東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

東海道品川宿を歩く~その二十:本光寺、清光寺、大龍寺

2014-11-13 19:57:04 | 品川区
さて、東海道品川宿を歩く、今回は目黒川の南側、第一京浜国道の西側のお寺を巡る。お寺巡りというのもそれ程興味があった訳ではないのだが、この品川ではお寺は見ていく価値があるとしみじみ感じさせられている。やはり、震災と戦災の両方を免れていると言うことは凄いことで、東京でこんなに古い建物が見られるところは宗はないだろうと思うほど。東海寺から名付けられたのだろうか、第一京浜の目黒川に架けられた橋は、東海橋という。その上から、東海寺方向を望む。防災用の船着き場が設けられている。


その第一京浜を少し南へ向かった直ぐが、本光寺である。永徳2年(1382)創建という古刹。元は真言宗であったと言うが、室町時代に日蓮宗に改めたそうだ。門前には石塔が建つ。


山門も重厚なもの。三代将軍徳川家光も訪れたことがあると言う。


山門を内側から見たところ。


鐘楼。瓦葺きの重厚なもの。


本堂は昭和43年に建てられたコンクリート造りのもの。庫裏は細工の細かい木造の建物が使われている。


裏手の墓地には、昭和60年に再建された三重の塔が建つ。


そして、山門から少し奥へ入った所には、本光寺の塔頭であった清光寺がある。
「もと本光寺境内鬼子母神堂であったが、本多日生の雑乱勧請排他思想により鬼子母神を厨子に封印し本光寺に還帰、そのお堂が清光寺の本堂となったと伝えられるが詳細は不明。このほか本光寺住職の隠居所であったという説もある。開創年代不明。開山不祥。三派合同以前は顕本法華宗。本堂は大正12年震災で倒壊し、大正15年再建。本光寺の塔中寺院三ケ寺の一つ。」(日蓮宗東京都南部宗務所サイトより)


本堂は、近年に大規模修繕を行ったようで、境内も綺麗に整備されている。


傷んだ所の部材を交換して、ちゃんと古いものを活かすようにしているようだ。大正十五年の再建というが、細かい細工が施されている。


そして、その裏手に回り込むように入って行ったところに大龍寺がある。その門前、なにやら道路に妙な段差が付いていて、これは何かの跡だなと思っていたら、品川用水の跡であるという。


黄檗宗のお寺、大龍寺。その山門は、ちょっとモダンな石造りの門。


本堂は前に庭が造られていて、不思議な雰囲気があって面白い。


本堂もちょっと独特な雰囲気が感じられる。


第一京浜国道に程近いのだが、少し奥へ入っているので、静かな環境になっている。直ぐ向こうには新馬場駅周辺のビルが聳えている。


「大龍寺のシイ 品川指定天然記念物 所在:南品川四丁目二番十六号 指定:昭和五十三年二月十四日(第十六号)
 本堂前の参道脇にあり、根本から四本に分かれた幹は、美しい風格のある樹勢を形造っている。根回り三・二三メートル、樹高九・五メートル、樹齢は推定約百五十~二百年で、最近になって結実するようになった。シイは本州(福島県・新潟以西)の暖地に生ずる常緑広葉樹である。本区内におけるシイの木としては大樹であり、樹勢もよく、環境的にも恵まれた場所に生育している。
 昭和六十二年三月三十一日 品川区教育委員会」


 本当にこの品川には、古木、大木が数多くあって、これをまとめて見て回るだけでも随分と楽しめるように思う。様々な切り口で、興味の持てるアングルを見つけて楽しめるところが、品川の良いところではないかと思う。


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