思ったイライラした感情
これをイライラ考えず「放っておく」
そんな感じなんでしょうか?

ちょつとわかったような
わからないような感じです。

ですが、この仕組みをさらにしっかりと
理解して知ること
知れば、その対策が示す意味もわかるし
何故自分がそれに挑戦するか
その意味も分かってくるように思います。

具体的にはぜんぜん書けず
最後に「放っておく」
なんてなんて無責任な
って感じですね申し訳ないです。

この後の方法論として
瞑想なんて方法も登場してきます。

繰り返しになりますが
興味があるかたは一読をオススメします。

長いわりには
わかりにく内容になってしまって申し訳ないです。
ですが、こんな世界があるということを
知るもの大切かな・・・
なんて思ってます。

ということで
今日は
「アルボムッレ・スマナサーラ」さんの
「執着の捨て方」でした。