Kennyのブログあれこれ

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宮大工(小川三夫氏の講演記事)

2012-01-30 08:23:33 | 日記
1月30日 (月)

前回、宮大工の小川三夫氏のことに触れたので
色々検索してみたら
講演会の内容が掲載されていた。
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長い文になるが、参考になる話なので日記に借用させていただく。

週間ダイアモンドオンラインから(写真)
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「不揃いの木を組む」
                   (株)鵤工舎舎主 小川三夫

 学生時代に修学旅行で奈良へ行った。
法隆寺の五重塔を見て、1300年前に建ったと聞いた。
「どうやって造ったのか」と思い、この仕事もいいと思った。

 当時は、ロケットが月に行った時代。
それはデータを積み重ねてできたことだ。
これに対して、法隆寺の塔は信念で造ったと思った。
データでなく信念。
それを学びたいと思った。

 高校を卒業する1月前に、弟子入り志願に行った。
どこへいったらよいかわからないので、奈良の県庁へ行った。
文化財保護課で法隆寺には西岡さんがいるといわれた。
行ってみると大工さんが二人いた。
西岡さんいるかと言った。西岡はおれだと言ったのが棟梁。
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ならかず、常一、なら次郎の3人。
ならかずは80歳以上。
もしならかずに声をかけていたら弟子になれなかった。
その名前を忘れたから運を得ることができた。

その時は18歳では年齢が高すぎるといわれた。
また、今は仕事がないともいわれた。
紹介状を書いてもらい、文部省文化財保護委員会建造物課へ言ったら、
のみ・かんなが使えるようになってから来いといわれた。
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 そこで、長野県へ行って、仏壇をつくる仕事についた。
住み込み修業だ。食べさせてもらって仕事を教えてもらう。
家事労働でお返しをする。当時は、環境の違いにひがんだりした。

 1年立経ち、法隆寺へ行った。
そこで「島根県の日御碕(ひのみさき)神社へ行け。」と言われた。
仕事は図面書きだった。普通3カ月でできるものを、1年半かかった。
仕事をしていると中学生が来て、灯台へ行こうと誘われた。
そこには女の子がいた。すれ違うときに、
スカートの中が見えるような気がしてうれしかった。
実際には見えなかったが…。
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1年半立ち、図面ができ、文部省に報告した。
次は兵庫県の豊岡へ行き仕事をした。

 3ケ月して、西岡さんから手紙が着た。
法輪寺へ来てもよいという内容だった。
三重塔の再建である。道具を持って来いといわれたので、刃物を研いで行った。
しかし、棟梁には、道具箱を見せなさいといわれた。
実際に見てこんなものでは使い物にならないといわれた。
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 次に納屋の掃除をしろと言われた。
そこには法輪寺の図面がある。
また、棟梁の道具があった。見てもよろしいということだった。
棟梁は、弟子にするとかいわない。
納屋の掃除をしろと言う言葉で感じ取れという教え方だ。
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 次に、新聞・テレビ、建築の本など一切禁止。
一年間刃物だけを研げと言われた。
ある時けがをして黙っていたら怒られた。
報告しても怒られた。
夕食になると、自分の前に西岡棟梁。
次に自分。その後に家族が座る。
ご飯、汁、菜の順番を崩してはいけなかった。
食べた気がしなかった

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寝る時には、お爺さんが寝ている離れの2階で寝たので、物音一つ立てられなかった。
自分も寝相の悪い嫁さんに、「もう少し、緊張して寝てくれ。」と言ったほどだ。
それが徒弟生活というものだ。
自分の時間はない。
個性というのは師匠をまねて生まれるもの。そうして仕事を覚える。
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 木の話をしたい。
木は植林して育てる。
苗床で3,4年経って、移し変える。この時、向きを変えてはいけない。
ねじれてしまうからだ。山では密植する。それは木同士に生存競争させるため。そうするとまっすぐに育つようになる。
無駄がないし扱いやすい。良質材と呼ぶ。
生存競争のない木は、四方から光が当たるので、伸びる必要がない。
でぶっとした木になりあつかいにくい。

しかし、時々銘木がそだつ。
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今の学校は、良質材はできるが、銘木が出ない木がする。
自然の山はいろんな木が生える。
人間は扱いやすいように杉だけ植える。だから乱れる。

木の建物の命へ移る。

千年の木でつくるのなら、建物を千年持たせろといわれた。
肥えた土地の木は千年持たない。
岩のような所に生えた木だと千年持つ。

木曽の檜は600年すぎると中が空洞になる。

屋久島の杉は栄養がないところだから何千年も生きている。
東大寺の大仏殿修理を行った。
梁に使う木を運ぶために、人が10万人、牛が4千頭かかった。
大変な作業だ。

昔は、運ぶ途中で、木が乾燥した。
使える木になった。倒してから寝かしておくことが大切。
そうしてから建物をつくる。
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寝かせる期間が無駄なようだけど大事なこと。
あせると、あとからくるいだす。

あて がある。

それまで日陰にいたのに、
前の木が倒れたために急に日が当たった木、それがあて。
強いけど使いにくい。あての力を利用して、屋根の構造材にする。
使い方で役に立つ木にする。
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道具について
宮大工と言われる。
普通の人は家大工。
宮大工は大きな木を使うので、木の癖をうまく組まないといけない。


一発で入ったくぎはすぐ抜ける。
何回もたたいた釘は抜けにくい。
金槌は、体によって決まる。体格が違えばみな違う。

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 日光東照宮へ行った。構造の美から、細工の美に移った。
手道具を使える子は電動工具も使える。
だから、手道具も使わせないといけない。電動道具だけではダメだ。

工作技術で物をつくったら、出来上がればそれでよしとなる。
執念でつくるものは、出来上がったものに不満を残す。

だからやる気が出る。執念で物づくりをする子を学校でも育ててほしい。
ただ、それは教えることはできない。感じ取るものだ。

日常生活が厳しいほど、執念の物づくりに気づく。
甘い生活をしていては気づかない。

今は、いい建物ができにくい。

急ぐことは、目や耳で学べるが、手と体で覚えるものは長い時間がかかる。

頭の中で理解して、子どもたちに表現させようとする。
学校の先生はそこで失敗をする。
技術は時間がかかる。簡単に職人は育たない。

守り伝えてきたものは、文字や数字ではなく、体の記憶。
だから法隆寺が今もある。代々の宮大工が伝えてきた。

五重塔の軒が深いので下がろうとする。
つっかえ棒をつけると簡単だが、姿が変わるので使えない。
文字や数字で伝える人は姿を簡単に変える。

阪神淡路大震災により、瓦の屋根が減った。
しかし、瓦の屋根が軽いのは、以前に大きな台風が来たからだ。
だから重い屋根にした。これは文字や数字で伝えているから。体での判断が大事。

次の世代のために、嘘偽りのあるものを残してはいけない。
建物を、何百年の後に解体修理した時に、平成の大工は頑張ったと読み取ってくれると思う。

昭和の大修理のときに、西岡棟梁は1300年前の大工と対話をした。
本物は力がる。
考えられるすべての物を精いっぱいやれば、
後の時代にでも技術をよみがえらせてくれると思う。

 弟子たちの話をしよう。
鵤工舎をつくった。今は30人ぐらいの弟子がいる。
新入りは先輩のために、飯炊きと掃除ぐらいをやる。
中には風呂に入らない子もいる。
洗濯ですすがない子もいる。
街から来た子と田舎の子がすぐわかる。

街の子は、冷蔵庫をすぐ開け閉めする。
田舎の子は漬け物と味噌汁から始まる。


龍神村から来た子は、オムライスのつくり方を覚えた。
それまでは食べたことがなかった。
飯をつくらせると、姿勢がわかる。

掃除は次のことを考えていないとできない。
整理整頓は、頭の中を整理整頓しなければできない。
13人の食事を30分で作る。
そのために昼と夜の下ごしらえをするが、11時半までに終わらないと務まらない。

今年来た子が、夜の2時半でもキャベツを切っていた。
かわいそうだけど、やはり途中で帰ってしまった。
段取りが悪かったからだ。

飯づくり、掃除をさせると、どんな道に進むかわかる。
ちょっとしたアドバイスはする。
うまくなるころに新しい子が来て、またまずい食事をつくる。
いつまでたってもおいしいものを食べられない。

源ちゃんという子がいた。
通知票が1。
しかし、能力が高くやる気満々の子でも、通知票1の源ちゃんに勝てない。
工舎の希望者は多い。母親はこの子は器用だからと言うが、それは頭の中の器用だ。

直角を定規で考えようとする。
しかし、頭の器用な子は器用におぼれて、なかなかものになりにくい。
不器用な子は、執念がある。
直角を実物大で考える。

長い目で見ると、10年立てばやる気のある子が伸びる。
大学生と中学生が希望して来た。

私は中学生を採用したがなぜだと思うか?。
中学生をとらなかったら、ほかに飯が食べられない。
大学生は能力があるのでほかでも食べていける。
そうすると本当に苦しいときに、ほかを見てしまう。
それはかわいそうだ。中学生はほかを見られないからがんばる。

教わるということは甘えにつながるから教えない。
いつも掃除ばかりしている子は、先輩のを見てやりたいと思う。
やらせてくれと言ったときにだけやらせる。

かんなを貸してやると、うれしそうに削る。
そうすると、それ以後の刃物研ぎも力が入る。
本当にやりたいと思ったときまでは、道具を与えてはいけない。

うちは何も教えないからはじめは伸びないように思う。
しかし、10年経つと一緒。
そこからの伸びは違う。

企業は教えるから、初めは伸びる。しかし伸び悩む。
教えなくても、学ぼうとする雰囲気があればい。その中にいれば自然と育つ。


素直が一番だ。なぜか、お互いが疲れないからだ。
今の学校は中途半端。だから素直になろうという前に終わってしまう。

何もなくて、一つ一つ覚えていったような子はいい。
知識があってもいいが、それでも素直にものにあたれる子がいい。

大部屋での生活に苦労する。アパートは?と言う子は認めない。
大部屋での生活でいろんなことがわかる。
自己中心で生活ができないことに気づく。
同じ空気を吸って、同じことをやっていれば自然とやさしさが育つ。

荷物を運ぶ時、力のある子が自然と重い方を持つ。
おかわりする時、仲間の食事の量も考える。
やさしさと思いやりがなければ、集団生活ができないことに気づく。

ゴリラと言う子がいた。「う、あ」しかいわない。
頑張ったので、現場棟梁になれと言った。
若い子に教えてやれと言ったら、「言わない。」と言った。
そして続けた。「失敗しそうなときだけ言う。後は任せる。」それが鵤工舎。

黙って見守る。
今の親は、子がわかっていることを言うからぶつかる。

 私も、1年間だけ刃物研ぎをしていた。
3カ月経った時、西岡棟梁が来て見本を見せてくれた。
見本を見せてくれたのは、後にも先にもこの1回だけ。

後は何も教えてくれなかった。
私は、師匠の削ったかんなくずをみて、研いでは削り、研いでは削るを繰り返した。
なかなかできない。今思うと、研ぐことによって、大工の精神が養われたと思う。

かんなくずを顕微鏡で確かめればよいかもしれないが、
一回顕微鏡を使うと、それ以後毎回使わないといけない。
棟梁は、目で見てちょっとした違いに気づく。“勘”と言った。

 畳1枚のテーブルを平らにすると、たいてい真ん中が浮いて見える。
目で見て、平らに見えるようにならなければいけない。

ギリシア建築は、実は美しく見えるように矯正してある。
それだけの目があるからできたのだ。
西岡棟梁は自分自身が厳しく生きた人だ。
本当のやさしさがある。厳しさのないやさしさは甘えにつながる。

 口伝と建築を重ねあわせて話をしてみる。
建築は、はじめに場所の設定をする。
東西南北に守り神がいる場所(四神相応の土地)とは、

東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武。
東に川があり、南に開けた沼や土地があり、西に大きな道があって、北に丘。法隆寺がそう。1m表土をとると、堅い層がある。よく見抜いたものだ。

 山の環境によって木が決まる。木は山をみて買えと言う。
檜は、伐採した木は200年強くなる。
それから1000年ぐらいかけて弱くなる。
古代の工人は檜の強さを知っていた。
柱をどこに立てるか?礎石の上に立てるだけ。
はしごをかけて上に立てればよい。地震がきても、横に移動する。
 木組は、寸法で組まずに、木の癖で組めという。
塔はできたばかりはぐらぐらだ。


 法輪寺に通うとき、毎日法隆寺の五重塔を見た。西岡棟梁は、
安定して動きがあるだろうと言った。
微妙に二層と四層が小さい?

 薬師寺の尺度は、当時は一尺が29.6ミリ。今と違う。天平尺という。
薬師寺は柱はまっすぐではない。
美的に矯正してある。
東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武のレリーフがある。

 木は生育のままに使えと言う。
古代の工人は、南向きの木は南向きの柱にする。
育ったように日を当てる。木の組は工人の心組。
工人の心組は、工人の思いやり。
百の工人には百の思いあり、一つにまとめる棟梁の器量なり

塔の中は木と格闘の跡がある。
今は規格品しか使わない。昔は、芯からの距離できまるので、どんな木でもできる。
昔は、山で木を切って運ぶ知恵があれば、現場でできたと同じ。
技術も大事だが、時には、技術以上のことをやらねばならないときもある。
仕事に対する精神、心。
昔の塔は、不ぞろいの木が支えあって、一つの塔をつくっている。

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一言一言に含蓄がある。

子育てを失敗してきたので、
読むと耳が痛い事が多い感じがする。
・・・・!
   

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