12月12日 (水曜日)晴れ
何日か前に読み終わった本。”永遠の0”
O戦の特攻を主題にした作品であるが
読むたびに胸が締め付けられる気分になった。
歴史の勉強を学校で教えて貰ったが、詳しいの事は殆んど教えてもらえていない。
この本で、その背景を実感できる。
十代の若者が敵艦船や空母にたどり着く前に殆んど落とされたらしい。
沖縄戦では
鹿児島の知覧などから多くの特攻機が飛び立ったとある。
この、知覧の特攻会館を10年以上前に訪れた時、

彼らの書き遺した手紙(遺書)には”豪沈”等々か”書かれていたのを思い出す。
その行間を読もうとすると・・・・・・
涙をこらえきれなくなったのを思い出している。
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知覧特攻平和会館について
知覧特攻平和会館は,大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)の
沖縄戦において,特攻という人類史上類例のない作戦で,
爆弾搭載の飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の
遺品や関係資料を展示しています。
私たちは,特攻隊員たちや各地の戦場で戦死された多くの犠牲によって,
今日の平和日本があることに感謝し,特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら,
再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりするという
命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない,
また,このような悲劇を生みだす戦争も起こしてはならないという情念で,
貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と,
関係者の方々のご尽力によって展示しています。
特攻隊員たちが二度と帰ることのない「必死」の特攻出撃に臨んで念じたことは,
再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
この地が特攻隊の出撃基地であったことから,
特攻戦死された隊員の慰霊に努め,当時の真の姿,遺品,記録を後世に残し,
恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ,
ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。
http://www.chiran-tokkou.jp/ (専用HP)
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今度、映画になると言う・・見に行こう・・と思う
岡田准一主演
原作の様に表現するのは難しいと思うが・・!
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そんな中で毎日新聞の余録に・・関連した様な記事が
余録:1941年の対米英開戦の前… 2012年12月08日
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1941年の対米英開戦の前
、
政権を投げ出した近衛文麿(このえ・ふみまろ)の
後継首相に東条英機を指名したのは
内大臣の木戸幸一だった。
彼は戦後30年を経て
「どう考えても僕にはあれしかなかった」
「東条推薦は失敗だというのは結果論だ」と語った
▲「結果論」といわれても、
300万の国民とそれを上回る他国民の生命を奪うという
途方もない「結果」だった。
およそ政治は結果責任がすべてならば、そこに政治はなかった。
勝田龍夫著「重臣たちの昭和史」によると、
木戸自身は次のように当時を回想している
▲「もう選択の余地がなくなっちゃったんだ。
政治家はみんなどこかに隠れてしまって」
「東条は生真面目だ。政治家でもないんですよ、あの人は、軍人ですよ」
「おそらく他の大臣を持って来ても戦争は始まったでしょう」
「戦争すれば負けると思ったんだ、僕は」
▲こう見ると開戦必至で、敗戦は不可避だから
東条にやらせたとも受け取れる物言いである。
何も今さら木戸の責任をあげつらいたいのではない。
「政治」というものの底が抜けた国がどんな運命をたどるか
−−衆院選さなかの開戦の日を前にそれを思い起こしたのだ
▲現代の首相を選ぶのは内大臣ではなく、衆院選の有権者である。
では政治の求心力が失われ、責任の所在もはっきりしない国の迷走が続くというのは、
はて昔の話か今のことか。辛うじて、その先の運命を選べる私たちだ
▲「
選ぶ政治家がいない」「誰がやっても同じ」「どうせ世の中は良くならない」。
どこか で聞いた嘆きをもらす向きもあろうが、
「結果」は自らにふりかかる。
まず政治の底を固める有権者の1票だ。
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マスコミに振り回されず、良く考えて・・一票を投じよう。