さて、三谷八幡神社からさらに進んで行くと、アーケードに差し掛かっていく。武蔵小山の商店街である。武蔵小山の商店街は城南エリアでも大きなところで、アーケードの掛けられた商店街が縦横に伸びている。この辺は外れなので、静かな辺り。

商店街のメインの通りを横切って進むと、左手に寺があった。朗惺寺というお寺。
「日蓮宗
・池上本門寺11世の日惺上人が、徳川家康から江戸市中に5カ所の土地を
下付されて建てた、5カ寺のひとつ。
・ツゲの双樹、藤棚、シャクナゲ、すみれなど花がきれいで、境内のたたずまいはなかなか良い。」(「しながわ観光協会」サイトより)

本堂は面白い雰囲気。コンクリート造りの様だが、味気ないものではない。

本堂の正面。趣のある雰囲気。

石造庚申供養塔。小山村の各所のあったものが、ここに移されてきたうちの一つ。

「○荏原郡満州開拓団殉難者慰霊碑
・昭和19年(1944)に、武蔵小山商店街商業組合有志による
満蒙開拓団が結成され、1039人が満州(現中国東北部)に入った。
しかし、翌年8月戦況の悪化によって開拓団の人々は南へ逃れ、
その途中、匪賊の襲撃を受けて800名余りが死亡。
生き残って帰国したわずかの人々が、昭和32年(1957)の13回忌に建立」(「しながわ観光協会」サイトより)

庫裏は和風の木造建築。

そして、武蔵小山の駅前。これで、目黒、品川方面の探訪は一旦終了である。また、アングルを変えて、歩いていないところもあるので、また訪ねてみたいと思っている。

商店街のメインの通りを横切って進むと、左手に寺があった。朗惺寺というお寺。
「日蓮宗
・池上本門寺11世の日惺上人が、徳川家康から江戸市中に5カ所の土地を
下付されて建てた、5カ寺のひとつ。
・ツゲの双樹、藤棚、シャクナゲ、すみれなど花がきれいで、境内のたたずまいはなかなか良い。」(「しながわ観光協会」サイトより)

本堂は面白い雰囲気。コンクリート造りの様だが、味気ないものではない。

本堂の正面。趣のある雰囲気。

石造庚申供養塔。小山村の各所のあったものが、ここに移されてきたうちの一つ。

「○荏原郡満州開拓団殉難者慰霊碑
・昭和19年(1944)に、武蔵小山商店街商業組合有志による
満蒙開拓団が結成され、1039人が満州(現中国東北部)に入った。
しかし、翌年8月戦況の悪化によって開拓団の人々は南へ逃れ、
その途中、匪賊の襲撃を受けて800名余りが死亡。
生き残って帰国したわずかの人々が、昭和32年(1957)の13回忌に建立」(「しながわ観光協会」サイトより)

庫裏は和風の木造建築。

そして、武蔵小山の駅前。これで、目黒、品川方面の探訪は一旦終了である。また、アングルを変えて、歩いていないところもあるので、また訪ねてみたいと思っている。

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